TOUCH/タッチ

原作者はソニーでプレイステーションの開発を主導した人だった…

映画.comでは「「ザ・ディープ」「エベレスト」などでアイスランドを代表する監督として知られるバルタザール・コルマウクル」監督と紹介されています。いずれの映画も見ていませんし、知らない監督ですので余計に見たくなります。それに Kōki, さんが出演していることもそう思う要因のひとつにはなります。

TOUCH/タッチ / 監督:バルタザール・コルマウクル

男は死期が近づくと過去を追想する?…

アイスランドでレストランを営む70代のクリストファーが学生時代に愛し合った日本人女性ミコに会うためにロンドン、そして広島へと旅をする物語です。

このクリストファーの場合は認知症の初期症状が出て死期を予感することからですが、人は人生の終わりが近づきますとこうした追憶の念に駆られるもののようです。映画でも、いろいろ変形はあるにしてもひとつの類型になっている物語パターンです。

それにそうした追想に浸るのはほぼ男の側と決まっています。なぜなんでしょう?

おそらく、これは生物学的な男女差ではなく社会的性差、ジェンダーゆえでしょう。映画でも、小説でも、多くの物語が男によってつくられてきていることの結果だと思います。女性作家や女性監督であっても人の価値観は読んだり見たり聞いたりすることでつくられますので何世紀も続くジェンダー観を拭い去ることは容易ではないということです。

話が妙な方向へいってしまいました。結局、この映画もそうした類のものであり、物語としての新鮮さはないということです。

が、しかし…。

原作者はプレイステーションの開発者だった…

この映画ではその日本人女性ミコがある日突然姿を消してしまっているのです。その理由が何なのかがこの映画の肝ということになります。

広島です。この映画はミコを被爆者としているのです。なぜ姿を消したのかは最後に明らかにされます。

この映画には原作がありますので、この小説はということになりますが、なぜ映画の核心に被爆地である広島を置いているのでしょう。

著者はアイルランド人のオラフ・オラフソンさん、え? この方でしょうか、作家であるとともにソニーに在籍してプレイステーションの開発を主導したとあります。Booksの項目には確かに「Touch 2022」とあります。ソニーとの関係からの日本なのかも知れません。

オラフ・オラフソンさんのインタビュー記事がありました。

I used to spend a lot of time in Japan in the ‘80s and ‘90s, often visiting the country eight or nine times a year. It was during one of those trips that I learned about Hibakushas, families who come from the people who survived the bombing of Hiroshima. That story, and the experience of Covid, all became part of the story.
私は80年代から90年代にかけて日本で多くの時間を過ごし年に8,9回は日本を訪れていた。その中で広島への原爆投下を生き延びた被爆者のことを知った。そのことと新型コロナウイルスの体験からこの物語が生まれた。
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やはり日本滞在が契機になっているようです。ただ、もし広島へ行っているのならそう言うでしょうから行ったことはないのでしょう。いずれにしてもこの小説はアイスランドでベストセラーになっているとのことですので、これにより広島や被爆者のことが広く知られることはとてもいいことだと思います。

日本被団協(日本原水爆被害者団体競技会)がノーベル平和賞を受賞していますので相乗効果もあるかと思います。

クリストファー、ミコに一目惚れ…

とにかく映画の物語はこうです。原作とは異なる部分もあるようですが、オラフ・オラフソンさん自身が脚本に加わっていますので納得の上ということでしょう。

時代は2020年と設定されおり、新型コロナウイルスの流行が始まる年ですので各所にソーシャルディスタンスやマスクといったシーンが入っています。かなり中途半端ですのでいっそ無視したほうがよかったように思います。

その2020年のクリストファー(エギル・オラフソン)がロンドンから広島への旅を続ける中で50年前を思い出すように1969年の出来事が描かれていきます。

1969年のロンドンです。アイスランドの若者クリストファー(パルミ・コルマウクル)はLSEで学んでいます。時代背景(学生運動…)ということもあると思いますが、友人たちとの論争から衝動的に退学すると言い、たまたま見た日本料理店の募集チラシに応募し、店主高橋(本木雅弘)の娘ミコ(Kōki,)と出会い、ミコに一目惚れします。

1969年のクリストファーを演じている俳優は名前でもわかるように監督の息子さんです。好青年という感じでとても良かったです。

二人が出会った当時はミコには日本人のボーイフレンドがいたのですが、ある時、そのボーイフレンドは高橋に呼び出され、以来姿を現さなくなっています。これも後に明らかにされる秘密のひとつです。

クリストファーは積極的に日本語を覚えようとし、高橋や従業員たちにも打ち解け、信頼もされるようになります。そして、クリストファーとミコは愛し合うようになります。しかしなぜかミコは二人の付き合いを隠そうとします。そうした時、ミコは広島に原爆が落とされたとき自分は母親のお腹の中にいたと話し、母親が描いたという原爆投下直後の絵を見せます。

そして、ある日、高橋とミコは誰にも告げずに店を閉め姿を消してしまうのです。

驚きの再会シーン…

2020年、クリストファーはロンドンで当時の日本料理店の従業員に会いミコが広島にいることを知ります。

このあたり、特別苦労することなくクリストファーはミコにたどり着きます。あっけないなあとは思いますが、原作ではミコからクリストファーのフェイスブックにメッセージが入ることがきっかけのようですので、そもそもの物語のポイントがミコを探し出すことに置かれているわけではなく、やはり原爆、そして被爆者にあるんだろうと思います。

そしてこれまたあっけなくクリストファーはミコのアパートを訪ねることになり、50年ぶりの再会を果たします。ミコは亡くなっているだろうと予想していましたので、再会シーンでミコが映し出されたときにはちょっと驚きました。誰、この俳優さん? ということもあります。

後に調べましたら奈良橋陽子さんでした。俳優ではなく、現在は海外で製作やキャスティングをやられているようです。監督でもあり1996年の「WINDS OF GOD」を見たことがあります。

2020年のミコ(奈良橋陽子)がクリストファーに語ります。

私が母親のお腹の中にいる時に広島に原子爆弾が投下され、両親ともに被爆し、母は私を生んだ後に亡くなった。父と私は生き延びたが、原爆病はうつるなどと差別され、父親とともにロンドンに移住した。父親は被爆者にはいずれ何らかの障害が出るだろうし、仮に子どもを産めばそれは子どもにも遺伝すると思い込み、決して子どもをつくるなと私に言いつけていた。ボーイフレンドが離れていったのは父が自分たちは被爆者だと告げたからである。

しかし、私はあなたと恋に落ち、愛し合い、そしてあなたの子どもを身ごもった。そのことを知った父は何も告げずにロンドンを去ることにした。そして私は出産し、父親はその子アキラ(だったか…)を養子に出した。アキラは成人しレストランをやっている。私もよく訪れている。しかし自分が母親だとは告げていない。

ということなんですが、んー、かなり意表をついた展開です。日本のドラマですとこういう展開はまずありません。それにかなり突っ込みどころの多い結末です。

この結末で一番思うことは、これを見た人が被爆によって発症する障害が遺伝したり伝染したりすると誤解するのではないかということです。そう取られるように描かれているわけではありませんが、逃げるようにロンドンを去ったり、なぜかはわかりませんが子どもを養子に出したりする描き方に強い違和感を感じます。

やはり映画の中でそうした偏見に対する明確な否定のメッセージを入れ込んでいくべきじゃないかと思います。

とにかく、その後映画はミコがクリスタファーとともにアキラのレストランを訪れるシーンで終えています。

これもかなり意表をついており、価値観の違いを感じるエンディングではあります。

今年のアカデミー賞の国際長編映画部門にもアイスランド代表としてエントリーされていますので誤解なきよう評価されると良いとは思います。残念ながらノミネートはされていません。