エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命

連れ去りはともかく、0歳からのユダヤ教も6歳からのキリスト教もどちらも強制的…

マルコ・ベロッキオ監督、現在84歳です。60年のキャリアがある監督ですが、日本でよく知られるようになったのは2000年以降じゃないでしょうか。私が見ているのも2003年の「夜よ、こんにちは」や2009年の「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」からです。

エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命 / 監督:マルコ・ベロッキオ

イタリア版大河ドラマ的ドラマ…

1852年あたりからのイタリアの話ですので、ある程度その時代背景を知っていないと本当のところが見えにくい映画です。私もほとんど知らずに見ていましたので、ローマ教皇の話なのになんだかチマチマした話だなあ程度にしか感じない映画でした。

その意味では大河ドラマ的ドラマで、たとえば、生まれたときから日本で育っていれば、戦国時代の武将や明治維新の頃の人物の名前くらいは教わらなくてもわかりますので、NHKの大河ドラマというものも成り立つわけで、それと同じような意味で、イタリアやフランスなど西ヨーロッパのキリスト教文化圏で育っていればこの映画の時代背景はなんとなくは分かるんだろうと思います。

一番は当時のイタリアがどういう勢力圏内にあったかとローマ教皇の権威がどの程度であったかです。

当時のイタリアは国民国家形成期ですので革命やら戦争やらで変遷がかなり激しいです。映画が始まる1852年直近で言いますと、1848年革命というものがあり、映画の中の教皇であるピウス9世は一度はローマから逃亡し、ナポレオン(三世です…)に助けられてローマに戻ったという経緯があるようです。

教皇ピウス9世(在位1846~78)は初め改革派教皇と期待され、教会国家でも憲法制定の動きも出てきたが、オーストリアから改革を否定されると次第に反動的となった。それに対して、ヨーロッパで燃え上がった1848年革命の余波がローマにも及ぶと、1849年初めに教皇はローマを脱出、ローマ市民が蜂起しローマ共和国を成立させた。この時はマッツィーニやガリバルディも共和国に参加し、革命的な変化が起こりかけたが、フランスのルイ=ナポレオンがローマ教皇を支援することを表明して軍事介入し、共和国軍は壊滅した。それによってピウス9世はローマに復帰した。

世界史の窓

1858年にエドガルド6歳が両親の元から強引に連れ去られるのはボローニャという町で、その後ローマに移されるわけですが、当時の教皇の世俗的な力が及ぶ範囲というのは下の地図のうす水色の範囲です。ボローニャは北の端の町でローマは南の端です。

Europe 1848 map en
Alexander Altenhof, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

その後も教皇領が安泰というわけではなく、その北と南ではイタリア統一を目指した戦争状態が続いているわけで、ざっと読んだところでは1864年頃には教皇領はほとんど失われてローマだけになっていたようです。そして、1870年には教皇領も含めてイタリアが統一されたということです。

異端審問官フェレッティが告訴されて裁判になるシーンがありましたが、あれもその時すでにボローニャが教皇領ではなくなっていたからです。また、軍人となっていたエドガルドの兄リカルドが修道院に入りエドガルドと対面したのは1870年、エドガルド19歳のときであり、イタリア統一軍がローマに入ったということであり、その時エドガルドは両親のもとに戻ることを拒否し、私服に着替えてオーストリアに逃亡したということです。

映画には人民の反乱シーンもありましたがどういう時代背景なのかは描かれていません。そうしたところからチマチマしたよくわからない映画になっているんだと思います。エドガルドが突然狂ったように教皇を罵倒していたのもよくわからないシーンでした。

エドガルド・モルターラ連れ去り事件

という時代背景の中でエドガルド・モルターラの連れ去り事件が起きたということです。

事件の概要は、ユダヤ人夫婦の6歳の息子エドガルドが異端審問警察によりキリスト教の修道院に連れ去られ、その後の両親の嘆願や訴訟にもかかわらずエドガルドはキリスト教徒として育ち、後に司祭となったという話です。連れ去られた理由は、エドガルドが洗礼を受けているとの通報があり、キリスト教徒の養育はキリスト教徒でなければならないとの法律に従ったものです。

え、なぜ両親は知らないの? と思いますし、そもそもキリスト教徒でない私などには洗礼自体がよくわかりません。どうやら誰かが知らないうちに洗礼を施したということらしく、じゃあ誰が? というサスペンスっぽい雰囲気もあったのですが、そういう映画ではなく、割とあっさりと家政婦だとわかります。家政婦はエドガルドが病気であったためにこのまま死んでは魂が救われないと思い洗礼を施したということらしいです。

洗礼というのは「父と子と聖霊の御名によって洗礼を授ける」と唱えながら額に水をたらせばよく、聖職者でなくとも誰でもできるものらしいです。それに英語版の「Mortara case」によれば、子どもが死の瀬戸際にある場合は親の承諾なしにでも洗礼を施すことを許可していたそうです。

宗教心のない者にはまったく理解できない理屈です。

とにかく、その後映画はエドガルドの修道院での生活とエドガルドを取り戻そうとする両親の奔走が描かれていき、すでに書きました異端審問官フェレッティの裁判や兄リカルドを拒否するシーンが続き、最後はエドガルドが母親の臨終の場に立ち会い、母に洗礼を施そうとするも拒否されてエドガルドが苦しむ姿で終えています。

人の自由意志とは…

という映画ですが、最初に書きましたように史実のある一面を映像化しているだけ以上のものはなく、テーマとしてもはっきりしない、映画的には駄作の部類だと思います。

原題は「Rapito」であり「誘拐」というような意味ですので、おそらくマルコ・ベロッキオ監督にはローマ教皇庁への批判的な意味合いがあるのだとは思います。ピウス9世があまり印象のいい人物と感じられないのはそのせいだと思いますが、映画全体としてはやはり大河ドラマ的で、すでによく知られている事件がぶつ切れ的に語られていく感じです。

やはりこういう映画は、一定程度時代背景や文化的背景を共有できる文化圏でしか意味を持ちえない映画だと思います。

それを共有できない私には、0歳からユダヤ教徒にさせられることと6歳からキリスト教徒にさせられることのどちらも強制的にしか見えない映画ではあります。つまるところ個人の自由意思が何かというのは非常に難しいものだということです。