違国日記

新垣結衣と早瀬憩の俳優力と瀬田なつきの演出力で2時間20分見せ切った映画…

こうした当て字を使うセンスには抵抗を感じるのですが、それも原作漫画のことですし、瀬田なつき監督と新垣結衣さんの名前で見てみました。

ことのほか人物がしっかり描かれたいい映画でした。

違国日記 / 監督:瀬田なつき

やはり俳優を信じることが映画の基本…

なぜ瀬田なつき監督の名前が目につくんだろうと、このブログを検索しても7年前の「PARKS パークス」しか見ていない上に、そのレビューでは、感じるものが何もなかったようであっさりしたものです。その映画も瀬田なつき監督の名前で見に行っているようなのに不思議です。

でも、この「違国日記」はよかったです。

物語としての大きな起伏はないのですが、2時間20分、集中力が途切れることなく見られます。脚本も編集も瀬田なつき監督です。映画的センスの良さを感じます。

で、なぜ名前が目につくのかわかりました。多分「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」を見ているからだと思います。プロフィールを見て、ああそうだったんだと、映画はほとんど記憶していないのに染谷将太さんのカットだけがおぼろげに浮かんできます(笑)。

新垣結衣さん。新垣結衣さんを初めて見たのはつい最近の「正欲」だったんですが、この映画は物語自体に問題が多く、他の磯村勇斗さんや稲垣吾郎さんも含め俳優にほとんど気持ちがいっていません。

でも、この「違国日記」で新垣結衣さんの俳優力をしっかり感じました。

この映画の慎生というキャラクターがあっているからなのかどうかまではわかりませんが、この慎生の役に新垣結衣さん以外の誰も思いつきません。細かい表情の変化や間合いに人物の奥深さが感じられます。朝を演じている早瀬憩さんとのバランスがいいこともありますが、役作りについて瀬田なつき監督との信頼関係を感じます。

やはりこうした映画は俳優次第であり、また監督が俳優を信じて撮っているかどうかが勝負だと思います。

おそらくこうした環境が早瀬憩さんの良さを引き出したんだと思います。2007年生まれということは現在17歳、朝は高校一年生ですから撮影時は実年齢くらいだったということです。

早い段階にこうしたいい映画に出会えたことはきっと俳優としてプラスになっていくと思います。

2時間20分見せる力…

慎生(新垣結衣)は小説家です。サイン会を開けばかなりの行列ができる作家です。過去にヒット作があったらしく、その際、家(あのつくりはマンション?…)を買い、自宅兼仕事場にしています。

姉夫婦が交通事故で亡くなります。15歳の朝(早瀬憩)がひとり残されます。葬儀の日の会食の場、皆が朝はどうなるのだろう、盥回しにされるのかなどとヒソヒソとうわさ話をしています。慎生は思わず「朝が望むのなら私のところへ来ればいい!」と宣言してしまいます。

このシーンは導入としてとても良かったです。慎生の宣言に、おっ!となります。

ということで、慎生と朝の共同生活が始まり、お互いに少しずつ変化していくという物語です。それだけです。特になにか大きな出来事があるわけではなく、大きく変化するわけでもありません。

それでも2時間20分見られるんですからすごいですね。

映画の物語としてはやや浅い…

その上での話ですが、映画としての説得力という点ではどうなんだろうと思うことが多いです。多分、それらは原作漫画のものでしょう。

この物語の重要なポイントは、慎生が姉を憎んでいると自ら言い、その姉の子を愛せるかどうかわからないと朝本人に向かって言っているところです。慎生がそこまで言う、一体何が姉妹の間にあったのだろうと思います。それが明かされていくんだろうと予想します。

ところが説得力のあるその答えはありません。

簡単に言ってしまいますと、慎生は自由人であり、姉は常識人、あるいは社会的マジョリティをよしとする人物です。たとえば、慎生が子どもの頃、劇の台本だったか物語を書いていたところ姉からそんな妄想の世界にいちゃだめ!と言われたとか、なぜこんなことができないの?!と言われ続けたとか言うわけです。はたしてこの答えに映画的説得はあるのかということです。

実際にそういうケースがあるかどうかではなく、人が人を憎んでいると言い、亡くなったあとでも絶対に許さないとまで言うことにはドラマとしては無理があります。逆に言えば、映画が描いている慎生の姉への強い言葉からすれば、葬儀の場にやってくること自体に違和感があります。

そしてもうひとつ物足りなさを感じるのは、朝の両親への思いが描かれていないという点です。映画からは慎生が朝を引き取った時期がはっきりしませんが、流れとしては直後に近いかなり早い段階だと思われます。そうであれば朝の心の動きが描かれるシーンがなさすぎます。15歳で両親を愛しているかどうかの感覚はないと思いますが、ごく一般的な意味では、いて当たり前の存在だったと思われます。その母親を憎むという人物と暮らすことの抵抗感が映画からはまったくといっていいほど感じられません。

原作にはないのかも知れませんが、やはりそうしたことを加えていかないと映画としては浅いものになってしまいます。

映画がかなり重要ポイントとして描いている朝の母親の日記、朝が高校を卒業したら渡すつもりで書き始めたらしいです。それを慎生が隠していたということで朝がちょっとした拒否反応を示すわけですが、あれ、その書き出し以後は白紙でこれから書いていく予定だったということですよね。もしそういうことなら、もう少し扱いを明確にしないとあまりにも中途半端です。書かれていないのなら書かれていないことに意味があるという扱いにしないと、見ていて、え? となります。

まあそんなこんな、言い始めますと細かいところはいろいろありますが、おそらくそれらは原作のものだと思われますし、映画化やドラマ化の場合の原作との関係には難しいところもあるんだろうと思います。

いずれにしても、2時間20分を俳優の力で見せきった瀬田なつき監督、新垣結衣さん、早瀬憩さんをほめる映画かと思います。