ゴースト・トロピック

ダルデンヌ兄弟の国のもうひとつの移民の顔…

ベルギーのバス・ドゥヴォス監督の2019年の映画です。もう一作、2023年の「Here」と同時公開されています。2014年の長編デビュー作「Violet」以来、長編4作がいずれもがベルリンやカンヌの映画祭で上映されるという注目の監督です。

ゴースト・トロピック / 監督:バス・ドゥヴォス

こだわりの映像は見る者を選ぶ…

84分ですし、内容的にも一見小品の印象ですが、とんでもなく凝ったつくりの映画です。

話はシンプルで、ブリュッセルで清掃員として働くハディージャ(サーディア・ベンタイブ)が終電の地下鉄を終点まで乗り過ごしてしまい、歩いて家に帰るという話です。その間に出会う人やコトが描かれていきます。

何に凝っているかと言いますと、映画のつくり、特に映像です。

冒頭のシーンは、そのハディージャの家のリビングルームが昼間の明るさから夜の暗さに変化していく様を固定カメラでとらえています。何時間かを数分に短縮するタイムラプスです。そして、そこにハディージャのナレーションが入ってきます。

正確ではありませんが、「これが私の見ているもの、私が聞いているもの。過ぎた時間が見えます」といった感じで始まり、「ここに見知らぬ人が入ってきたら、何を見て、何を聞くのでしょうか」で終わっていました。うすく屋外のノイズが入っていたと思います。鳥の鳴き声も入っていたように記憶しています(違うシーンかも…)。

このファーストシーンでもうこの映画がどういう映画かわかります。このシーンがぴったりこなければきっと眠くなるでしょう(笑)。

不思議なカメラ位置のショットの意味は…

この後は、ハディージャが職場の仲間たちと談笑するシーンや清掃シーンがあり、そして、すぐに家路につく流れですのですべて夜の街のシーンとなります。当然暗いのですが、どのシーンもとても美しく撮られています。16mmフィルムで撮っているとのことでその効果が出ているということでしょう。俳優以外の人物はまったく写り込んできませんし、フィックスの画の遠くを車のライトがぼんやり動いていくだけといった感じです。雨に濡れた路上の反射もうまく使っていました。

で、何を意図しているのか判断に迷うシーンが2、3シーンあります。ハディージャは家に帰るために歩き始めるわけですが、なぜか突然、車道を走る車から撮ったような動きのあるシーンがしばらく続いたり、後半になりますと、カメラ位置が人間の目線よりもやや高めで街なかを浮遊するようなシーンがあるのです。

え、幽霊? なんて考えながら見ていました。ゴースト・トロピックのタイトルからということもありますし、ハディージャの夫が10年前に亡くなっているという話が出てきますし、それに映画全体から視点が定まっていない印象を受けていたからだと思います。ハディージャを追っている(見ている…)のが映画のつくり手ではなく、別の存在が追っている想定で作られているような感じがしたんです。それと同じ意味合いですが、ラストの海辺のシーンも誰の目線なんだろうとわけがわからなくなったということです。

ラストシーンの海辺の女性は、一瞬ハディージャの若い頃かと思いましたが、娘だったようですね。どういうシーンなんでしょう、まったくわかりません(笑)。

ハディージャが出会う人々…

ハディージャはムスリムの女性です。後に、夫は10年前に亡くなり、すでに独立した息子と17歳の娘がいると語るだけです。移民ということでしょう。

ハディージャはやむなく歩き始めます。明かりのついたショッピングモールに人影が見えます。ムッシュ…と警備員に声を掛け、ATMでお金をおろしたいと伝えます。警備員は一度はもう閉まっていると断りますが、しばらくしていいよと入れてくれます。

このパターンは最後まで続きます。現実のヨーロッパの深夜の街であれば、ムスリムの女性への偏見や差別もあろうかと思いますが、この映画の中の人々は皆やさしいです。コンビニの店員の女性はそっけない対応ではあっても家まで送ろうかと言ってくれますし、病院の看護師たちもやさしいとは言えないまでも、結局ハディージャの望みをかなえてくれます。

バス・ドゥヴォス監督はこういうところを描きたかったんだろうと思います。

結局、ハディージャは残高不足でタクシー代は引き出せず、警備員が教えてくれた深夜バスに乗ろうとバス停に行き、バスに乗り込むものの突如ライトが消えて運休になってしまい(どういうこと?…)再び歩きます。

ホームレスの男性が倒れているところに遭遇し、声を掛けますが反応がなく救急車を呼びます。

ここはジャームッシュぽいシーンです。ハディージャと救急隊員が搬送される様子見つめる正面からのツーショットのまま二人がポツポツと会話するのです。ハディージャが、犬(ホームレスの飼い犬…)も連れて行くのと尋ねます。救急隊員はここに紐で繋いでおくと答えます。ハディージャが凍死してしまうと言いますと、この男が明日戻ってくるだろうと言います。淡々とした会話ですので、救急隊員の言葉にも冷たい印象はありません。

ハディージャがある家の庭に入っていきます。窓越しに中を見つめるハディージャ、突然ライトがつき、少年(IMDbにはアフガンボーイとある…)が浮かび上がります。少年は口元に手を当てしーとします。道路から何をしていると男の声します。ハディージャは昔ここで家政婦をしていたと言います。男はポーランド人の家政婦が逃げたんだがやらないかと尋ねます。ハディージャは今は企業の清掃員として働いていると答えます。男は去っていきます。

あざとさギリギリの描き方です。

そして、立ち寄ったコンビニの女性店員が家まで送ろうかと乗せてくれた車の中の会話、ここですでに書いた家族関係を語るわけですが、このシーンも噛み合わないようで噛み合っているジャームッシュっぽい会話でお互いの人生を語ります。

女性店員が自分は離婚したと言います。ハディージャがさみしいかと尋ねますと女性店員は笑いで答えるだけです。

ハディージャと娘…

突然、ハディージャが車から路上の娘を見つけたらしく、娘よ、ここで降ろしてと言い、降りていきます。数人の若者たちが楽しそうに話しながら歩いていく後をつけます。若者たちは公園(路上のどこか?…)に座りウォッカ(多分…)を飲みながら話しています。しばらくすると何人かが帰り、娘と男友達だけになります。

二人は互いに意識し合って落ち着かない様子です。男友達が娘に寒そうだ、兄貴のセーターを取ってくると言い、どこか(家が近い?…)へ去っていきます。娘はスマホのカメラで自分を写して見づくろいをし始めます。娘はヘジャブをしていません。

じっと娘を見つめるハディージャは何を思っていたのでしょう。声をかけるわけではなく、そのまま振り向いてその場を離れていくわけですから、娘に何かを言うつもりもないのでしょう。時代は変わっていきますし、娘が自分とは違った人生を歩んでいくことも受け入れざるを得ないということなんでしょうか。

がしかし、ハディージャは、その後たまたま出会った警察官にこの先に未成年にお酒を売っている店があると告げて帰っていくのです。

帰り道に救急病院があります。受付で男性が運び込まれなかったかと尋ねますが、今日はもう終わっているとにべもなく断られます。ハディージャは隙を狙って病棟に忍び込みナーススーションで再び尋ねます。皆そっけないのですが、それでも病室に案内してくれます。ホームレスの男性ではありません。看護師が調べてくれて亡くなったと教えてくれます。

家に戻ったハディージャはベッドに横になります。そして再び冒頭のリビングルームのショットです。今度は夜から朝へと陽が差してきます。

朝なのか、出勤時間なのか、ハディージャがヘジャブをつけて出かけていきます。

そして、海辺で戯れる若者たち、一緒に波打ち際に走っていった娘が立ち止まっています。カメラは後ろ姿に寄っていき、そして横にまわり、微笑を浮かべる(だったと思う…)娘の横顔を捉えて映画は終わります。

ハディージャは地下鉄に乗る前、旅行会社のディスプレイ広告を見ています。

ベルギーと言えばダルデンヌ兄弟…

ベルギーの映画監督といえばダルデンヌ兄弟監督ですが、ここ最近はアラブやアフリカからの移民を題材とした映画を撮っています。

随分違った描き方です。ダルデンヌ兄弟監督はリアリズムですが、このバス・ドゥヴォス監督は印象主義的な感じがします。

もちろん移民たちも常に悲劇的であるはずはなく、こうした日常風景があるということだと思います。