リモノフ

私にとってロシアのジョーカーだった、とキリル・セレブレンニコフ監督は語る…

ウクライナ出身の実在の人物エドワルド・リモノフを「インフル病みのペトロフ家」「チャイコフスキーの妻」のキリル・セレブレンニコフ監督が独自の視点で大胆に描いた映画、昨年2024年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品されています。

リモノフ / 監督:キリル・セレブレンニコフ

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ネタバレあらすじ

そもそもリモノフって誰だ? というのが日本では一般的じゃないかと思います。私も、え、誰? と検索しました。

Eduard Limonov - 2018
Dmitry Rozhkov, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

言われてみれば見たことがあるかも知れない、名前も目にしたことがあるかも知れないという程度です。

で、映画はそのリモノフことエドワルド・ヴェニアミノヴィチ・サヴェンコの伝記ということになっており、時代と場所などは史実だと思いますが、映画が描いている人物像はキリル・セレブレンニコフ監督、あるいは原作であるエマニュエル・キャレール著『リモノフ』の創造的創作だと思います。本人に自伝的な著作もあるようですのでそうしたものからの引用もあるのでしょう。

映画のつくりはコラージュ映画ですのでストーリー自体にあまり意味はありません。キリル・セレブレンニコフ監督がリモノフという人物をどう見ているか、あるいは今のロシアをどう見ているかという映画かと思います。

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ハルキウ、モスクワ時代(1960年代~1974年)

映画は基本的に時系列に沿って進みますが、映画冒頭は1980年頃、リモノフ(ベン・ウィショー)がアメリカからパリに移った頃のテレビかラジオのインタビューシーンから始まります。インタビュアーにリモノフの発音が違うと何度も文句を言っています。リモノフはペンネームであり、ロシア語のレモンやレモネードをイメージさせ、またレモンはその形からの連想でしょうか、俗に手榴弾を意味するそうです。

その後ロシアに戻った1991年頃のシーンも挿入されます。壇上のリモノフが一般大衆からの質問を受けています。女性が「以前は反体制だったと思うが今では官僚のようだ、心が張り裂ける」と言いますと、リモノフは「あなたの心なんかどうでもいい」と答えます。

この2つのシーンのどちらも時系列に沿った流れの中で続きのシーンが入ります。

で、時系列に沿い、ウクライナのハルキウから始まります。1943年生まれですので1960年代の20歳頃のシーン、工場で働き、詩を書いていると言っています。しかし、その詩が評価されることはなく、自分の才能を認めない世の中が悪いと言わんばかりに自信たっぷりです。

1966年、モスクワに移ります。文壇サロンに出入りしながらも周りの人物を似非文学者だとうそぶいています。詩を朗読しますが評価されません。

このモスクワパートは妻となるエレナ(ヴィクトリア・ミロシニチェンコ)との出会いと二人の関係、主にセックスシーンが描かれていきます。

サロンでエレナを見かけたリモノフは高嶺の花だと言われながらも近づき、いいジーンズねと言われ、君にも仕立ててあげようと言い、メジャーがないからと手で採寸し、そのままセックスに移行していきます。ウィキペディアにはリモノフは実際に服を縫うことでお金を稼いでいたとあります。

その後、エレナに執着するリモノフは、彼がきているから来ないでと言っているにも関わらず押しかけて、ドアの前で手首を切るという大芝居を打ち、その後二人は結婚します。

二人のシーンはほぼ激しいセックスシーンばかりで、たとえばそれまでも盛んに批判しているソルジェニーツィン(1970年ノーベル文学賞受賞…)のテレビ映像を見て、罵りながらセックス(多分アナル…)したりします。

そして二人はニューヨークへ移ります。KGBからスパイになるか国を離れるかの選択を迫られるシーンがあります。そうした記述はウィキペディアにもありますし、いずれかの自伝的な本に書いているのかも知れません。

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ニューヨーク、パリ時代(1974年~1991年)

伝記という意味ではこのパートが一番わからないパートで、描かれるのはエレナとの別れと絶望したリモノフがホームレスの男性に執拗に迫ってセックスをし、捨てないでくれと懇願するシーンが目立っています。

リモノフがニューヨークの街を自信たっぷりに歩き回るシーンはワンショットで撮ったシーンなどは画としてはそれなりに見応えはあります。1970年代のニューヨーク・パンクの雰囲気です。

その間、エレナはモデルとして売れており、しかしリモノフが世に認められることはありません。そして、ある日、リモノフはエレナから別れを告げられ、絶望し、街をさまよい、そしてホームレスとのセックスシーンとなります。

ニューヨークパートの後半ではリモノフが富豪の執事として働いています。これは事実とのことで、結局、リモノフがニューヨークで作家として評価されることはなかったということです。

そして、1980年頃、リモノフはパリに移ります。

パリでは、1979年にパリで出版されたリモノフのデビュー作『It’s Me, Eddie』が評価されています。これは自身のニューヨークでの実体験にもとづいてニューヨークで執筆されたものです。また、1987年には同じくニューヨークでの執事の経験から『His Butler’s Story』を発表しています。

やっと世に認められたリモノフです。それが映画冒頭にそのさわりが描かれていたパリでのインタビューシーンに現れています。このシーンではこの映画の原作者であるエマニュエル・キャレールさんが対談相手のフランス人知識人としてカメオ出演しているそうです。このシーンでは自信たっぷり、あるいは横柄にも見えるリモノフが別の出演者の頭にワインボトル(だったか…)を叩きつけています。

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ロシア時代(1991年~)

そして1991年、リモノフはロシアに帰国します。

ソビエト連邦は1989年の象徴的なベルリンの壁崩壊があり、1991年12月には正式に解散し、ロシアはロシア連邦となっています。

このパートはかなり端折って進み、これも映画冒頭にさわりがあったリモノフ帰国後の集会シーンに始まり、その後は政治活動に走る姿が描かれていきます。

国家ボリシェヴィキ党を創設し、武装集団も抱えています。2001年に拘束され、その後収監されます。

刑期を終えて釈放後も政治活動を続けるリモノフです。

そして映画はその後のリモノフの行動をスーパーで入れて終わります。

リモノフはロシアによるクリミア併合を称賛し、現在も続くウクライナ戦争では初期のドンバス地方侵略に民兵を送り込んだり、実際に本人が直接行動を起こしたと語っています。

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感想:ロシアのジョーカーだった?

映画から見えてくるエドワルド・リモノフの人物像はエキセントリックな人としか言いようがなく、また描き方そのものにも、もしキリル・セレブレンニコフ監督がこの人物に魅力を感じているとするならば、その作家性や政治性にではなく、ただ一点そのエキセントリックさにではないかと思えます。

映画が、その著作や最もこの人物が注目された2000年代の政治活動にはほとんど触れていないことがそれを現しています。映画が尻切れトンボに感じられるのもそのせいだと思います。

実際、この映画に描かれているシーンが実際にあったことであると検証する方法はなく、せいぜいが自伝的な著作からではないかと思われ、これを持ってリモノフという人物を語ることはできません。

で、問題は、はたしてこの映画を見てリモノフを魅力的に感じる人がいるんだろうかということで、おそらく多くはいないだろうと考えれば、キリル・セレブレンニコフ監督は何をしたかったんだろうという疑問が湧いていきます。

魅力的に描こうとしているようにも見えない、逆に批判的に描いているわけでもないとするならば、ロシア人であり、現在は他国で生活することを余儀なくされているキリル・セレブレンニコフ監督にしかわからないなにかをリモノフに感じているということだと思います。

本人へのインタビュー記事を読みますと、リモノフは何者かとの質問に「For me, he was a Russian Joker. 私にとっては彼はロシアのジョーカーだった」と答えています。過去形になっているのは「He was very influential in the 1990s in Russia, the time of my youth. 彼は私が青春時代を過ごした1990年代のロシアではとても影響力のある人物でした」ということです。さらに続けて

He was attractive — he looked and behaved like a rock star. A lot of young people read Limonka, the newspaper he published in the anti-West tradition. He called himself a Self-[Declared]-Russian-Fascist.
彼は魅力的で、見た目も振る舞いもロックスターのようでした。多くの若者が、彼が出版していた反ヨーロッパを標榜する新聞「リモンカ」を読んでいました。彼は自らを「自称ロシア・ファシスト」と呼んでいました。
The Moscow Rimes 2024.7.15

と語っています。

キリル・セレブレンニコフ監督にはリニモフにある種のあこがれがあるということのようですし、あるいはそれはリニモフと同様にソビエト連邦下のロシアへの憧憬かも知れません。ただ、仮にそうだとしても、若い頃に憧れていた人物がその後自分自身の考えとは異なった行動を取ったことに対する混乱があるのでしょう。

インタビュー記事では他に1970年代のニューヨークを映像化することが大変だったとも語っています。そりゃそうですよね、ソ連邦崩壊時、キリル・セレブレンニコフ監督は22歳です。

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ベン・ワイショー、キリル・セレブレンニコフ

ところで、この映画、全編英語で撮られています。それに答える別のインタビュー記事もありますが、あまり答えになっていません。かなり違和感を感じましたが営業面の判断かも知れません。それとリモノフを演じたベン・ワイショーさんとの関連からかも知れません。

この映画のベン・ワイショーさんは俳優としては評価できるものですが、リモノフという人物にはちょっと線が細すぎる感じがします。

そして最後にキリル・セレブレンニコフ監督の近況です。

今年2025年カンヌ国際映画祭ではカンヌ・プレミアとしてアウシュヴィッツで数々の人体実験を行ったというナチスの医師ヨーゼフ・メンゲレの物語を描いた「The Disappearance of Josef Mengele」が上映されています。コンペティションではありませんので注目度は低いですね。

また、キリル・セレブレンニコフ監督は舞台の演出もたくさん手掛けており、今年の4月にはベルリン・コーミッシェ・オーパーでオペラ「ドン・ジョヴァンニ」、6月にはアムステルダムでオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」を演出しています。

と忙しく飛び回っているらしいキリル・セレブレンニコフ監督です。

ですが、映画としては「LETO レト」のようなきっちりとつくられたセンスのいい映画を落ち着いて撮って欲しいものです。

ソ連邦崩壊前の1980年代にカリスマ的な人気を誇ったロックバンド「キノー」のデビュー前のエピソードを描いた映画なんですが、ロックをかてに自由を求める若者たちの姿が切ない恋と友情で描かれています。