麻希のいる世界

深層なき愛憎うずまく青春音楽物語かな

塩田明彦監督の映画を初めて見ました。すごいですね。先が読めないですし、その先はと言えばとんでもないことのほうが多いのですが、ああ、こういうこともあるかもしれないなあと妙に納得がいきます。青春音楽映画のようにもみえますが、「青春」にも「音楽」にも甘えていないところがいいです。

麻希のいる世界 / 監督:塩田明彦

先が読めない展開の意味

すごいなあと思いつつも残るものは多くありません(ペコリ)ので、細かいところはもうかなり飛んじゃっていますが、たとえば、軽音楽部の教室ライブのシーンで由希と麻希が演奏する予定なのに、麻希がすっぽかし由希がひとりで下手なベースだけでマイクの前に立ちます。そのシーンへの振りとしては、由希が祐介や部員たちの前で大見得を切っていますので、麻希がやってくる来ないは置いておいても、普通、ドラマとしてはなにかことを起こすでしょうし、なにかフォローのシーンを入れるでしょう。

でも、塩田監督は何もしません。マイクの前の由希が下手なベースをベンベン(これは津軽三味線か?)と弾くワンカットだけです。フォローするシーンにしてもアルバイト先のボーリング場でなぜ来なかったの? と聞いたかどうかも記憶が曖昧ですが、答えにしてもちょっと斜に構えたような答えだったと思います。

ほぼすべてがこんな感じで物語は進みます。そもそも、由季が難病を抱えているその難病が何であるかも、麻希が学校内でどういう存在であるかも映画は何も語りません。

でも、最後まで集中して見られます。その点ではとてもうまい監督だと思います。不必要だと思う説明はすっ飛ばし、こうなるだろうと予想される展開は意識的に外し、え?どういうこと?という疑問と、えっ、そうなのという驚きの微妙なバランスで作られた映画です。

ただ、やりすぎている感が強く、時々そのバランスが崩れそうになるところをかろうじて俳優、特に由希の新谷ゆづみさんの熱量が救ってはいるのですが、やはり、これまで由希は麻希を知らなかったわけではないのになぜ突然執着し始めたのかというその映画の核心がはっきりしないまま終わっていますので、結果残るものが少ないということになるんだろうと思います。

由希がみている「麻希のいる世界」が結果としてよく見えないということです。

大人の愛憎関係

映画はほぼ3人の関係で作られています。由希(新谷ゆづみ)、麻希(日髙麻鈴)、祐介(窪塚愛瑠)の3人です。裕介は軽音楽部の部長、由季は今はやめているようですが部員だったこともあります。そして、麻希には音楽の才能があるという音楽を介しての物語となっています。

ということですので、普通なら青春音楽映画としてスカッとした映画になりそうなんですがそうはなりません。なぜなら、その3人の関係に大人の愛憎関係が反映されているからです。10代の子どもたちに愛憎がないという意味ではなく、愛憎の深層が描かれないまま行為のみが子どもたちによって行われているということです。

もちろんそれを反映させているのは大人たちです。3人を取り巻く大人たちの設定がさらにその3人の関係を補完しています。由希の両親は離婚しており由希は母親と暮らしています。裕介の父親は由希の母親と不倫関係にあり、映画の後半で離婚し、由希の母親ともうまくいかなくなったといい別れています。麻希の父親は未成年者への性犯罪で服役(多分)しており、映画の後半に出所しています。

こうした大人たちの人間関係は言葉として語られるだけです。意味のある人物として登場するのは裕介の父親宗介(井浦新)だけで、なぜその宗介だけを登場させているかと言いますと、由季の主治医ということもありますが、息子の知り合いである高校生の麻希と関係を持ってしまう大人の存在を見せたかったからだと思います。

ネタバレあらすじ

まとまった言葉で物語が説明されることはありませんが、映画そのものの語り口と台詞のところどころに挿入されている一言一言で十分わかります。この点はとてもうまいと思います。

誰もいない海辺、由希が海に向かって歩いていきます。ギィーとかなり誇張された音、振り返りますと掘っ立て小屋があり若い男が出てきます。しばらくして麻希が出てきます。

この導入からしばらくは由希が麻希を追うシーンが続きます。ふたりに台詞はありません。運動場のベンチでランチする麻希に近づき、学校帰りに自転車で後を追いかけ、麻希が金物屋でバイトしていると知れば自分も応募します。しかし、麻希は入れ違いにバイトを辞めてしまいます。ランチタイムに運動場に行くも麻希の姿はありません。鍵(ボーリング場の名前が入っていたと思う)が落ちています。由希もボーリング場でバイトするようになり、由希がわざと落としたでしょうと言いますと、麻希は私に近づかないほうがいいよと返します。

ふたりは親しく話をする(ちょっとニュアンスは違うけど)ようになります。由希は病気で一年休んでいたこと、両親が離婚していること、子どものころ両親の喧嘩がいやで家出をして海辺の小屋に3日間こもって、家に帰ったら違う男の人がいたと語ります。麻希は自分の父親は性犯罪者だよ、それも私たちと同じ年の子へのだよと言います。

祐介が由希になぜ自分を避けるのだと追ってきます。由希が祐介を避けるひとつの理由は、自分の母親がつきあっている相手が祐介の父親だからでしょう。祐介は、おれがお前のことを好きなのはわかっているだろうと言っています。

由希は麻希に音楽の才能があるんだから一緒にバンドやろうと誘い、軽音楽部の部室へ行き、部長の祐介に麻希と一緒に入部すると言いますが、祐介はじめ部員のみんなも麻希の入部を認めません。麻希が原因で自殺未遂をした部員がいるからだと言います。由希が、じゃあ次の教室ライブで私たちのバンド(まだないけど)と勝負しようと挑戦状を叩きつけます(そんな感じ)。

由希と由希の友人二人がスタジオで麻希を待っています。麻希が来ないのでドラムがキレています。麻希が来て構わずギターを弾き歌い始めます。トレーラーに使われている「排水管」という曲です。

ところで、ふたりが自転車で走っていく後ろ姿にかぶっていた曲、とても澄んだ声であれも麻希の声だと思いますが、この「排水管」はちょっと力不足かなあとは思いましたがロックでした。

麻希に圧倒されるようにキーボードが加わり、キレていたドラムも入り、由希のベースも入ってきます。ドラムが今度は由希にお前だけ遅れている!やめろ!とキレます。麻希がドラムに上手い下手じゃない、何々だ(なんだったっけ?)と言い、お前こそやめろと返しますと、キーボードとドラムが出ていってしまいます。

軽音楽部の教室ライブです。すでに書きましたように麻希にすっぽかされ散々な由希です。

このあたりから割と唐突にいろんなことが起きます(というか、え、そうなのという感じ)ので、ことの前後はきちんと記憶できていませんが、とにかく由希の麻希への執着は強く、麻希と行動をともにし、麻希が関係を持っている男たちと関係を持ったりします。性行為のシーンそのものはありません。また、実は麻希も軽音楽部に入っていたことがあり、祐介を含む男子生徒4人とつきあっており、そのことでひとりが自殺未遂したということもわかってきます。多分、由希が1年入院している間のことという設定でしょう。

そして由希が祐介を説得したのか、祐介が協力し麻希の曲を仕上げてネットにあげようということになります。祐介の家です。祐介は東京の音楽関係者に送ることも出来るといっています。そして、祐介が仕上げた曲を試聴する日、麻希は祐介に違う、もっとシンプルにしたいとダメ出しします。

そうしたことと並行して、由希はふたりがよりを戻す予感を感じ、麻希はそれを否定もせず、祐介は祐介で由希にお前のことが好きだと迫ったりします。

事故が起きます。祐介の家、麻希ひとりです。麻希がギターのプラグをアンプに差し込んだ瞬間、感電し倒れます。

後日、由希は医師である祐介の父宗介から、麻希は一命はとりとめたが記憶をなくし自分が誰かも覚えていないと言い、事故は祐介が仕組んだらしく警察に事情聴取されていると聞かされます。由希は麻希に会わせて!と興奮し意識を失います(病気のせいで)。

また後日、入院中の由希のかたわらの宗介、由希は言葉を失っています。宗介は麻希がまったく別の地で違う人生を歩むことになった、そして祐介の処分も決まり、自分もこの病院にはいられなくなったと伝えます。

また後日、ボーリング場でのバイトを続けている由希のもとに麻希が関係していた男たちがやってきます。夜、由希は男たちについて海辺に行き、3人の男たちにされるがままになっています。具体的な画はありませんがそういう表現だと思います。

また後日、由希と宗介、宗介が何を言いに来たのか忘れましたが、由希は宗介に麻希と寝たでしょうと言い(筆談で)、麻希と会わせてと強く言います。宗介は一度だけと言い訳しながら麻希の居場所を教えます。

由希はその住所に向かいます。駅前で自転車を盗み(前半に麻希の自転車が盗難車である振りがある)、麻希が帰ってくることを待つ由希、麻希が自転車で帰ってきます。向かい合うふたり、麻希が、友だち?と言い、由希がうなづきながらスマホを出し麻希の曲「排水管」を流します。麻希が私?と尋ね、データをちょうだいと言い、また連絡するねと去っていきます。

この場所ではなく移動していたと思いますが、由希は崩れ落ち気を失います。

思い返せばつくられすぎている(笑)

無茶苦茶つくられすぎている話ですね。でも、見ている時はそんな感じはしません。うまいということです。

それにしても、やはりなぜ由希がそれほどまでに麻希に執着するのかはあまり伝わってきません。性的なものも含んだ恋愛感情ということもあるかもしれませんし、自己破壊的な生き方へのあこがれのようなものもあるかもしれませんし、さらに言えば、死への誘惑みたいなことも考えられなくはないです。行為はいろいろあれど「愛」でしょうか。言うなれば「愛とは破滅的なもの」ということでしょう。

面白い映画でしたので塩田明彦監督の過去の作品も見てみようと思います。