死の天使 ヨーゼフ・メンゲレ

内面的な恐怖感や孤独感からパラノイアとなっていく戦争犯罪人の末路…

LETO レト」を見てセンスがいいなあと思い、「インフル病みのペトロフ家」では天才だわと感嘆したキリル・セレブレンニコフ監督です。「チャイコフスキーの妻」も「リモノフ」も見ていますが、なかなかつかめない監督です。今回は「ヨーゼフ・メンゲレ」ですからね。

死の天使 ヨーゼフ・メンゲレ / 監督:キリル・セレブレンニコフ

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ネタバレあらすじ

ヨーゼフ・メンゲレ、ナチスの戦争犯罪人として必ず名前が上がる人物ですが詳しくは知りませんのでウィキペディアを読んでみました。

ヨーゼフ・メンゲレ(Josef Mengele、1911年3月16日 – 1979年2月7日)は、ドイツの医師、人類学者、親衛隊大尉。戦時下においてアウシュヴィッツ強制収容所にて幾多の残虐な人体実験を行った戦争犯罪人としても広く知られる。

戦後は南米に逃亡して逃げおおせたらしく、1979年にブラジルの海岸で海水浴中に脳卒中を起こし溺死したそうです。67歳でした。34歳の時にドイツ無条件降伏ですので逃亡生活33年ということになります。

その南米での逃亡生活をモノクロ映像で描いた映画です。南米に逃亡したナチスの戦犯といいますとアルゼンチンでモサドに拉致されてイスラエルに連行されたアドルフ・アイヒマンがよく知られていますが、この映画の視点はそうしたモサドに追われてといった外的要因からではない、むしろヨーゼフ・メンゲレの内面から生まれる恐怖感や孤独感からより強固にナチス思想が純化されていく様を見せることにあるようです。

過去の戦争犯罪としては一部アウシュヴィッツでのむごたらしい映像が入り、こちらの映像がカラーとなっています。これはナチスの将校が16ミリで撮ったという設定のカラー映像で数分程度のものです。ヨーゼフ・メンゲレが強制連行されてきたユダヤ人を人体実験のために選別するシーンや側弯症(差別用語ですがせむしのこと…)の兄弟を射殺し、解剖して全身の骨を標本化するシーンがあります。ホームムービーのようにも見え、ヨーゼフ・メンゲレやナチス将校たちの陽気な振る舞いに薄ら寒さを感じます。

この映画には原作があります。フランスのオリヴィエ・ゲーズさんという方のノンフィクション小説「ヨーゼフ・メンゲレの逃亡」です。

ノンフィクション小説? まあ、おおむね史実には沿っているけれども細部は創作ということでしょうか。

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家父長制と男根主義

ヨーゼフ・メンゲレは1949年にアルゼンチンに逃亡した後、パラグアイ、そしてブラジルと移動しており、また経緯はわかりませんが1956年に一度ドイツの故郷に戻っています。

映画はその一連の時間軸をかなり細かくシャッフル編集して描いていきます。ただ、あまり有効とは思えません。見るものを混乱させるだけです。

ですので印象に残ったシーンを書き残しておきます。

冒頭は多分1956年にヨーゼフ(アウグスト・ディール)がアルゼンチンからドイツに戻るところだと思います。ただ、見ているときはどういう状況なのかよくわかりませんでした。そりゃ、ドイツに戻ったことがあるなんて知らないですからね。こういうことをキリル・セレブレンニコフ監督はどう考えているんでしょう。結局、時間軸を入れ替えても映画の流れは平板で変わりませんので意図がわかりません。

そのドイツのシーンではまだ父親が生きており、強烈な家父長制と男根主義を感じさせます。ヨーゼフは父親から戦死した弟の未亡人マルタを結婚しろと命じられます。

その場はディナーのシーンなんですが、父親をセンターにして両側にヨーゼフと男たち(誰かわからない…)が無言で食事をしており、執事と給仕をするメイドが2、3人まわりを動いています。ヨーゼフは執事が密告するかも知れないと言っています。父親は何十年も務めている男だと返します。その後、父親やヨーゼフたちが去りますが、カメラはそのまま執事やメイドがテーブルの食器を片付けテーブルに何もなくなるまでじっとそのままとらえ続けています。

すごく印象に残ったシーンです。

マルタとの結婚式(パーティー…)のシーンがあります。あれはウルグアイでしょうか、堂々と鍵十字の装飾もされた豪邸でした。ヨーゼフはマルタの意思など関係なく来いと言って寝室に行き、強引にキスををし、弟を愛していたかと投げつけるように言います。その後のシーンはありませんがある種暴力的なセックスを想像させます。

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パラノイア化の晩年

これは時代としては晩年じゃじゃないかと思いますが、突然長髪の若い男性が登場します。え、誰?とまったくわからない状態で登場させています。しばらくしてやっと息子のロルフ(マックス・ブレットシュナイダー)だとわかります。最初の妻イレーネとの間の子どもです。ブラジルへ訪ねてきたということです。

この二人の会話、というよりもヨーゼフの一方的な父親然とした説教なんですが、ヨーゼフの持つ強烈なゲルマン民族の優生思想や父権主義を感じさせます。長髪のロルフをアメリカにかぶれていると非難し髪を切れと命じています。その後、ロルフは丸刈りにしていました。ときどき父親の過去を非難するような言葉を吐いたり、そうした視線を投げかけていたのに従順なんですね。別れのシーンでは寂しそうに互いに強くハグしていました。

結局この映画の狙いは、ナチ思想を信奉する戦争犯罪者が、肉体的には衰えていくことと反比例するように精神的には自らの主義主張に凝り固まってパラノイア化していく哀れさを見せようとしているんじゃないかと思います。

ブラジルで農場の共同経営者となるハンガリー人との言い争いもそれを表しています。ヨーゼフはハンガリー人夫婦を劣等民族だと罵倒するのですが、夫婦は夫婦でヨーゼフは理解しないハンガリー語で馬鹿にするようなことを言っています。ヨーゼフには理解できなくてもそのことはわかっているわけで、それでもドイツ語で喚き散らすだけでそれ以上は何もできません。現実的な拘束の恐れも感じる上に自らの妄想も加わりパラノイア状態になっていきます。

そのシークエンスの最初のシーンが女性との情事でしたが、あれハンガリー人の妻ですね。キリル・セレブレンニコフ監督は見るものを混乱させるのうまいですね(笑)。突然誰だかわからない人物を見せてから話の本題に入っていきます。そういうのやめて!と言いたいですね(笑)。

そして映画も終盤、ヨーゼフは肉体的にはかなり衰えてきています。ブラジルでの孤独の生活、ここでもまず若い女性を登場させ、ヨーゼフの住まいを訪ねさせます。警戒しながらドアを開けたヨーゼフに女性は家政婦の募集を知って訪ねてきたと言います。ここまでしなくてもいいのにと思いますけどね(笑)。

ベッドに横たわるヨーゼフ、女性が下半身の方に手を入れています。下の世話をしてもらっているのかと思いましたら、ヨーゼフは女性の手を股間に持っていき、もっと速くと言い、しかしダメなんでしょう、絶望的に嘆いています。男根主義そのものです。

そして、海水浴に出たヨーゼフが溺れて浮かんだ姿を真上からの俯瞰の画でとらえて映画は終わります。

ああ、その前にこれまた、え、何?と家具がガタガタと揺れるカットから入るシーンがあります。一人目の妻イレーネとの無茶苦茶激しい(動きがです…)セックスシーンが入っていました。正確にはどこに入っていたか記憶は曖昧ですが、今から思えば衰えを強調したかったのかも知れません。

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感想、考察:アウグスト・ディールさんの深い演技

率直なところあまりいい出来の映画ではありません。

映画冒頭は現在のブラジル(だったと思う…)の大学のシーンで、ヨーゼフの全身骨格を前にして教授が学生たちに講義をしています。まったく意味のないファーストシーンでした。

それに、さすがにシャッフル編集はやりすぎです。年数やその時々の偽名(だと思う…)をテロップで入れたりしていますが、事前にヨーゼフ・メンゲレの経歴を頭に入れていないと時系列に再構成などできません。

でも、きっとそんなことなどわかっているのでしょう。狙いはやはり優生思想などという荒唐無稽な主義主張に凝り固まった男の哀れな末路を見せたかったんだと思います。また、そこまで考えているかどうかはわかりませんが、それに付随して男性優位主義、あるいは男根主義も優生思想のひとつなんだなあとあらためて思ったわけです。

ヨーゼフを演じているアウグスト・ディールさんがよかったです。

肉体が衰えた老年の裸体姿は映像処理でしょうか、皮膚のたるみやシワ、それに足も細くなっていました。

というキリル・セレブレンニコフ監督の最新作でした。できるならば「LETO レト」に戻ってと言いたいです。