ヨアヒム・A・ラング監督は「本物のバレエ映画を作りたかった(make a true ballet movie)」と語る
ジョン・クランコ、すぐには誰ともわからなかったのですが、シュツットガルト・バレエ団の名を目にし、記憶の片隅にクランコの文字が浮かび上がりました。ジョン・ノイマイヤーやイリ・キリアン絡みでその名を目にしたことがあるシュツットガルト・バレエ団の振付家でした。

ネタバレあらすじ
1960年、ジョン・クランコ(サム・ライリー)がドイツのシュツットガルトの州立歌劇場のバレエ団に招聘されたところから、1973年に亡くなるところまでが描かれています。
ほぼすべて振付家としてのジョン・クランコです。私生活も触り程度には描かれますが、ほとんど創作に関わるシーンでつくられています。ですのでジョン・クランコの個性のようなものはかなり強く出ているものの、それでもってひとりの人物というわけではありませんので伝記映画の印象ではありません。
そのあたりのことをヨアヒム・A・ラング監督は Variety 誌のインタビューに答えて「本物のバレエ映画を作りたかった(make a true ballet movie)」と語っています。
So far, we haven’t really had true ballet movies. Most of the other films that have to do with ballet, like ‘Black Swan’ or ‘The White Crow,’ actually focus on other topics. Relationships or other subjects are at the core of what those movies are about, and there’s not really a true ballet movie that’s about the art form of ballet itself.
(Variety)これまでのところ真のバレエ映画というものは存在していません。「ブラック・スワン」や「ホワイト・クロウ」などバレエを題材にした他の多くの映画はバレエではなく他のテーマに焦点を当てています。それらは人間関係などがテーマであり、芸術としての真のバレエ映画は存在したことがないのです。
この「ジョン・クランコ バレエの革命児」が真のバレエ映画かどうかはなんとも言えませんが、たしかに映画全編に音楽を使い、あまり細部にこだわることなく全体として流れるようにつくられています。
ヨアヒム・A・ラング監督の思いは表れている映画だとは思います。
ジョン・クランコの人物像
ジョン・クランコは1927年生まれですのでシュツットガルトへ来たときは33歳です。南アフリカ生まれで、1946年に18歳でイギリスに渡り、23歳でサドラーズ・ウェルズ・シアター・バレエ団(ロイヤル・バレエ団の前身)の1950-51シーズンの常任振付家に任命されるなど、ウィキペディアを読みますと華々しい活躍ぶりです。
そうしたイギリス時代は描かれておらず、本人の口からイギリスで警察のおとり捜査に引っかかり公共の場での同性愛行為で起訴されたと語るのみです。ウィキペディアによりますとシュツットガルトへ移ったのはそれだけが理由というわけではなく、あるいはそれが理由なのかも知れませんが、思うような活躍の場が得られなくなり、シュツットガルトでその場が得られたということのようです。
映画では特別同性愛であることにこだわることなく3人ほどの男性が登場します。そのうちの一人、名前は忘れましたが彼なしでは生きていけないと実際に言葉にするほどの男性が登場します。その男性は親が許してくれないと言って去っていくわけですが、これが創作の糧になって悲恋物語が生まれる(ような、あくまでもような…)つくりになっています。
人間関係がていねいに描かれる映画ではありませんので、同居している男性二人にしても関係がよくわかりません。マネージャーみたいであったり、生活面の面倒をみているような感じでした。
映画中頃からダルメシアンを我が友のように大切にしていました。事実なんでしょうか。事実かどうかと言えば、タバコを吸いまくっていたのが無茶苦茶気になりました。稽古場でも常に吸っていますし、振り付けしながらタバコを手にもってダンサーに指示したり、時にはもったまま顔に触れたりしていました。当時の映像がアーカイブとして残っているそうですので事実なんでしょう。それに事実じゃなければあそこまでやらないですね。
映画ではお酒を飲むシーンは少なかったのですがアルコール依存気味だったようですし自殺未遂のシーンもあります。
いわゆる芸術家の一般イメージである自己主張が強く、妥協を許さない人物でありながら、個室はいらない、稽古場が仕事場だと言い、ダンサーたちを子どもたちと呼んだりする、偉ぶるところのないバレエ命の人物として描かれています。
シュツットガルトの奇跡
真のバレエ映画であるかどうかは置くとしても、映画全体をバレエのようにしたかったのは間違いないようです。ジョン・クランコの思いもバレエで表現しようとしています。
映画冒頭、自身の振付「パゴダの王子」の演出のためにシュツットガルト歌劇場にやってきたジョン・クランコが劇場の前で思いを馳せるシーンです。
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ダンサーはハインツ・クラウス役のフリーデマン・フォーゲルさん、シュツットガルト・バレエ団のプリンシパルダンサーです。他もすべてバレエ団のダンサーとのことです。下は石ですね。
この動画を見ればおおよそ映画のつくりは想像できると思います。ときどきこんな感じで現実の中にダンサーが登場して踊ります。
招聘されたその舞台が評価され、翌年芸術監督就任を要請されます。芸術監督就任後は「ロミオとジュリエット」「オネーギン」「痕跡」の創作を軸に映画は進みます。
ジュリエット役には当時はコール・ド・バレエであったマルシア・ハイデ(エリサ・バデネス)が大抜擢されます。支配人たちが可愛くないとか技術がないと猛反対する中、ジョン・クランコが頑固に意思を通し、これが後のシュツットガルトの奇跡につながることになります。マルシア・ハイデはその後プリマとなり、ジョン・クランク亡き後芸術監督も務めています。
「ロミオとジュリエット」は元々ジョン・クランコの振付のものがあったようですが、シュツットガルトで再振付したものかも知れません(未確認…)。ロミオはレイ・バーラ(ジェイソン・レイリー)です。
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そして「オネーギン」です。動画の前半に1969年の MET(メトロポリタン歌劇場)での「オネーギン」のシーンが入っています。
シュツットガルト・バレエ団は、この公演で「シュツットガルトの軌跡」と呼ばれる大成功をおさめ、世界的なバレエ団の位置を築きます。
映画終盤は「痕跡」の創作が描かれています。ナチスの犯罪を題材にしているバレエで公演は観客のブーイングに見舞われます。ヨアヒム・A・ラング監督は「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」という映画を撮っていますので「痕跡」を最後にもってきたのも何らかの思いの表れかなあと思います。現実的にもジョン・クランコの遺作ではあります。
1973年6月26日、ニューヨーク公演の帰路の航空機内で亡くなります。医師から処方されていた睡眠薬を飲み、その副作用なのか嘔吐して窒息死ということです。
感想:バレエ映画ではあるけれど…
結構集中して見られる映画です。それに、真であるかどうかはわかりませんがバレエ映画にしようという意識は強く感じられる映画になっています。
バレエではありませんが、ヴィム・ヴェンダース監督が3Dで撮った「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」は真のダンス映画でした。
その点で言えば「オネーギン」ひとつに絞って描く方法もあったのかも知れません。あえて言えば、バレエ映画、ジョン・クランコの人物映画、どっちつかずになっているとも言えます。