感動するか、あまりの作り込みに引くか、あなたはどちら?
こういう映画は苦手だなあ…(笑)。
なにがって、全編、ストーリーを説明されているような映画ですし、それに、なんだか壇上から教訓話を聞かされているような窮屈さを感じません?
それもそのはずでした。
この映画、二世代にわたる二つのルーツが合流(合体?)して誕生した人物が、その二世代、つまり、おじいちゃんおばあちゃんたちの出会いから自分の誕生までを語っている映画なんです。
映画は四章に分かれており、その変わり目や大きな出来事のたびに語りが入りますので誰なんだろうとは思っていたんですが、ラストシーンは、その人物 Elena Dempsey-González(エレナ・デンプシー・ゴンザレス)が聴衆を前にして自らの自伝小説『Life Itself』を朗読しているシーンでした。
ですので、物語は、ニューヨークでウィル(デンプシー)とアビーが出会い、ディランが誕生、一方、アンダルシアではハビエル(ゴンザレス)とイザベルが出会い、ロドリゴが誕生、そして成長したディランとロドリゴがニューヨークで出会いエレナ・デンプシー・ゴンザレスが生まれるというお話です。
これだけならまあ当たり前の話なんですが、すごいのはディランとロドリゴの誕生と出会いが運命的、いやいやそんな言葉ではとても言い尽くせない、超絶?運命的出会いになっているのです。
アビーは、お腹にディランを宿しそろそろ臨月かという時に信号無視のバスに追突され、ディランを残して自身は亡くなります。
なぜバスが信号無視をしてきたのかなあと気にはなっていたんですが、映画の中ほど、第三章の終わりくらいに明かされます。
なんと! バスの暴走のきっかけとなったのが、たまたま両親とともにニューヨークに旅行に来ていた5,6歳のロドリゴの行動だったのです。
すごいドラマを考えたものだと思いますが、さらにすごいことに、成長したディランと、その時ニューヨークの大学に来ていたロドリゴが出会うのが、事故のあったまさにその場所なんです。
ちょっとやりすぎ(笑)。
さすがにその後の二人を描くことはなく出会いのシーンだけで終えていました。いくらなんでもこれ以上やっちゃいけないだろうと思ったかどうかはわかりませんが(笑)、私はすでに第四章あたりからかなり引いていました。
第一章はウィル(オスカー・アイザック)とアビー(オリヴィア・ワイルド)の出会いと絶望です。
ここではアビーがボブ・ディランの熱烈なファンという設定で、アルバム「Time Out Of Mind」のことや音楽自体がかなり引用されています。ただ、あまり音楽が効果的に使われている印象はありません。個人的な感覚ですが、こういう映画にはボブ・ディランの曲は合わないです(ゴメン)。
この章では最初からどことなく不穏な空気を醸し出しています。というのは、ウィルのアビーへの愛情の深さが強調されていますので、これはヤバイ!と気になって、ストーカー話かな(それはないけど)などと考えていましたら、先に書いたように、アビーが交通事故で死んでしまい、その後のウィルの絶望がこの章の中心になっています。
ウィルはセラピスト(アネット・べニング)のセラピーを受けています。
このシーンが結構長く、結果として物語の焦点がぼけているように思いますが、これはおそらくアネット・ベニングをキャスティングしたせいでしょう。もったいないキャスティングです。
この章の最後に、ウィルはセラピストの前で拳銃自殺します。これが不穏の結末でした。
第二章はウィルとアビーの娘ディランの話、もちろん名前はボブ・ディランからのものです。ウィルの父親に育てられたディランはパンク・ロッカーになっています。
まあロックというものは哀愁を内に秘めたものなんですが(そうか?)、その見た目の派手さとは裏腹にディランも孤独を感じているようです。
母親の事故現場のベンチに座って消沈しています。記憶があるわけはないのですが、映画ですから違和感はありません。
第三章、突然アンダルシアに飛びます。なに!? とは思いますが、そろそろ、ここらあたりで物語の輪郭が見え始めます。
アンダルシアのオリーブ農園で働くゴンザレス(セルヒオ・ペリス=メンチェータ)は実直な性格で雇い主のサチオーネ(アントニオ・バンデラス)に認められ責任者に任ぜられます。
アントニオ・バンデラスさん、もう60歳近いんですね。髭もじゃで全然わかりませんでした。
ゴンザレスはイザベル(ライア・コスタ)と結婚しロザリオが生まれます。
このライア・コスタさん、何かで見た俳優さんと思いながら見ていたのですが、「ヴィクトリア」でした。映画は思い出せなかったんですが、記憶しているんですから印象深かったんでしょう。
サチオーネがゴンザレスに身の上話をするシーン、長かったですね。おそらく、これもアントニオ・バンデアラスをキャスティングしたせいでしょう。この映画にはこういうあざといところが結構見受けられます。
で、そのサチオーネはなんだかんだ自分の過去(省略)もあってか、ロザリオ(実はイザベル)に執着し、ゴンザレス家族の中に入り込んでゆきます。サチオーネに勧められたゴンザレス一家はニューヨークへ旅行します。
そして、バスの中、スペイン気質(かな?)のロザリオは、バスの前方から前を見ようと乗客に愛想を振りまきながら運転席に近づきます。ロザリオに気を取られた運転手、その瞬間、交差点の信号は赤に、そして、交差点の横断歩道にはアビーが立っています。
バスの窓からその瞬間を見たロザリオは、アンダルシアに帰った後もそのトラウマに悩まされることになります。
そして、それはゴンザレスとイザベルの不和に発展し、ゴンザレスはサチオーネに後を託して去っていきます。
こんなことは考えにくいのですが、これは映画ですからそれもありなんでしょう。
第四章は成長したロドリゴのニューヨーク生活です。
このあたりになりますとほとんど興味を失っていますので(ゴメン)、ざっと流しますと、ロドリゴには恋人もできますが、これは運命の人ではない(オイオイ)などと字幕が入っていたりします。後に別れます。
母親イザベルに病気(ガンでしょう)が発覚します。ロドリゴに知らせようとするサチオーネに、イザベルはニューヨークに送り出した時にすでに別れはすませていると言います。サチオーネはゴンザレスを呼び戻します。感動的な(?)別れがありイザベルは死にます。
ロザリオはその知らせをニューヨークで受け取ります。気落ちしてとぼとぼと歩くロザリオ、ふと立ち止まった眼の前にベンチで涙を流す女性、「大丈夫?」、第二章のラストシーンのディランが振り返ります。
で、一気に語りで、ふたりはその後結婚し、何人(と言っていたかな?)の子どもをそだて幸せに暮らしましたとさと語られ、エレナ・デンプシー・ゴンザレスが朗読を終えるシーンで終わります。
個人的感覚の差はあれども、さすがにこのつくられた感動話には多くの人は引くでしょう。キリスト教的世界観ではそうでもないかな…。
ダン・フォーゲルマン監督はタランティーノ監督を尊敬しているらしく「パルプ・フィクション」へのオマージュシーンが入っていました。