感傷的な内容をさらりと描いて好印象、ロベール・ゲディギャン監督
ロベール・ゲディギャン監督が「フランスのケン・ローチ」と言われているとの宣伝コピーがありましたので、疑り深い私は(笑)海外のサイトを調べてみました。
すみません、確かにそうしたニュアンスで語られている批評がたくさんありました。
ずいぶん演劇的な…
このブログには「キリマンジャロの雪」のレビューがありませんし、それ以前の「マルセイユの恋」は1996年で思い出すこともできず(笑)、あるいはロベール・ゲディギャン監督の映画は初めてかも知れません。それなのにこの映画が目に止まったのは、関連映画の一覧に「マルクス・エンゲルス」があったからですが、これは監督ではなく製作でした。
で、「フランスのケン・ローチ」云々ですが、この映画に関する限りではその印象はありません。
ケン・ローチ監督の映画とは違い、この映画の登場人物は皆インテリですし、またあまり生活感がありません。60代(50代?)の兄弟姉妹が父親が倒れたことを機に生まれ育った地に戻り、それぞれが自分の人生を問い直す話です。割とあっさり描かれていますが、内容自体は登場人物の年齢相応の感傷的な話です。
次男のジョゼフが、過去に自分が関わってきた労働運動について、工場から(違う言葉だったが…)離れられない人たちがいることを知って愕然とした(ニュアンスが違うかも)と語る台詞が典型的で、ジョゼフは学者ですし、長女のアンジェルも有名な俳優です。長男のアルマンは父親の始めたレストランの跡を継いでいます。
それに映画の手法がケン・ローチ監督とは随分違います。ケン・ローチ監督は物語を語るタイプですが、この映画のゲディギャン監督は、映画全体の物語を語るよりも各シーンごとの構図や人物の出入りにかなりこだわりがあるように感じられます。台詞、あるいは人物の表情が語る言葉をかなり重要視しているようです。
それらが随分演劇的に感じられます。
そうしたつくりに興味を持てれば面白いのですが、全体として見れば、それぞれのシーンの物語性が次のシーンに引き継がれていかない感じがします。ですので、映画全体としてややぼんやりしており、ケン・ローチ監督のような力強さはあまりありません。
ネタバレあらすじとちょいツッコミ
父親モーリスがテラスでタバコを吸っています。灰皿に灰を落とす手のカットになり、手が震え始め、異様な力でテーブルの端をつかみます。
意識を失い倒れたということですが、その直前に辺りを見て「ひどすぎる」とつぶやいています。その後集まる息子娘たちが、昔はにぎやかだったが寂れてしまったなどと言っていますのでその意味合いと、おそらく漠然とした時代の流れも含んでいるのでしょう。ただそうした具体的な描写はありません。
ロケ地は Calanque de Méjean
場所の設定はマルセイユ近郊の漁村とのことで、主なロケ地は Calanque de Méjean というところです。マルセイユの対岸、直線距離で12、3kmの村です。
映画の中に頻繁に出てくる高架橋も見えます。ミラマからエスタックまでの路線です。
いいところですね。現実は寂れているわけではないとは思います。
アンジェラ、アルマン、ジョゼフ
アンジェル(アリアンヌ・アスカリッド)がタクシーで故郷の地に降り立ちます。兄のアルマン(ジェラール・メイラン)が迎えます。妙にぎこちないです。次兄のジョゼフ(ジャン=ピエール・ダルッサン)がやってきてハグします。ジョゼフは、僕の若すぎる婚約者だとやや自虐的に30代(かな?)の女性ヴェランジェール(アナイス・ドゥムースティエ)を紹介します。ヴェランジェールはアンジェルに映画は全て見ていますみたいなことを言っています。
しばらくは説明的な台詞で物語の概況が語られます。
父親は回復が不可能で寝たきり状態です。アルマンが面倒をみると言っています。アルマンは父親のためにレストランを継いだようですが、それが望んだことなのかどうなのかははっきりしません。
アンジェルは有名な俳優でパリで暮らしており、20年この地を踏んでいません。なにかトラブルがあったらしく、それには父親が関係しているようです。
ジョゼフは、ヴェランジェールから別れを切り出されていますが未練があるようです。ヴェランジェールは父親と面識があるようなことを言っていますので、ジョゼフは度々この地を訪れているのでしょう。
という三人の兄弟姉妹の人間関係を軸に話が進むんだろうと思ってみていてもどうやらそうでもなく、実際、具体的に父親をどうするかを話し合ったりするシーンもありませんし、三人が、たとえば言い争ったり喜び合ったりするシーンもありません。なにか映画的なコトが起きるのは外部からです。
隣人夫婦の死
まず隣人のマルタンとスザンヌ夫婦、おそらく父親とも親しくよく行き来していたと思われます。1、2シーン、三人のもとを訪ねるシーンがありますが、特にこれといったことがあるわけでもなく、どういう意図なんだろうと不思議に思っていましたら、突然、コトが起きました。
夫婦で自ら命を絶ったのです。そのシーンの前に薬のカプセルを包装シートから取り出して、たくさん入っている箱にさらに入れるシーンがあり、その行為の意味がよくわからなかったのですが、翌朝なのか後日なのか、息子のイヴァンが訪ねますと二人が手を握り合ってベッドに横たわっているのです。
こういうシーンの描き方が特徴的です。イヴァンは特別騒ぐこともなくじっと立って二人を見つめています。そこにアルマンがゆっくりフレーム・インして同じようにじっと見つめています。しばらくするとそこにジョゼフ、あるいはアンジェルが入ってきます(正確ではありません)。
こういうシーンのつくりが多かったと思います。そうしたことに気づくまでの序盤は、映画が説明的でもあり正直退屈でしたが、その手法がわかってからの中盤以降は興味深く見られました。感傷的になりがちなシーンを淡々と描いているのがとてもいいです。
アンジェルが20年戻らなかったわけ
淡々と言えば、映画の中心的なことかと予想していた、アンジェルが20年間故郷に足を向けなかったわけもさらりと明かされています。20年前、おそらく俳優という仕事柄でしょう、娘を父親に預けていたのですが、父親が目を離したすきに海に落ちて溺れ死んだということです。
フラッシュバックの1、2シーンで明かされています。誰かがそれについてなにかはっきりしたことを語るわけではありません。アルマンがアンジェルに遺産相続の話をする際、父親はお前に多く残していると言い、アンジェルがいらないわよ、3等分でいいと答えるシーンあり、後々ああそういうことだったのねとわかります。
アンジェルに恋するバンジャマン
漁師のバンジャマンという男性がいます。年齢は30代後半というところかと思います。アンジェルに恋しています。年齢はおそらく20、30歳離れているでしょう。
二人が過去に面識があるのか、たとえば20年(以上)前に会ったことがあるのか、アンジェルの舞台を見たのがいつの頃なのか、そうした細部は語られませんが、バンジャマンはマルセイユで見た舞台上のアンジェルに恋していまい、以来ずっと恋い焦がれています。
ある日、全員でのディナーの後、海辺を歩く二人、バンジャマンがアンジェルに愛を語ります。母子ほども年が違うと無視されようともひたすら愛を語ります。アンジェルが演じた舞台の台詞を暗唱し思いを伝えようとします。アンジェルは冷たくあしらい、しつこく迫るバンジャマンに、あなたは私の演じた中国娘に恋しているだけよと頬をはたきます。
バンジャマンが見た舞台はブレヒトの「セチュアンの善人」です。こういう選択にもゲディギャン監督の思いがあるのでしょう。
どんなに冷たくされようが笑顔で愛を語るバンジャマンの姿は、当事者の女性の側に立ってみればとても気持ち悪いものだと思いますが、これは映画ですのでどこか微笑ましさを感じてしまいます。
バンジャマンは、後日、花を持って謝りに行きます。そしてまた後日、アンジェルがバンジャマンの住まいを訪ねます。部屋にはアンジェルが出演した舞台や映画のポスターが一面に貼られています。アンジェルはまだ私のことを思っている?(のような台詞)と言い、ふたりは結ばれます。
アラブの難民の子どもたち
軍人や警察官が不法移民の船が見つかったと不審者を見なかったかと調べにやってきます。ジョゼフが敵対心を顕にしています。具体的なことは語られませんが、ジョゼフは労働運動の闘志だったようです。
アルマンが山の茂みに隠れている難民の子ども3人を見つけます。家に連れて帰り、食事をさせ、皆で風呂に入れます。
子どもたちに不安や怖れの表情が見られないのがちょっと気になりましたが、服を着替えさせようとしますと手を握りあって離さないのでハサミで服を切ったり、逆に着させる時には反対の手を握らせて片方ずつ手を通させたりすることにホロリとさせられます。早く気づけば切らなくてもよかったのにとも思いましたが…。
当然ながら、軍隊や警察に報告するなんてことはありません。
そして三人は…
難民の子どもを匿うことが三人の変化の決定的なこととして描かれているわけではありません。それぞれがそれぞれに少しずつ変わっていき、言い方をかえれば過去(の気持ち)に戻っていき、父親のもとに留まる決心をします。
ジョゼフは別れを告げられているヴェランジェールへの思いを断ち切れずに、おそらく父親が倒れたことを口実にして同行させたのでしょう。言うなれば、ジョセフの執着は自分の過去への執着であり、それは若さであったり、マルクス主義者(多分)としての自負なんだろうと思います。
ヴェランジェールはジョゼフがカッコよく見えたと語っています。そりゃそうでしょう。たとえそれが過去のものであっても権力と闘う姿はカッコいいものです。しかしそれが過去のものである限り、現在を知ればそのギャップに恋も覚めるでしょう。
この帰郷を経て、やっとジョゼフは気づきます。ヴェランジェールに別れを告げ、アルマンとともに父親の面倒をみることにします。
アンジェルはエージェントに電話を入れツアー(舞台のかな?)をキャンセルします。引退するわけではないのでしょうから、時々戻ってこられる時間を取ろうということでしょう。愛してくれるバンジャマンの気持ちも素直に受け入れています。
現実的に可能かどうかはわかりませんが、三人で難民の子どもたちを育てるつもりなのかも知れません。あるいは両親を探すつもりなのかも知れません。
ラストシーン、三人は子ども時代のようにお互いの名前を空に向かって呼び合います。その声は高架橋のアーチに響き村を覆い尽くすかのようです。それまで一貫して無言であった難民の子どもたちが「ありがとう(アラビア語、多分そういう意味)」と呼応して空に向かって声を上げます。
静かではありますが感動的なエンディングです。
Ki lo sa?
途中、フラッシュバックで挿入される若いころの三人の映像があり、ん? 本人たち? というシーンがあります。あまりに全員が本人たちの若いころの印象でしたのでどういうことだろうと調べましたら、「Ki lo sa? (1986) – IMDb」という映画のワンシーンだったそうです。
ロベール・ゲディギャン監督は多くの映画をエスタックという土地を舞台に撮ることもそうですが、俳優も同じ俳優を使うことが多いようです。
過去の作品が見たくなる
「キリマンジャロの雪」を見てみようと思います。
「マルセイユの恋」はVHSしかないようで難しそうです。