おんどりの鳴く前に

パウル・ネゴエスク監督のインタビューを読めば、思ったより悪くない…

ルーマニア映画です。最近は東欧の映画も劇場公開されるものが少なくなっていますので貴重です。映画.comによれば「ルーマニアのアカデミー賞にあたるGOPO賞で作品賞・監督賞・主演男優賞など6冠に輝いた」そうです。

雄鶏の鳴く前に / 監督:パウル・ネゴエスク

一定程度事前情報を入れてみるべき映画…

もし、まだこの映画見ていないのであれば(多分そうした人はこれを読んでいないと思うが…)、ある程度登場人物の人間関係やそもそもどういうことなのかを知って見たほうがいい映画です。

わかりにくいということではなく、話が進展しないと言いますか、映画がどこに向かっているのかがラストシーンになるまでわからないからです。これ、あまりいいことじゃないんですけどね(笑)。でも、物語の背景を知って見れば、知らずに見て見落としていることが見えてくるような気がします。

要は面白くなりそうな映画なんだけれども、あまり語り口がうまくないということです。さらに突っ込んで言いますと、きっとルーマニア社会で生活していれば「あるある」でわかることが普遍的なところまで昇華していないために価値観を異にするとわかりにくくなるということです。

まず舞台はルーマニアの閉鎖された田舎の村であり、町とは価値観や生活環境がかなり違っている(らしい…)こと、冒頭の男女イリエとモナは元夫婦であったこと、イリエには十年くらい前に何かがあり(そのことは重要ではない…)それゆえに田舎の村の警察官をやっていること、モナは町で政府関係(警察関係?…)の仕事をしていること、これくらいでしょうか。

これらのことを知ってみますとイリエが内心何を考えているかやイリエの行動のひとつひとつに何も知らずに見るのとは違ったものが見えてくるような気がします。

殺人事件はのどかに過ぎてゆく、が…

ルーマニアの北東部モルドヴァの田舎の村です。モルドヴァ(モルドバ)はルーマニアとウクライナに挟まれた国の名称でもありますのでもともとその地域の名称なんだろうと思います。

この映画には関係ありませんが「ルーマニア・モルドバ統一運動」というウィキペディアのページがあります。

その村の警察官のイリエ(ユリアン・ポステルニク)は、元妻モナと共同で買ったアパートメントを売り、それを資金に果樹園をやりたいと考えています。売値は2万ユーロとか1万8千ユーロとか言っていました。実際に売る話まではいきません。

村は村長と教会の司祭が実権を握っているようで、自分たちが村人の面倒を見ているような言い草でした。早い段階からこの人たち、悪いことしているとわかるようになっています。

新任の警察官ヴァリが赴任してきます。ヴァリは若いこともありやる気十分です。しかし、上司であるイリエに仕事への熱意はありません。すでに書きましたが、このイリエの人物像が最後までつかめずに集中力が切れそうになります。そして切れます(笑)。

殺人事件が起きます。村人の男が頭を斧で叩き割られます。これもすぐに犯人は村長だなとわかりますし、後に司祭共々自分たちがやったとイリエに話します。映画の最初の方で、村長が殺された男の妻クリスティナのことを美しいと言っていましたのでクリスティアをなんとかしようとしたのでしょう。

とにかく、殺人事件が起きても緊迫感はまったくありません。この映画、最初から最後までのんびりしたものです。ラストシーン、え? そうなるの? というところまでいたってのんびりしたものです(笑)。

イリエから聞き込みしてこいと言われたヴァリは真正直に村人たちから情報を集めます。村長はイリエにやめさせろと命じます。そして果樹園を譲ると言います。お前もワルよのうってやつです。設定は逆ですかね(笑)。それにどうやらその果樹園も村長のものではなく村が差し押さえたもののようです。

ヴァリが襲われ重体となります。これもすぐに村長たちの仕業とわかります。手下の誰かを使ってやったみたいなことを言っていました。多分、ラストシーンの男たちでしょう。

イリエが覚醒します。

終わってみれば、思ったより悪くない…

ヴァリの姿を見て激しく動揺していましたので、これが眠っていた本当のイリエを呼び覚ましたのかも知れません。モナに村長たちの汚職を調べるよう依頼します。モナの口から10年前までイリエが正義感の強い人だったと語られます。クリスティーナを訪ねてみれば村を出ていくというその顔には暴行の後があります。

そして、イリエはしまい込んでいた拳銃を取り出し、村長たちのもとに向かいます。

川辺で村長と司祭が密輸の取引をしています。イリエは拳銃を抜きます。そして激しい銃撃戦です。村長は死に、ああ妻もいましたね、妻も死に、他の男たちも死んだり逃げたり、そして死んだと思っていた司祭が立ち上がりイリエの後ろから襲い背中に斧を振り下ろします。司祭も撃ち殺したイリエは背中に斧をつけたままとぼとぼと歩いて池のほとりに行き「思ったより悪くない」とつぶやき池に倒れ込みます。

という、かなり意表をついたエンディングではありますが、それでもどこかのどかな銃撃戦であり、のどかなイリエの死に様でした。

パウル・ネゴエスク監督のインタビュー記事がありました。

インタビュアーのこのプロジェクトはどういう経緯で始まったかの質問に、「友人がこのシナリオを持ってきたのですが、普段シナリオは自分で書いているので最初は乗り気ではなかった。また、自分はブカレストで暮らしているのこの地方のことは知らなかった」に続けて、

So this universe was quite far from me. But when I read the script again and started to discuss it with the screenwriter, I realised that I liked the way the main character was constructed…someone who is disconnected from reality and from his emotions, but fate very suddenly brings his feet back on the ground. In this case, this happens very violently.
これは私の世界観とは違います。しかし、読み直し、そして脚本家と話し合ったところ、だんだんイリエの人物像のつくられ方が気に入り始めました。つまり、イリエは現実からも自分の感情からも切り離されているのに、突然運命が彼を地に足のついたもとのイリエに引き戻します。これは非常に激しく起こります。
SCREENDAILY

なるほど。人にはある日突然雷に打たれたように正気になる時があるということだと思います。

イリエの人物像にもう少し深みをもたせれば素晴らしくいい映画になったように思います。