Rodeo ロデオ

新人俳優ジュリー・ルドリューがノンバイナリー的存在感を放つニューシネマ

クロスビトゥームという、バイクの前輪を上げて走るなどアクロバティックな乗り方で公道を疾走するバイカーたちの話です。ただし、それはあくまでも背景であって、映画のポイントはその集団の中に自らの居場所を見つけようとするひとりの女性(あえてこう書くが、実は違う…)の物語です。

Rodeo ロデオ / 監督:ローラ・キヴォロン

ノンバイナリー・シネマ(non-binary cinema)

日本語の「クロスビトゥーム」でググりますとこの映画の記事ばかりがヒットしますが、「Cross Bitume」でググれば動画がたくさんヒットします。フランス語の記事や動画が多いですね。

この「Rodeo ロデオ」もフランスの映画で、監督はローラ・キヴォロンさん、1989年生まれですので現在34歳です。ガーディアン(The Guardian)のインタビューに「自分はノンバイナリー」であり「自分が何ものであるかは日々変わる」と言い、「その分類不可能性こそが重要だ」とも語っています。

ノンバイナリーという価値観は、自分のセクシュアリティを男女二元論に当てはめたり、また、男女二元論でものごとを見たり判断したりしないということですので、この映画のジュリアにこれまでにない人物像が感じられるのはキヴォロン監督のそうした価値観が反映されているからと思われます。

題材としてクロスビトゥームを使っているのは、しばらく前にパリ郊外のヴァル=ド=マルヌ県でライダーグループに出会い、キヴォロン監督自身がクロスビトゥームに魅了されたからであり、その意味ではジュリアはキヴォロン監督の分身でもあると語っています。

ジュリアの暴力性の意味

映画はむちゃくちゃ慌ただしく始まります。しばらくは何がなんだかよくわかりませんが、どうやらジュリア(ジュリー・ルドリュー)がバイクを盗まれたことで大騒ぎをしているということだったらしいです。それがわかっても、そうだったの? と疑問が残るくらいの慌ただしさです。

カメラはハンディで動き回りますし、かなり細かくカットが刻んでありますし、ジュリアを落ち着かせようとする周りの人物(あれは誰?)に当たり散らしまくるといった調子です。

で、ジュリアはネット上の売買サイト、メルカリみたいなものだと思いますが、売り手の元へ行きバイクをかっさらってしまいます。その手口は、試乗しなきゃ買えないとごねて、心配ならバッグを置いていくと言いそのまま逃げてしまいます。バッグには石が詰めてあります。トレーラーの冒頭がそのシーンです。

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バイクを手に入れたジュリアはバイカーたちがたむろする場所へ行き、誰彼構わずガソリンをくれと言って回ります。

このジュリアというキャラクターがすごいんです。バイクを盗むシーンやこのシーンでもそうですが、この挑戦的かつ暴力的な行動パターンは映画の最後まで変わりません。当然、周りの者は腹を立てイライラします。腹を立てるのはすべて男たちです。

キヴォロン監督はこのジュリアというキャラクターをつくりたかったんだと思います。演じているのはジュリー・ルドリューさん、演技経験はなくインスタグラムで見つけたそうです。このジュリー・ルドリューさんがいなければこの映画が生まれていなかったんじゃないかと思います。

実際、ジュリアにはジェンダーを超えた存在感があります。暴力的なのは社会規範に挑戦的ということです。

ジュリアは居場所を求めているわけではない…

ジュリアはバイク集団に加わります。100パーセント男集団です。ジュリアを受け入れる者もいれば、受け入れない者もいます。

ここで重要なのは、ジュリアには受け入れてもらおうとの意志はないということです。このレビューの冒頭に「集団の中に自らの居場所を見つけようとするひとりの女性の物語」と書きましたが、ジュリアは端から集団に入ろうとしていませんし、誰にも媚びたりはしません。自分がいたいと思う場所にいようとしているだけです。

バイク集団は皆非俳優ですので、割と単純で象徴的な人物配置になっています。ジュリアが最初に出会うガソリンをわけてくれた男カイスは、おそらくジュリーに「女性」を見ていたのでしょう。中ごろだったかにお互いに出自を語るシーンがあり、一瞬やばいぞ(笑)と心配になりましたが、ジュリアがまったく変わらず事なきを得ました(笑)。

ジュリアにウィリー(バイクの後輪だけで走ること…)を教える男にアフリカ系の人物をキャスティングしているのも意識してのことでしょう。彼は事故で亡くなります。

ジュリアの存在を快く思わない男たちもいます。俳優ではないということもあるのでしょう、誰とは明確になっていませんが、ジュリアが暴行されるシーンがあります。ジュリアはやり返します。でもその男が当人であるかどうかもはっきりしないまま進んでいました。

ジュリアが抑圧されたオフェリーを解き放つ…

そのバイク集団は闇のバイク工場を持っており、パーツを付け替えたりして販売しています。違法性の度合いがはっきりしませんでしたが、いずれにしろ集団のボス、ドミノは何らかの罪で収監中です。ただ賄賂を使って結構自由にやっているようでした。

ジュリアは例の手口でバイクを盗んでくることからドミノに評価され、その妻オフェリーとも親しくなります。オフェリーを演じているのはアントニア・ブレジさん、この映画の脚本にもクレジットされており、プライベートではキヴォロン監督のパートナーとのことです。

このドミノとオフェリーの関係も象徴的で、ドミノは電話で指示をしてくるという声だけの登場なんですが、オフェリーを抑圧的に支配しています。オフェリーは外に出歩けないように現金を取り上げられていると言っています。狭い部屋に閉じ込められ、ストレスからか、ときに幼い子供に当たり散らしたりします。

そのオフェリーをジュリアが外へ連れ出し、バイクに乗せて疾走します。下の画像のジェリーの前の黒い頭は子どものヘルメットです。

スピリチュアルなエンディングは…

ジュリアは新手のバイク強奪計画を提案します。ドミノがその計画を採用します。ジュリアの参入を快く思っていなかった男たちも加わっての大仕事です。

しかし失敗します。そしてその逃走中にジュリアは転倒し、バイクとともに燃え上がります。炎の中からジュリアが立ち上がります。しかし、その姿は実態のない幻のようです。

かなり曖昧なエンディングですのでその意味合いはわかりませんが、少なくともキヴォロン監督はこの映画を悲劇的には終えたくはなかったのでしょう。

主演のジュリー・ルドリュー以下バイク集団がみな非俳優ということもあるのか、物語自体には物足りなさもありますが、とても興味深く見られる映画でした。