ジョーカー

ホアキン・フェニックスの代表作となるか? 多分なる。

今年2019年ベネチア国際映画祭の金獅子賞受賞作品です。

とにかく、ホアキン・フェニックスがすごい! につきる映画です。ほぼ一人芝居です。

ジョーカー

ジョーカー / 監督:トッド・フィリップス

この映画のために24キロ減量したと言われていますが、掛け値なしのその通りで誰だかわからないくらいです。その姿を見せる画が何カットもありました。肩甲骨や肋骨が浮き上がっている姿を意識的に見せていました。

ホアキン・フェニックスさんの映画は結構見ているのですが、なぜだか俳優としてこれといった印象がなく、逆に言えば、こうしたこだわりの役作りが俳優その人の印象を薄くしているのかもしれません。

いまさら私が言うこともありませんが、この映画はDCコミックスから生まれ、様々なメディアで描かれてきた「バットマン」のヴィラン(悪役) 「ジョーカー」の誕生秘話が描かれた映画です。完全オリジナルストーリー、というよりも、もともとジョーカーがヒーロー的に扱われることなど想定されていないのに、ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレッド・レトという俳優が演じることによってヒーロー化してしまったということだと思います。

とにかくこの映画は、ホアキン・フェニックスさんが、もちろんトッド・フィリップス監督や脚本家の意志も含めてですが、それらを体現して、ホアキン・フェニックスさんがジョーカーという架空の人物をどう造型したかを見る映画です。それ以上でもそれ以下でもありません。

悪役が魅力的にうつるというのは、ほとんど場合、その背後に「悲哀」というものが潜んでいます。この映画はそれをはっきりと打ち出しています。

ゴッサムシティーです。格差社会のようで街は殺伐としています。現代にもつながる設定ですが映画自体はかなりクラシカルなつくりになっています。

アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、道化師(ピエロ、クラウン)として働いており、コメディアンとして世に出ることを目指しています。しかし、アーサーには意味もなく突然大笑いが止まらなくなるという障害を持っています。また、要介護の母親と暮らしています。

そうした環境の中、悪意、嘲笑、蔑視、差別がアーサーを襲います。次第にアーサーの憎悪は増幅し、そしてついに爆発します。アーサーがジョーカーに生まれ変わる瞬間です。そういう映画です。

ピエロ姿のアーサーが街なかでパネルをかざして店の宣伝をしています。悪ガキがパネルをひったくり逃げていきます。追いかけたアーサーですが、逆にボコボコにされ、店の宣伝パネルも壊されてしまいます。雇い主からはアーサーの責任だと罵倒されます。

同僚がアーサーにこれをやるよと言って拳銃を渡します。あれは後にチクっていましたので辞めさせるための策略ですかね。

バスに乗っています。向かいの子どもに変顔などをして笑わそうとします。母親は構わないでとにべもありません。アーサーが突然大笑いし始め、それが障害のためだと言っても、まわりの客は白い目で見たまま誰も信じようとしません。

アーサーは定期的に市のサポートであるカウンセリングを受けています。しかし、その担当者の対応はおざなりです。さらに、そのサポートでさえ財政難で廃止になってしまいます。

アーサーがピエロの姿のまま地下鉄に乗っています。三人の男が女性に絡んでいます。アーサーが突然笑いだします。発作であるのか、女性を助けるためかはかなり曖昧です。今度は男たちがアーサーに絡んできます。ついには暴行となり、アーサーは拳銃を取り出し、三人を射殺してしまいます。

この事件は一貫して映画のベースとなっており、ゴッサムシティーの住民たちの怒りがこの犯人を英雄視することになり、ピエロの仮面をかぶった住民たちの暴動が発生したりします。

アーサーには憧れのトークショー司会者マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)がいます。母親とともにテレビで見ることを楽しみにしています。

おそらくその思いが幻影となったのでしょう、マレーの番組に客として参加したアーサーがその受け答えによってマレーに感謝され舞台に呼ばれ、君が息子であればよかったのにとハグされるシーンがあります。

この幻影はラストの決定的なシーンの伏線にもなっています。

アーサーが見る幻影がもうひとつあります。同じアパートメントにソフィーという女性が住んでいます。エレベーターで出会ったことをきっかけにソフィーを尾行します。ソフィーは気づいていたようで、部屋を訪ねて、あなた尾行していたでしょうと問い詰めます。アーサーは素直に認めます。

そして幻影、ある日、突然ソフィーを訪ね、いきなりキス、ソフィーは受け入れます。その後、ソフィーと付き合っているシーンがいくつかあり、母親が倒れた時に一緒に付き添ったりしています。

このあたりの幻影の入れ方がうまいですね。特に幻影と見せようとするでもなく、現実と見せようとするでもなく、極めて普通に編集してあります。でも結局幻影だったのだとわかるようにつくられています。

そして、アーサーを傷つける決定的なこと、母親は30年ほど昔、街の実力者トーマス・ウェインのもとで働いていたことがあり、現在の窮状を手紙にして援助を求め続けています。

ある日、アーサーがその手紙を読みますと、そこには母親がトーマスと関係があり(多分)、自分はトーマスの息子ではないかと思わせる内容が書かれているのです。

アーサーはトーマスの大邸宅を訪ね、また上流階級が集う会場に忍び込みアーサーを問い詰めますが、アーサーはあっさり否定し、お前は母親の養子だと告げます。

その後、アーサーが市に保管された自分に関する資料を見る場面があり、養子であると記載されてはいますが、おそらくこれはトーマスが捏造したものでしょう。

このあたりの描写は以外にもあっさりしており、これをもう少し突っ込んで描いていれば、映画はもっと膨らんだのではないかと思います。

実は、この映画、結構単調なんです。とにかくホアキン・フェニックスさんが出ていないシーンはない(くらい?)ので、正直飽きてきます。

そして、クライマックスです。ホアキン・フェニックスさんに関しては全編見どころですが、特にこのあたりはかなりいっている感じがとてもいいです。

テレビ司会者のマレーが、そのネタに、アーサーが街のクラブでやったコメディアンとしてのショーの映像を流し揶揄します。意外にもその映像が受けたらしく、アーサーに出演依頼が舞い込みます。

もうこのあたりでアーサーの憎悪はかなり飽和状態です。ただしかなり冷めた憎悪として描かれています。

そして、その番組当日、アーサーとマレーの言葉の駆け引きがあり、アーサーはマレーを撃ち殺します。

ちょうどその日は、住人たちが皆ピエロの姿をして抗議をしようとする日です。完全に火が着きました。街は暴動状態、逃げ惑う上流階級の人々、その中にトーマス・ウェインと妻もいます。ふたりは暴漢に襲われ撃ち殺されます。

このトーマス・ウェイン夫妻の子供ブルース・ウェインが後のバットマンとなる人物です。

アーサーは暴徒たちのヒーローとして祭り上げられます。

ああ、忘れていました、母親はアーサー自ら手にかけています。拳銃を渡した同僚も殺しています。

とにかく、ホアキン・フェニックスさんを語る以外にはない映画です。言い換えれば、映画的には物足りなく、一本調子の単調な映画に終わっています。

ちなみにトッド・フィリップス監督は「アリー スター誕生」の監督です。

ダークナイト (字幕版)

 
アリー/ スター誕生(字幕版)

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