面白い!沖縄コザ舞台のタイムスリップ&入れ替わり映画
これ、むちゃくちゃ面白いですし、泣けますし、感じますし、つくりもうまいです(多分、結果として)。脚本、監督の平一紘さんって誰?
沖縄の沖縄による、日本全国のための映画
この映画は、第3回未完成映画予告編大賞でグランプリを受賞した作品、と言ってもこの映画賞は3分以内の予告編(と言うより超短編)映像で選ばれますので、完成したこの映画が審査の対象というわけではない受賞作品です。グランプリ受賞者には3000万円の制作費が補助されるとのことです。
半年ほど前に見た「猿楽町で会いましょう」がこの映画賞の第2回グランプリでした。レビューを読み返してみましたらかなり辛辣なことを書いています(ペコリ)。そもそもこのコンセプトのコンテストで新しい才能を発掘するのは難しいとは思いますが、この「ミラクルシティコザ」はうまくいったケースだと思います。
下の動画が審査対象の応募作です。おそらく「猿楽町~」は応募作の映像の出来で選ばれたんだと思いますが、この「ミラクルシティコザ」は、描こうとしている対象「1970年代、日本返還直前のコザ、ベトナム戦争に向かう米兵たちを熱狂させた日本人ロックンローラーたち」という新鮮な素材が注目されたのではないかと想像します。
映画は、現在と1970年頃の沖縄コザを行き来するタイムスリップ&入れ替わりものです。脚本、監督の平一紘さん始め出演者も、主演の桐谷健太さんをのぞいて主に沖縄を活動拠点にしている俳優さんたちのようです。その意味では、沖縄の沖縄による映画なんですが、しかし、沖縄返還50年の今年であればこそ、沖縄のための映画ではなく、より多くの人がこの映画を見れば、沖縄を、あるいはコザという街を歴史という視点で考えるきっかけになるのではないかと思う映画です。
沖縄返還(本土復帰)50年
今年2022年は、沖縄がアメリカの施政下から日本に返還されてからちょうど50年です。1972年5月15日のことです。
日本は太平洋戦争の敗戦からアメリカ軍の占領下にあり、1951年9月8日に締結されたサンフランシスコ平和条約で独立を回復するわけですが、沖縄だけはアメリカの東アジア戦略上の軍事拠点としてアメリカの施政下に置かれます。実際に朝鮮戦争やベトナム戦争では沖縄の米軍基地から爆撃機が出撃していますし、この映画でも描かれているとおり、戦地へ派遣される兵士たちの前線基地となっていたわけです。沖縄住民の生活面でも、その後約20年間、沖縄は日本でありながら実質的にはアメリカのような状態に置かれ、通貨はドル(全期間ではない)、車は右側通行、本土との往来にはパスポート(のような許可証)が必要だったということです。
ネタバレあらすじ
前半はコメディーのつくりで結構笑えます。しかし、それがいつの間にやらシリアスになり泣かされることになります。また、かなり頻繁に現在と過去を行き来しますのでわかりにくいところもあるのですがほとんど気になりません。ごちゃごちゃしていることも含めてとてもうまくできています。
プロローグ
現在のコザ、商店街にもかつての活気はなく、いわゆるシャッター通りの様相です。そのコザで生まれ育った翔太はそのうち一発当てる(音楽でだったか?)と言いながら毎日を無為に過ごしています。父たつるは「オーシャン」というカフェ(だと思う)を経営していますが、先行き不透明で売却を考えています。
翔太の祖父ハルは、1970年当時、米兵たちを熱狂させたロックグループ「インパクト」のボーカルです。しかし、心はいまだロックンローラーでも、70歳(くらい)ともなれば後期高齢者となるのも間近です。当時のメンバー平良や辺土名は「オーシャン」でゴロゴロし、時にサンドイッチボードでパチンコ屋(だったか?)の日銭稼ぎをしているような状態です。メンバーのうち、ただひとり比嘉だけは早くにバンドを抜けて、今は不動産会社の社長におさまり、コザの再開発を計画しています。
その比嘉からたつるのもとに土地売却の話が持ちかけられています。商店街の活性化のために大規模商業施設に生まれ変わらせる計画です。当然、ハルは猛反対します。
ある日のことです。商店街を歩いているハルが道路の反対側に何を見たのか「ビリー」と声を掛けながらふらふらと道路に出ていきます。そこに車が突っ込んできてハルは死にます。ただ、このことにはほとんどこだわらず、即、やや嘆き悲しむ翔太の場面になり、幽霊のハルがやり残したことがあるといって翔太の体を乗っ取ります。
現在の翔太の体には70歳のハルの精神が宿り、翔太の精神は1970年頃のハルの体に宿ったということです。1970年頃のハルを演じるのが桐谷健太さんです。
1970年頃のコザ、ハルとマーミー
この後の物語としては、8割方が1970年のシーンだったと思いますが、印象としては結構頻繁に過去と現在を行き来していたように感じました。
まず、翔太はいきなりライブ中のインパクトのハルの体に入ります。翔太にとってみればタイムスリップです。ぶっ倒れて吐いたりしていました。いい選択だと思います。ここでいきなりばりばりにロックするのも変ですし、ライブを中断させるいい手だと思います。
ハルこと翔太はメンバーに自分はハルじゃない、50年後の未来から来たんだと主張しますが誰も信じるものはいませんし、そのことが物語の軸となっているわけではありません。軸となっているのは主にふたつです。
ひとつは、ハルがつきあっている女性マーミーと関係です。マーミーはコザを仕切るヤクザの女です。元女なのかもしれませんがはっきりしていません。この映画、こうしたはっきりしないことはかなりありますが、そもそもがタイムスリップ&入れ替わりものですし、映画のつくりがとてもうまくできており気にはなりません。ヤクザはマーミーとの縁を切るかわりに(なのかなあ、よくわからなかった)インパクトにギャラはぜんぶ自分に渡せなどと言っていました。
マーミーは妊娠しています。つまり、ハルこと翔太の父親たつるがマーミーのおなかにいるということです。
で、映画後半になり、なぜだったかは忘れましたが(笑)、ヤクザとハルのいざこざになり、そこにマーミーが加わり、ヤクザがマーミーを拘束しながら、ハルにこのおなかの子は本当にお前の子かなどと言い放ちます。マーミーはヤクザの手を逃れ、手にしたブロック(石)でヤクザを撲殺します。
ハルとマーミーはその場から逃れ、最後の別れです。マーミーはハルにおなかの子どもを頼むということだったと思います。この後のシーンはありませんが、マーミーは逮捕され殺人罪で収監されたということです。このことは現在のシーンで明らかにされます。
1970年のコザ、ビリーと比嘉
1970年のコザのシーンのもうひとつの軸となっているのが、ビリーというアメリカ兵とインパクト、特に比嘉との関係です。
これは、戦後、なぜ沖縄のコザが歓楽街として賑わい、インパクトというロックバンドがアメリカ兵の心をつかんだかということに関わってきます。すでに書きましたように沖縄の米軍基地は、アメリカがベトナムへの軍事介入を開始した1960年代前半からベトナムの戦場に向かう兵士たちの最前線基地となっており、1970年頃にはすでに敗戦が濃厚になってきたアメリカにとって、沖縄に派遣されることはいつ死に直面することになるかもしれないという状況に置かれていることになります。そうした厭戦気分が享楽的な行動につながるということはあり得ることかと思います。もちろんロックが享楽的ということではありませんが、もともとロックが黒人音楽から派生したものであることからすればそうした鬱屈した気持ちを音楽で発散(ちょっと違うか)することにつながることは自然なことだと言えます。
そうした当時の沖縄の状況が、比嘉とアメリカ兵ビリーの関係で表現されています。ただ、なかなか難しい問題ですのであまり深入りすることは避けているようにはみえます。ビリーがインパクトに仲間になりたいと接近してきます。そんなビリーをインパクトのメンバーはかなりぞんざいに扱っています。それでもビリーはめげずに人懐っこくインパクトのまわりをうろちょろしたりしています。
コザ騒乱(コザ暴動)が発生します。1970年12月20日、米兵が起こした交通事故をきっかけにしてそれまでの米軍の圧政に対する反感が米軍車両の焼き討ちとして爆発したものです。
映画の予算規模のこともあるのでしょう、この騒乱が大々的に描かれるわけではありませんが、夜の事件ですので遠くに赤々と火が上る背景の中、米軍基地のフェンス際でビリーが暴徒とかした沖縄人に激しく暴行を受けています。この後どう展開したのかはかなり記憶が曖昧ですが、要点は、ここに比嘉が絡み、比嘉は妹だったか姉だったかを米兵に殺されている過去を持っており、その怒りがビリーに向かい、しかし、それを理性で抑えるといった葛藤の中で、ついにはインパクトを抜けると宣言して去っていくという流れだったと思います。
とにかく、深く考えますとかなりわかりにくいこともありますが、全体としてなにか伝わってくるものがあるという映画です。
覚醒するハルこと翔太
その後、インパクトのメンバーたちはビリーがベトナムに派遣され死亡したと聞かされています。そうしたこともあるのでしょう、またマーミーのこともあります。それまで自分はハルではないと逃げ回っていたハルこと翔太がついに覚醒します。インパクトのメンバーにお願いがあると言い、自分の詩で曲をつくりたいと言います。メンバー、もう比嘉はいなかったと思いますので平良と辺土名が協力し曲が完成し(たんだと思い)ます。
なお、1970年のハルの精神は現在の翔太なんですが、時々ハル本人が戻ったりします。映画の中ほどにもありましたが、ハルの体に本人が戻り、インパクトのライブがまともになり、つまり桐谷健太さん演じるハルがロックし、アメリカ兵たちも盛り上がるというシーンがこのパートの最後にあります。
このライブシーン、もっと長くして音楽を堪能させてほしいところなのですが残念でした。
そして、現在
現在のハルが翔太の体を借りてまでやりたかったことは、インパクトの再結成、今や土地開発業者になってしまいロックの魂を失ってしまった比嘉を再びロックンローラーに引き戻すことです。
そのきっかけとなっているのが、ハルが道路にさまよい出る原因となった「ビリー」です。実はハルが見たビリーは1970年のビリーの孫なのです。ビリーは死んでいませんでした。孫はビリーを連れて沖縄にやってきています。ただ、現在のビリーは過去のことは何も思い出せず車椅子生活になっています。
それを知った翔太こと死んでいるハルは、平良と辺土名に商店街でのライブを呼びかけます。そしてライブが始まります。比嘉はビリーが来ていることを知らされ、おもむろにスティクを手に取りドラムを叩き始めます。いけると比嘉がつぶやき演奏が始まります。曲は1970年のハルこと翔太がインパクトのメンバーと作った曲です。ビリーの目には涙が浮かんでいます。
ということで、これで終わっていたのかどうか、あまり記憶がありません。また、ここまで書いてきた物語も間違っているところがあるかもしれません。
ひとつ忘れていました。マーミーが獄中からハルに当てた手紙をたつるが読むシーンがこのパートのどこかに挿入されていました。
とにかく、ふたつの時代が交錯するタイムスリップ&入れ替わりものですが、全体としてひとつの時代の物語のように感じられる不思議な映画でした。
音楽映画としては寂しいが…
音楽映画としてはちょっとさみしいです。もう少し音楽で惹きつけるシーンがあればなおよかったと思います。
沖縄を代表する「紫」というロックバンドが協力しているということです。紫はディープ・パープルからのネーミングでしょうか。
沖縄が舞台の音楽映画ということで「小さな恋のうた」を思い出しました。いい映画でした。この「ミラクルシティコザ」も、違った意味ですが、いい映画でした。