探偵マーロウ

リーアム・ニーソンに古典的な男性像タフでダンディなハードボイルド・ヒーローはあうのだろうか…

リーアム・ニーソンさん、出演作100本ですか、すごいですね。すべてが主演というわけではありませんが、単純に1年に2本撮ったとして50年です。ああ、デビューから45年らしいです。

ただ、この古典的な探偵ものフィリップ・マーロウはリーアム・ニーソンさんに合いますかね…。

探偵マーロウ / 監督:ニール・ジョーダン

リーアム・ニーソンがハードボイルド?

実はフィリップ・マーロウというキャラクターをよく知りません。ハンフリー・ボガートやロバート・ミッチャムが演じたということからの印象とハードボイルドやタフといった断片的な情報からつくられた漠然としたイメージしかありません。

その程度でリーアム・ニーソンさんに合うだろうかなどと言っているわけですからいい加減な話ではありますが、見てみた結果、やはりリーアム・ニーソンさんにはハードボイルドというキャラクターは合わないです。

なんとかタフさは感じられるにしても、やはり「ダンディ、ジェントルマン(公式サイト)」という古典的な男性イメージはなく、どちらかと言いますと行動的で優しい正直者のおじさんという感じです。まあ、私の見ている映画が「96時間」「愛についてのキンゼイ・レポート」「マイケル・コリンズ」「シンドラーのリスト」といったところですので一般的な印象かどうかはわかりません。

それに「ハードボイルド」という男性像自体が現代のものではありませんので、映画化に当たって明確な方針がないと中途半端なものにしかなりません。その点でも何をしようとしたのかはっきりしない映画ではあります。

ストーリーを追っているだけの映画になっています。

黒い瞳のブロンド(The Black-Eyed Blonde)

1939年のロサンゼルス、物語は映画業界の裏話です。

この設定からしてあれこれ策を講じないといけないと思いますがあまりその形跡がありません。冒頭のマーロウのオフィスから向かいのビルの女性を撮った画(だったかどうかもよくわからない…)やそのオフィスをブラインドから差し込む縞々のライティングでなにかしようとしたようですがあまり伝わってきません。

こういう映画はとにかく全編音楽をつけて引っ張っていくしかないんじゃないかと思います。

マーロウ(リーアム・ニーソン)のオフィスに「黒い瞳のブロンドの女性(The Black-Eyed Blonde)」クレア(ダイアン・クルーガー)がやってきます。

原作はブッカー賞受賞作家ジョン・バンヴィルが、ミステリー小説を手がける際の“ベンジャミン・ブラック”名義で著した「黒い瞳のブロンド」。村上春樹の新訳が話題を呼んだチャンドラーの傑作「ロング・グッドバイ」の続編として本家の公認を受けている。

(公式サイト)

クレアの依頼は、自分の愛人(クレアには夫がいるが話に絡んでこない…)ニコが突然いなくなったので探してほしいというものです。クレアの母親ドロシー(ジェシカ・ラング)は超裕福な大物俳優であり、その恋人は駐イギリス大使となる人物でパシフィック映画のオーナーでもあります。クレアの愛人ニコはパシフィック映画の小道具係をしています。

マーロウは元捜査官ですので、警察情報から、ニコが VIP のためのコルバタ・クラブの前でひき逃げにあってすでに亡くなっていることが判明します。コルバタ・クラブのオーナーであるフロイド・ハンソンが死体の身元を確認したということです。しかし、クレアはその後も町でニコを見かけていると言います。

役者はそろったが…

で、役者はそろい、マーロウが真相を暴いていくわけですが、この手の話は麻薬とか密売に決まっている上に、あやしそうなコルバタ・クラブなんてところが舞台ですのでおよそネタは知れています。

がしかし、よくわかりませんでした(笑)。

なぜわかりにくいかといいますと、ニコが絡んでいる麻薬の密売の件が本筋ではなく、本筋はクレアがパシフィック映画の経営権を狙っていることであり、それに関して母娘の愛憎関係が絡んできているからです。ただ、これも多分そうだろうという程度です。

ニコはルー・ヘンドリックスという男の下で麻薬の運び屋や会計処理をやっています。その帳簿がパシフィック映画に驚異になると考え、それを持って逃げています。駐イギリス大使も絡んでいるということなんでしょうか、よくわかりませんが、とにかくクレアはそれを知っています。一方、ヘンドリックスはニコを追っているわけですが、ニコの手助けしているのがクラブのオーナーのハンソンですのでヘンドリックスとハンソンは敵対していることになります。で、なんだかんだがあって、ヘンドリックスもハンソンも殺されてしまいます(マーロウと運転手セドリックが殺してしまいます…)。

で、ラストシーン、ニコが映画会社の倉庫でクレアと会います。クレアは帳簿を受け取り、ニコを殺し、火をつけて、そこに帳簿も撒き散らして燃やしてしまいます。

後日、クレアはパシフィック映画のオーナー(じゃないかも…)におさまり、マーロウに警備責任者とならないかと誘いますが、マーロウは断り、代わりに運転手セドリックを推薦します。

知的な会話の遊びがないと…

なんともすっきりしない映画です。プロット自体に無理があるようにも思います。そもそものニコが小物過ぎますし、その小物とクレアが愛人関係にあったということ自体が不自然ですし、クレアがニコを使ってパシフィック映画を乗っ取ろうとしたということでもなさそうですし、クレアと母親ドロシーの愛憎関係も中途半端で話を混乱させているだけです。

まったくの想像ですが、原作には会話の妙といった言葉の遊びのようなものがあるんじゃないでしょうか。映画の中でもあれこれシェイクスピア(違ったか…)などを引用した台詞がありましたのでそんな感じがします。

それに、この映画でキーとなるべきはクレアとマーロウの関係であって、たとえばクレアがマーロウに誘いをかけ、マーロウはそれをやんわりと退けてなお、ふたりでダンスするあたりこそがこの映画の見せ場とならなくてはいけないような気がします。

その点ではリーアム・ニーソンさんは「ダンディなジェントルマン」ではありませんし、ダイアン・クルーガーさんにはファム・ファタール度が足りないような気がします。