B級狙いなのか何なのか、狙いがわからない
惜しいー!
15分くらいは面白くなりそう! と期待したのに…。
何かと話題の多い映画です。東京五輪が中止になるという映画の設定に自民党国会議員がクレームをつけたとか、それが炎上商法だとか、ピエール瀧さん逮捕であるとか、ただ、そのどれもが映画そのものの話題ではないところがつらいところです。
なぜ今、麻雀放浪記? とは思いますが、おそらく企画者の中に麻雀ゲームにはまっている人がいるのでしょう(笑)。なので、この映画、阿佐田哲也著『麻雀放浪記』を期待して見にいってはいけません。
ああ、なんだ、原案:阿佐田哲也なんだ…、という映画です(笑)。
ただ、冒頭に書きましたように、あ、面白いかもと一瞬思ったんです。何かといいますと、坊や哲(斎藤工)が戦後すぐの闇市の時代から2020年にタイプスリップしてくるのですが、そのスラム的な空間が、もちろんセットでしょうが、ブレードランナーっぽ(くいけるかもしれな)い! と思ったんです。
さらに、その後何シーンか現在の町中でのロケシーンがありますが、それがスラム的なセットと違和感がないんです。
昔(1989年でした)、リドリー・スコット監督の「ブラック・レイン」という映画があり、これ、松田優作さんの遺作になってしまった映画なんですが、この映画の舞台が大阪で、当時の大阪の町でのロケシーンがまるでブレードランナーのようにサイバーパンク化していたのです。
そうした映画を(一瞬)期待してしまったということです。
でも残念ながら、ほぼ全編単純なギャグ映画でした。
『麻雀放浪記』の坊や哲が一世一代の勝負で五筒をつもって九蓮宝燈! と思った瞬間に雷が落ち、2020年にタイプスリップ、その年予定されていた東京オリンピックは第三次世界大戦勃発のために中止となり、代わりに開催された麻雀オリンピック(だったかな?)で、ドサ健、出目徳、ママを模したキャラと対戦し、再び雷が落ちて過去に戻っていくというお話です。
ストーリーの凡庸さはともかく、やっていることすべてが中途半端で何も残りません。
社会風刺のつもりなのか、オリンピック中止、第三次世界大戦、さらに公式サイトによれば、「少子高齢化に伴う人口減少、マイナンバーによる過剰な管理社会、AI導入がもたらした労働環境破壊、共謀罪による言論統制」の2020年だって? 映画はそんなこと何も語っていません。
そういう設定ですよと言われても、映画自体にそう感じさせ、そこに意味があると伝わらなければ、それは単なるお題目でしかなく、皮肉にも風刺にもなりません。
いずれにしても、つくり手が本当に今の社会に疑問や怒りを持っているようにはみえません。
コメディとの売りもあるようですが、どうなんでしょう? 少なくとも(私の好きなおバカ系)突き抜け感はありません。オナラで笑わせようとしたり、ふんどし何とかでデビューさせたりするギャグはちょっとばかり低レベル過ぎやしませんか。
ギャグはB級なのに映画自体はB級映画に成りきれていない中途半端さがあります。コントをつなぎ合わせたような作りとでもいいますか、坊や哲くらいギャグらせないで1945年キャラで(映画的に)突っ走ればいいのにと思います。
地下アイドル系キャラのドテ子(もも)、事務所の社長クソ丸(竹中直人)がドテ子に売春させて仕事を取らせたり、こいつは誰にでもどこででも(ドテでも)やらせるからドテ子なんだとか言わせたり、未だにそういう人物設定しかできない、特に女性にそういう役回りをさせるセンスが理解できないです。クソ丸のキャラもそうなんですが、そうした使い古された人物設定しかできなければその程度の映画にしかなりません。
といった感じで、ちょっと深く考えようとしますと何だこの映画!? とあれこれきりがなくなる映画なんだと思います。ウケ狙いではなく、よくも悪くももう少しきっちりとした映画、坊や哲に言わせれば、きりきり胃の痛くなるような命をかけた映画を見たいものです。
書き出しに「惜しいー!」なんて書きましたが、全然惜しくなかったですね(笑)。