あらためて前田敦子さんの力を感じる映画…
三島有紀子監督の映画は「幼な子われらに生まれ」と「Red」を見ていますが、私には昭和価値観の監督という印象が強いです。二作とも原作ものですので実際にどうかはわかりません。
この映画についてチラチラと目にするところでは、自らの過去とか性暴力という言葉が入ってきますので見る前から気が重くなってきます。でも、前田敦子さんですから大丈夫でしょう。
4章構成には疑問が…
やはり前田敦子さんです。
第一章、第二章の流れの悪さを一気に吹き飛ばして前田敦子さんが映画にしていました。大阪の町を歩きながら自らの過去を語るシーンはかなりの長回しでしたが、お見事でした(俳優として…)。
ただ、その内容がとても生々しくてちょっと気分が悪くなるほどです。第三章だけモノクロで撮っていたのは正解でしょう。花(キンギョソウ…)の色がピンクであったらとても見ていられません。
映画は4つのパート(章)に分かれています。第一章と終章は現実面でつながっており、その2つと第三章は意識の上でつながっています。全く関係なく見える第二章をはさんでいる意味はわかりませんが、他のパートとは違い、悪くない話でしたので一方向へ振れることを避けるために入れたのかも知れません。
性被害の記憶に苦しむ女性と父親…
映画のモチーフとなっているのは6歳の少女の性被害です。そのものを描いているわけではなく、その被害の過去に苦しむ女性と父親(親子ではない…)を描き、少なくとも女性の方は一歩だけ前に進もうとする物語です。
第一章は北海道洞爺湖湖畔、マキ(カルーセル麻紀)はおせち料理の準備に余念がありません。かなり長い時間をかけて料理シーンを見せていました。見せ方がうまいです。NHKで料理番組をつくっていたことがあるのかも知れません。
長女夫婦(片岡礼子、宇野祥平)とその娘がやってきます。正月なんですが晴れやかさはありません。そのこと自体を見せたかったのかも知れませんが、ただ、このパート、とても間合いが悪いです。おそらく演出だと思いますが、台詞のやり取りにかなり長い間をとっています。多分俳優がしっくりきていないのでしょう、間合いが悪くて見ていて気持ちが悪いです。
それはともかく物語はこういうことです。47年前、マキの次女れいこ(6歳か…)が性暴力にあい、その後自殺し、洞爺湖で水死体として発見されています。マキは父親ですが、現在は女性として生きているということのようです。幻想(的な…)シーンとしてマキがその経緯を語るシーンがあり、その中で男性器を切り落とす仕草をしますので、同じ男であることに耐えられなかったということなんでしょう。
第二章は八丈島です。物語に直接関連性はありませんが、船の移動でつないでいます。船そのものにもなにか思いがあるとは思いますが映画からは伝わってきません。
誠(哀川翔)は酪農家(多分…)です。娘の海(松本妃代)が帰省してきます。妊娠しています。誠は海に手紙がきていると言って渡します。その夜、誠は海辺で泣いている海を見て、手紙が原因だと察し、探し出して読みます。そこには知った名前の男の名で、島に帰ったと思うので自分も後を追うとの手紙とともに男の名前だけが書かれた離婚届が入っています。
翌日、誠は鉄パイプ(男を…よくわからん…)をもって港に駆けつけます。このあたりのシーン展開がよくわかりませんでしたが、とにかく後を追った海は誠に、その男は結婚しようと言っているが自分のほうが怖くて拒んできた、いつでも離婚できるように先に離婚届を書いておくので結婚したいと言っていると告げます。そして、海は結婚することに決めたと言います。港に連絡船がやってきます。海が船に向かって手を振っています。
海の母親は交通事故で亡くなっているらしく、そのことからなのか、幸せになるのが怖いという意味のようです。
余計なことですが、この第二章はいりません。洞爺湖と大阪の話をもっと深く書き込むべきです。
前田敦子さんが流れを変える…
第三章です。れいこ(前田敦子)がフェリーで大阪に帰ってきます。元恋人の男性の葬式のために戻ってきたようです。新型コロナウイルスで亡くなったと言っていました。真実味の感じられない理由でしたし、その後、母親(とよた真帆)とのシーンがあるのですが、これもなぜこんなシーンを入れているのかわかりません。
再び余計なことですが、前田敦子さんの長回しのシーンを除いてシナリオがよくありません。他の脚本家を入れてもっと練ればよかったのにと思います。
その後、なんだかよくわからない自殺騒ぎと続き、れいこが歩いていますと男が声をかけてきます。男はレンタル彼氏のトト・モレッティを名乗ってナンパしてきます。
トトを無視して置き去りにしたれいこがはたと止まり、セックスしようと言います。
こういうところの前田敦子さんはすごいんです。こうした嘘くさい設定のシーンを一言で現実味を帯びたものに転換させるのです。
そして、れいこはホテルでことを終えた後、わたし、6歳のときに変な男に変なことをされた、自分の体は好きな人とできる体じゃないなって…と語ります。元恋人とも試みたけれどもできなかったということです。その後、トトは眠っているれいこ(かすかにうなされている…)の似顔絵をスケッチします。後に、トトは漫画家を目指していたが書けなくなっていたと語ります。
れいこはトトに行きたいところがあるからついて来てと言い、大阪の町を脇目も振らずに歩いていきます。6歳のときに自分が性被害にあったその場所です。れいこはその時の性加害を今まさにされているかのように生々しく語ります。その場所にはピンク色のキンギョソウが美しく咲いていたそうです。しかし、れいこにとってはその花はまるで自分に襲いかかってくる男の唇に見えると言います。泣き叫びながらキンギョソウをむしり取ります。
トトがその姿をスケッチし始めます。気づいたれいこは、人の顔なんか書いてんじゃないよ! アンタとできたのはなになにだからだ! と取り上げたスケッチブックを破り取り、火をつけて燃やします。なになにが何だったか忘れました、バカだからとかそんな感じでした(違うかも…)。
大阪の町を歩くれいこ、ヤンヤンつけボーを食べながら、その顔には少しだけ笑みが浮かんでいます。
やはり4章構成に問題が…
終章は再び北海道洞爺湖、マキが雪の中、何か(遺骨?…)をもって6歳のれいこが命を断った湖畔に向かっています。倒れ込んだマキが湖に向かって何かを叫んでいます(忘れた、ゴメン…)。
北海道のれいこと大阪のれいこに直接的な関連はありませんが、大阪のれいこは北海道のれいこになっていたかも知れませんし、大阪のれいこの父親はマキと同じような苦しみ(罪悪感とともに…)を感じているかも知れません。
という映画ですが、本当は第三章だけの映画にすべきだったんだと思います。くどいようですが、第一章、第二章は間合いが悪くとにかく見ていてつらいです。
前田敦子さんだけで一本の映画になります。
なお、三島有紀子監督はナンニ・モレッティ監督の「息子の部屋」が好きなようです。