ソウルメイト

男性を奥に追いやり、ふたりの女性に焦点を当てているのがとてもいい…

日本の公式サイトや映画.com には「新たに」とか「新たな」とか紹介されていますが、要はデレク・ツァン監督の「ソウルメイト 七月と安生」の韓国版リメイクです。

その元映画は見ていませんが、デレク・ツァン監督の「少年の君」はよくできた映画でしたので見てみました。リメイクなので映画の出来に直接的な関係はないのですが…。

ソウルメイト / 監督:ミン・ヨングン

友情? 愛情? いや、ソウルメイト…

そつなくまとまっていますし、過剰に盛り上げようとせず適度に抑えられていますのでとても見やすいです。

基本的には、親しいふたりの女性の前にひとりの男性が現れ、ふたりの関係が変化していくという、割と古くからあるドラマパターンです。ただ、この映画では男性との関係が奥の方へ追いやられており、あくまでもふたりのお互いへの気持ちに焦点を当てようとしていますのであまりベタさを感じることはありません。

それにふたりの関係を言葉で決めつけてしまうことを避けているようなところがあり、それがとてもいいです。異性間であれ、同性間であれ、一対一の人間関係を表現する言葉には友情と愛情(恋愛…)くらいしかありませんので、どうしてもそうした目で見がちになってしまいます。もちろん日本語価値観で見る自分にとってということであり、ソウルメイトのタイトルからもそうした意味合いを感じます。

映画手法としては、フラッシュバックによって疑問が明らかにされていくというもので、時系列がちょっとやりすぎかなと思うくらいにシャッフルされており、というよりも省略が多いということかもしれませんが、それを整理しようとしている間にエンディングに入ってしまうという、いいのか悪いのか(笑)、まあいいように出ているような気がする映画です。

ふたりの女性、ミソとハウンを演じているキム・ダミさんとチョン・ソニさん、高校時代から20代、30代を演じていましたが、まったく違和感がなかったです。初めて見る俳優さんだからということもあるのかもしれません。実年齢は20代後半と30歳を超えたくらいでしょうか。

ミソとハウン、出会い…

映画は現在のワンシーンから始まり、そこにいたる経緯が10歳くらいの子ども時代からフラッシュバックで描かれていくというスタイルです。

絵画の公募展でハウンの作品が大賞に選ばれます。描かれているのはミソの巨大な肖像画です。ミソが担当者に呼ばれます。この絵のモデルはあなたですね、ハウンと連絡が取れないので教えてほしいと言われます。ミソは、子どもの頃に遊んでいただけで知らないと答えます。担当者は、ハウンのブログにはミソとのことが今に至るまでずっと綴られているのにと不審顔です。

ミソがハウンのブログを読むところからフラッシュバックに入ります。

舞台は済州島、ふたりは小学生です。ミソが転校してきます。すぐにふたりは仲良しになります。ハウンは絵を描くことが好きで、授業中も先生の似顔絵をノートに書いたりしています。ミソは自分は描けないと言いつつもクレヨンで思うように色を塗っていきます。これは何?と尋ねるハウンに、ミソはこころと答えます。

ふたりの表立った性格を、ミソは自由で行動派、ハウンは堅実で慎重派として描いていきます。

中学か高校の頃、あまり重要でもなく理由も語られませんが、ミソの母親がソウルへ出ていってしまいます。母子家庭であり、あまりいい家庭環境ではないということなんでしょう。ミソはハウンの家の残ることになります。学校生活が描かれませんのではっきりしませんが、高校時代、ミソはゲストハウスでアルバイトをしながら学校へ通っているという設定だったんだと思います。

ハウンがミソに気になっている男の子がいると言います。ミソはその男の子ジヌに会いに行き、今度の合コンにあなたを好きな子が行くから振ったりするんじゃないよと軽い感じで釘を刺します。

これもよくあるドラマパターンで、ミソの行動はハウンへの強い気持ちの裏返しによるもなんですが、その行動によりジヌは明るく自由闊達なミソに惹かれるということになります。

ハウンはジヌと付き合うようになり、3人で会うことも多くなり、あるとき、大学受験の合格祈願ということで洞窟へ行く機会があり、たまたまミソとジヌふたりだけになり、ジヌがミソにキスをします。ここではシーンはありませんが、映画ですから当然ハウンはそれを見ていますし、後半にそのシーンがあります。

別れ、再会、別れ、最悪の再会、失踪…

このあたり、シーンの時系列がかなり分かりにくくなります。おおよそ次のようなことかと思います。

ミソは絵の勉強をすると言ってソウルへ出ていきます。男性と一緒でしたがこれも重要なことではなく、ミソはジヌの気持ちを感じるがゆえに避けたということです。ソウルでは部屋を借り、働きながらの勉強ですので大変です。いろんな仕事をするシーンがありました。ハウンへは絵の勉強のために世界中をまわっていると嘘の手紙を送っています。

映画はミソを軸に進みますのでハウンのシーンはあまり多くありません。ハウンは済州島の大学で教師を目指しています。ジヌとも続いているようですが、ジヌはソウルの大学へ行っています。

ミソが済州島に帰ってきます。再会したふたりは釜山への一泊旅行にでかけます。詳細は省略しますが、久しぶりの対面でもあり、またミソの後ろめたさのようなものもあるのでしょう、ミソが自己主張し過ぎてしまい、修復不可能とも思える仲違いに発展してしまいます。ミソはそのままソウルへ帰っていきます。

時は経ち(はっきりしない…)、ソウルでミソとジヌが再会します。その時ミソは投資関係の実業家と付き合っています。その実業家は事業が立ち行かなくなったのでしょう、自殺してしまいます。行き場のなくなったミソはジヌのもとに転がり込みます。

ハウンがソウルのジヌのもとにやってきます。ジヌがミソと一緒に帰ってきたところに遭遇します。ハウンはジヌに外で待っていてと言い、ミソとふたりでジヌの部屋に入ります。ミソは酔い潰れており(どういう経緯かは忘れた…)、バスルームに駆け込み吐いています。バスルームにはミソの下着が干してあります。

このシーン、結構うまく出来ていました。細かくは記憶していませんが、修羅場にもなろうところを言葉のやり取りでその緊迫感をうまく描いていました。

ジヌと寝たの?! と責めるハウン。干してあったミソのブラジャーを見て、こんなブラジャー、ジヌの趣味じゃない! ジヌはこういうダサいのが好きなの! と自らのブラウスをはだけてミソに相対します。それを機に互いに抑えてきた思いが言葉(忘れた…)になって溢れ出ます。

ふたりの言葉や気持ちの中に男であるジヌの存在が感じられなかったです。これがよかったですね。お互いに相手への気持をぶつけ合っているようなシーンでしたのでふたりが抱き合うんじゃないかと思って見ていました。

ということにはならず(笑)、ハウンは済州島へ帰っていきます。その後、ジヌも済州島に戻り、ふたりは結婚することになります。そして、結婚式の当日、ハウンが失踪します。

再会、永遠の別れ、永遠のソウルメイト…

こうやって思い返してみますと、時系列がわかりにくいのは意図的なシャッフルではなく省略が多いからですね。

冒頭の公募展と同じ現在に戻ります。ミソはソウルで働いており、それなりの立場(チーム長と言われていた…)にいます。また、4、5歳の子どもと暮らしています。ミソがハウンのブログを読むシーンから再びフラッシュバックに入り、失踪した後のハウンのことが明らかになっていきます。

ハウンは、ミソが絵の勉強をするといってソウルに出た後の足跡をたどります。当時ミソが借りていた部屋を借り、そこで絵を描き始めます。また、ミソが行ったと嘘をついていたバイカル湖にも行きます。

経緯は忘れましたが、ハウンがミソの前に現れます。ハウンはほぼ臨月というお腹をしています。ジヌとの間の子を身ごもっているのです(結婚式の前にラブシーンがあった…)。

病院です。おそらく救急搬送でしょう、医師がミソに出血はあったが母子ともに無事だと言っています。しかし、後日、ハウンは容態が急変し出血のため死亡します。

ミソは、ハウンの住まいであり、また、以前自分が暮らしていた住まいを訪ねます。そこにはハウンの生きた証とミソへの思いの痕跡と、そして描きかけのミソの肖像画が残されています。

ミソは自分の手でハウンの子どもを育てることにします。また、描きかけの自分の肖像画を完成させようとします。ハウンのブログもあたかも生きているかのように書き続けます。そして、完成した絵で公募展に応募します。高校時代のミソを鉛筆画で描いたものです。

現在に戻ります。ジヌがミソを訪ねてきます。ミソと暮らしている子どもが自分とハウンの間に生まれた子だと知ります。ミソは子どもには言わないでと言います。

なぜジヌに言っちゃいけないのかはっきりした記憶はありませんが、ハウンがそう言っていたからだったように思います。なぜでしょうね。

ハウンがミソとの、そしてミソがハウンとの強い思いを持ち続けているということなんだと思います。友情であるか愛情であるかではなく、ソウルメイトとして…。

元ネタ(映画)を見てみよう。