LGBTQ+ に焦点を当てる作品を書いているハン・ジェイ監督ということなら大人し過ぎる…
なぜこの映画にポチッとしてしまったかよくわからないのですが(笑)、おそらく今週公開の映画で是非見たいと思うものがなかったことと、画像からふっと「ソウルメイト」を思い出したからだと思います。

男女に置き換えても違和感のない恋愛ドラマ…
時代設定を1999年の世紀末としているのは、おそらくテコンドーのコーチの体罰であったり前時代的な価値観を前提に物語を作っているからだと思います。そうした社会環境の中で18歳の少女たちの愛と友情を描いている映画です。
当然映画ですのでふたりの間は割かれることになりますが、ただ、その原因にあまり時代性を感じさせるものはなく、きっと現代でもあると思われる女性蔑視価値観からのパワハラ、セクハラ、性暴力、そして硬直した社会制度といったものになっています。
「ソウルメイト」はシスターフッドを感じさせる映画でしたが、この「私たちは天国には行けないけど、愛することはできる」(長っ!…)は、キスシーンがあることもあり、男女に置き換えても成立する恋愛ドラマです。
1999年頃の韓国で女性同士の恋愛はどう捉えられていたんでしょう?
映画にそうした視点はまったくなく、せいぜい母親が母親の冷静さをもって、つまり偏見といったものを感じさせるのではなく、たまたま朝ふたりが抱き合って眠っているところを見たがために引き離す行為に出たというくらいで、ふたりにしても隠さなくてはいけないとか後ろめたさのようなものはまったくなく、迷いさえも描かれていません。
ああ、そういえば、イェジがおばさんと呼んでいた女性は堂々と自分はあなたの母親と愛し合っていたと言っていましたね。
時代性という点ではシナリオが現在の価値観で書かれているということだと思います。
ジュヨンとイェジは相思相愛となるが…
ジュヨン(パク・スヨン)は高校3年生でテコンドーの選手です。学校のテコンドー部ということだと思いますが、国の代表を争う選手たちの集団のような描き方がされています。
こういう説得力のない設定はやめたほうがいいですね。初っ端からウソっぽくなります。コーチの設定も同じことで完全なる悪役設定となっており、理不尽な体罰、私利私欲による不正行為、そして後半になって明らかになる常態化した性暴力という人物設定です。
しばらくは何が軸で進むのかはっきりしないのですが、結局、ひとつはこのテコンドー絡みの話となっており、コーチと生徒の一人ソンヒが最後まで絡んできます。このソンヒはお金持ちの娘で母親が賄賂を使って国の代表にしようとしており、逆にソンヒにプレッシャーをかけているという設定になっています。
この映画、こうした設定だけのものがたくさん織り込まれている割にそれが生かされていないがために見終えてもなにかすっきりしない映画になっています。その最たるものはイェジ(イ・ユミ)の人物背景で、イェジは少年院からの仮退院ということらしいのですが、なぜ少年院に入ることになったのかは最後まで語られません。
とってつけただけの設定? と思ってしまいますが、とにかく、まずジュヨンとイェジの出会いです。ジュヨンが、幼なじみの男の子からイェジに好きですとポケベル番号を書いたメモを渡すように頼まれ、そこでまず勘違いではあるのですがイェジがジュヨンを意識します。そして後日、ジュヨンがテコンドー部の仲間たちから暴行されているところをイェジが助けてジュヨンがイェジを意識します。
もうこれだけでお互いに気持ちの上では相思相愛になり、その後、ジュヨンの母親が保護観察官のような仕事をしていることからイェジに家庭体験をさせるということでしばらくジュヨンの家で暮らすことになります。
そして二人と幼なじみの男の子とソンヒ4人でイェジがおばさんと呼ぶ人が暮らす田舎へ一泊旅行に行きます。この設定もかなり唐突なんですが、ジュヨンの母親のイェジへの何らかの思いからの行為なんでしょう。
その旅行で二人は気持ちを確かめ合うことになり、浜辺でのキスシーンがあります。
引き裂かれた愛はどこへ…
このペースで書いていきますと長くなりすぎますので端折ります。
旅行から戻り、すでに書いたようにジュヨンの母親がふたりの様子を見て、イェジを他の家庭に移すことにし、ふたりは引き離されます。同じ頃、テコンドーのコーチの性暴力が明らかになり、ソンヒがそのターゲットとなっていることもわかり、ソンヒの自殺未遂もあり、またイェジが働き始めた接客業(キャバクラみたいなもので雇い主が悪いやつ…)にそのコーチがやってくるというあれこれが(多すぎる…)あり、内容的にはかなり混乱している割に映画がさらっと流れて進みますのであれよあれよという間にコーチがイェジをラブホテルに監禁し、さらにジュヨンまでそこに誘い込まれて、コーチの暴力に対する正当防衛的行為としてジュヨン(だったと思うけどはっきり記憶がない…)がコーチの頭を瓶で殴りつけて危機を脱します。
警察です。二人とジュヨンの母が並んで警察の取り調べを受けています。ジュヨンが事情を説明しても受け付けてもらえません。イェジがおばさんと呼ぶ人がやってきます。おばさんは身元調査され前科があることとイェジとは血縁関係がないことが明らかにされます(されるだけでどういうことかはわかりません…)。
イェジがジュヨンを庇ったのでしょう、自分がやったと言い出します。少年院の仮退院ですので再び少年院に入ることになります。
2年後、ジュヨンはテコンドーのコーチをしています。バスでの帰り道、路上にイェジと思しき姿を見て慌ててバスを降りて戻りますがその姿はありません。探し回るジュヨン、そしてふっと見た横断歩道の向こう側、そこにはイェジが手を振って立っています。
幻なのかな…。
これがオチかなと思ったとおりで、どこかのシーンのふたりの会話に、世界が破滅しても自分たちは神様を信じていないから天国へいけない、でも愛がある、その時は学校の前の横断歩道で会おうという話がありました。
ということで、なぜイェジは少年院に入ることになったかや例のおばさんとの関係などはまったく明らかにされずに終わりました。そのおばさんがイェジの母親の墓の前でイェジは私が守るからと誓うシーンを入れながらですのでかなり変わった映画ということがいえます。
秘密を明かさないという秘策が秘策の映画ということになっちゃいますね。
ハン・ジェイ監督、この方ですね。
紹介文には 단국대학교(Dankook University, 檀國大學)でシナリオ執筆を学んできており、主に LGBTQ+ への差別的な扱いに焦点を当てた作品を書いているとあります。
ということであれば、遠慮し過ぎで、この映画に関する限りでは網羅的過ぎてツッコミ不足です。