ロレーナ・パディージャ監督の父親の残像と妄想…
メキシコ映画です。中南米の映画が日本で公開されることが少なくなってきていますのでうれしいですね。それに主演が「ナチュラルウーマン」でオルランドを演じていたフランシスコ・レジェスさんです。

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ネタバレあらすじ
監督はメキシコのロレーナ・パディージャ監督、1978年生まれですので47歳くらいの方です。これが長編デビュー作、というよりも監督は初めてなんじゃないでしょうか。脚本のキャリアは何本かあるようで、この映画の脚本も監督本人のものです。
映画は気難しい初老の男性マルティネスがあることを契機に人生観を変えていくという話で、インタビューに応じたパディージャ監督は、この物語とキャラクターはどこから来たのものかとの質問に、父と自分との関係から生まれたものと答えています。
それに続けて、マルティネスを演じたフランシスコ・レジェスさんに「このキャラクターは一体誰なの?」と尋ねられ「父です」と答えたら「ああ、なるほど、わかりました、納得しました」と言われたとのエピソードもつけ加えています。
パディージャ監督には、父親は近寄りがたくとっつきにくい人と見えていたということです。また、チリ出身のレジェスさんが父親と聞いて納得できてしまうということは中南米のスペイン語文化圏共通の価値観があるのかも知れません。パディージャ監督の話にもメキシコは男性優位主義(machismo)という言葉がでてきます。
そしてもうひとつプロットとなっているものに、ロンドンにいたときに亡くなって 2年間誰にも発見されなかった女性のことを知ったことがあるそうです。当初、脚本では 2年間としていたんですが、友人から 2年間なんて信じられないと言われ 6ヶ月にしたとも語っています。
今や英語版 Wikipedia に「kodokushi」が掲載されている「孤独死」です。
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マルティネスの退職、階下の孤独死
テレビなのかラジオなのか大きな話し声が聞こえています。マルティネス(フランシスコ・レジェス)がさらに大きな目覚まし音で目覚めます。耳栓を外します。相変わらず話し声は続いています。
出勤の準備を整えたマルティネスが階下のドアを叩いています。話し声は階下の部屋からのものだったということです。しかし応答はなく、マルティネスは仕事に出かけていきます。
マルティネスは会計事務所に勤めています。同僚のコンチタ(マルタ・クラウディア・モレノ)があなたの後任だと言い、パブロ(ウンベルト・ブスト)を連れてきます。マルティネスはそんな話は聞いていないと不機嫌そのもの、人事担当者に確認すると聞き入れません。パブロはそんなことには構わずコンチタにお世辞を言って持ち上げたりしています。
マルティネスは挨拶しても仏頂面で挨拶も返さないような堅物の人物、パブロは軽薄でお調子者、コンチタは褒められれば喜ぶ単純な人物、しかし、最後には3人とも孤独な人たちだとわかります。この3人で物語は進みます。
翌日、マルティネスが出勤しようとしますと、大家が階下の部屋をノックしています。やはり応答はありません。そして、その日か後日、階下の女性が孤独死していたことが判明します。
また職場では、マルティネスは人事担当者からパブロに仕事を教えて引き継いでほしいと言われます。抵抗するマルティネスに人事担当者は契約延長を申請することもできると言います。
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階下の恋人、アマリア
ある日の夜、マルティネスの部屋がノックされます。大家なんですが、マルティネスは食事中だとか言い、なかなかドアを開けようとしません。家でも職場でも人付き合いもなく、無愛想で、近寄りがたく見えるマルティネスです。
大家は階下の女性からあなたあてのプレゼントがあったと小箱をおいていきます。中には鳥(多分…)の置物が入っています。
この日からマルティネスの頭の中は階下の女性のことでいっぱいになっていきます。捨てるために外に放り出された女性の持ち物を自分の部屋に持って帰り、寝室のサイドテーブルやバスルームにに飾り付けていきます。また、女性の日記から名前はアマリアだとわかり、ToDoリストにもいくつかのやりたいことが書かれています。マルティネスはそのやりたいことを実行していきます。アマリアとの時間を夢想しながら、プラネタリウムへ行き、映画を見、遊園地へ行きます。
職場でも変化が起きます。それまで相変わらず調子よく振る舞うパブロにうんざりしていたマルティネスですが、ある日のこと、付き合っている人はいないのかとの話になり、マルティネスがプラネタリウムで聞いた星の話をアマリアに語ったように話したところ、コンチタまでもがロマンチックな人だったのねと目を輝かせ、パブロは見直したというような顔をしています。
コンチタの誕生日会が近づいています。パブロがプレゼントを買うと言いブティックに入ります。マルティネスはアマリアへナイトウェア(ランジェリー)を買います。
コンチタの誕生会、誘った誰も来ないのでしょう、コンチタがひとり寂しそうに準備したケーキを片付けようとしています。マルティネスとパブロがやってきます。二人からのプレゼントに喜ぶコンチタが歌い、パブロが歌い、そしてマルティネスもアマリアのカセットテープで幾度も聴いた曲を歌い上げます。
家に帰ったマルティネスの妄想はエスカレートしていきます。アマリアのやりたいリストにあった二人だけのディナーをセッティングし、見えないアマリアとワインを交わし、そして、ベッドの上にアマリアへのプレゼントのランジェリーを広げ、その上に覆いかぶさります。その後、添い寝のように横たわります。
映像的には黒味になっています。
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夢から冷めたマルティネスの後悔
夢のような時間は長くは続きません。
実はアマリアは妻子ある男性の愛人であり、やりたいことリストはそれゆえにできなかったリストでもあるのです。
日記からそれを知ったマルティネスは狂ったように、その相手(かどうかは不明…)と思しき男性の顔をいきなり殴りつけ、部屋に飾り付けたものも、プレゼントのランジェリーもすべて捨ててしまいます。
職場では人事担当者から契約延長が認められたと知らされ、そして、パブロの評価を聞かれたマルティネスは、はっきりとパブロは無能であると答えるのです。パブロは解雇されます。
後日、マルティネスはコンチタや大家にささやかなプレゼントを残し、バスに乗っています。その姿はこれまでのダブルのスーツとオールバックから一転、前髪をおろしラフなスタイルになっています。
地元に戻ったパブロを訪ねるマルティネスです。パブロは会社を辞めたそうだねと朗らかではあってもお調子者感を感じさせない口ぶりで話しかけています。マルティネスは旅をするつもりだと答えます。
マルティネスが湖畔(多分…)で遠くを見つめています。
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考察、感想:プレゼントはコミュニケーションツール…
今どきの映画にしては物語の展開がかなりゆったりしています。その点ではのろく感じたりもしますが、フランシスコ・レジェスさんの細やかな演技でかろうじて持ちこたえています。
コメディ担当とも言えるパブロを演じるウンベルト・ブストさんの鬱陶しさ(笑)も程よく効果的かと思います。その間に入るマルタ・クラウディア・モレノさん演じるコンチタはなかなか切ない役回りです。誕生日会に誰も来てくれなくケーキをしまおうとするところなんて、え、これ、誰の映画? と思うくらい切ないです。カラオケ後にひとり残されるシーンもそうです。
映画の時代設定は明確にされていませんが、パソコンのディスプレイがブラウン管であることやマルティネスがしまい込んだラジカセのホコリを払っていることからしますと1990年代くらいじゃないかと思います。
そんなこんなでプロットに新鮮さは感じませんが、映画全体のトーンにはちょっと違った印象を感じる映画でした。
ロレーナ・パディージャ監督がマルティネスは父親のイメージと語っていることからしますと、監督がティーンエイジャーの頃には父親はこう見えていたということであり、それから30年を経て実は父親もこんな風に変わりたいと思っていたかも知れないと、あらためて思い至ったロレーナ・パディージャ監督の気づきの映画かも知れません。
その変わる契機となっているのがすでに亡くなっている女性への思いというのはどうかとは思いますが、その契機を単に妄想としていないのは人への思いを形で表す「プレゼント」ではないかと思います。
この映画では人とのつながりがプレゼントで表現されています。マルティネスが変わるきっかけとなっているアマリアからのプレゼントは映画の重要ポイントですが、他にもコンチタが管理しているキャンディー、コンチタへの誕生日プレゼント、マルティネスが去るときのプレゼントとちょっとした心遣いがプレゼントで表現されています。
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なぜいい映画に見えるのか?
と、何気なく見ている分にはなんだかいい映画にも見えますが、ちょっと待って!
この映画、60歳の男が亡くなった見ず知らずの女性の私物で自分の部屋を飾り、その日記を読み、ましてやセックスを妄想する映画です。
なぜこの映画が気持ち悪いと言われずにいい映画に見えてしまうのでしょう。きっとそれはロレーナ・パディージャ監督が女性であることを前提に見ているからなんでしょう。ましてや描いているのがその父親の残像であるわけですから。
まあそれは置くとして、男性優位主義である中南米の男性にはマルティネスのように変わってほしいとの願う女性たちの映画と取るべきかも知れません。
日本にも言えることではあります。