ディストピアではなく、起きてはいけないがこれが現実か
ミシェル・フランコ監督、「父の秘密」「或る終焉」「母という名の女」と見てきており、その名前をみれば必ず見ようと思う監督のひとりです。現在42歳、メキシコ出身の監督です。
その三作ともカンヌで何らかの賞をとっていますし、この新作「ニューオーダー」も2020年のヴェネツィア映画祭で審査員グランプリの銀獅子賞を受賞しています。
妙にわかりやすいのが気になる
これまで見てきた三作とはずいぶん違ってわからないところがない映画です。率直なところ、それでいいのか、と言いたくなります。
描かれるのは、貧富の差が原因と思われる暴動が発生し、下層階級の非白人が裕福な白人を襲い、何の戸惑いもなく殺戮し、身につけている装飾品を剥奪し、富裕層の家の使用人までもがその家の金品を洗いざらい収奪していきます。
戒厳令が敷かれますが、軍の中の犯罪者集団が暴動につけ込んで白人を誘拐監禁し、あらん限りの肉体的暴行、性的暴行を加え、さらにそれらの家族に身代金を要求します。
身代金の支払いに応じた人質は開放すると見せかけ射殺します。
映画の軸となっているのは、富裕層の娘マリアンです。マリアンの結婚式のその日、暴動が発生し、多くの白人が集まるその豪邸が襲われるわけですが、その時マリアンは元使用人が金銭的な援助を求めてやってきたにもかかわらず、母や兄の冷たさに自分がなんとかしようと暴動の最中その使用人のもとに向かい、保護するとみせかけた軍の犯罪者集団に拉致されます。
犯罪者集団はマリアンの家族への身代金要求の伝達役に使用人を使います。使用人は言われるがままに身代金を運んでいるだけですが、マリアンの家族に犯人と思われ、富裕層がゆえに通じている軍の司令官に通報され拘束されます。軍が犯罪者集団のアジトを襲い、マリアンを救出します。
この監督ですから、マリアンが無事に戻ってハッピーエンドとなるわけがありません。まずは、拘束された犯罪者集団が軍により射殺されガソリンをかけられ焼却されます。隠蔽するためです。救出されたと思われたマリアンは連絡役にされていた使用人の家に連れて行かれ、射殺されます。使用人はこの銃を握れと言われ、銃を握ったまま射殺されます。
そして、暴動の首謀者として、その使用人の家族を含めた非白人たちが、軍やマリアンの家族たち富裕層が居並ぶ中、絞首刑で処刑されます。
非白人による暴動、軍による隠蔽、あまりにもわかりやすい話です。ミシェル・フランコ監督には珍しく、ある種のパターンでつくられた映画です。
残虐シーンはアウシュビッツを想起させる
犯罪者集団の残虐行為はナチスのアウシュビッツでの行為を想起させるようなシーンになっており、おぞましいです。
人が重なるように閉じ込められるシーン、性的暴行、大勢を裸にして立たせ水を浴びせるシーン、そして犯罪者集団の殺害、焼却、とにかくおぞましいとしか言いようがありません。
過去三作においても人間の突発的な暴力性というのは映画の重要な要素になっていたのですが、この映画は全編がその暴力性でつくられています。
目を覆いたくはなりますが、ただ、暴行シーンは画として描写されるわけではなく、残虐行為をイメージさせて悲鳴などで表現されており、映画を見慣れていればさほど映画としてショッキングなものではありません。
結局、おぞましくはあっても映画として単調だということです。
ディストピアか?
この映画はディストピアか? いや、そうでないことはすでに歴史が証明しています。
実際に、我々が現在日本にいて報道で目にすることが真実だすれば、そしてまた残虐行為だけに限定すればですが、今まさにウクライナで起きていることです。あるいは、ウイグルで、ミャンマーで起きていることかもしれません。