「No.10」はアレックス・ファン・ヴァーメルダム監督自身の10作目という意味らしい…
オランダのマルク・ファン・ヴァーメルダム監督の2021年の映画です。初めて目にする名前ですが、2013年に「ボーグマン」という映画でカンヌのコンペティションに選出されたことがあるようです。オランダの映画監督といいますと、「エル ELLE」や「ベネデッタ」のポール・バーホーベン監督くらいしか名前が浮かばないのですが、この映画でマルク・ファン・ヴァーメルダム監督の名前も記憶しておこうと思います。ちょっと異質な感じで面白い映画です。
不可解…(笑)
とにかくその不可解さで、逆にスクリーンに釘付けになってしまいます(笑)。
何をやろうとしているのかわからないけれども映画のつくりはうまいです。
前半は何やら新作の舞台劇の稽古シーンが続き、その俳優であるギュンターが演出家カールの妻であり共演俳優のイサベルと不倫状態にあることが描かれていきます。その舞台劇も1、2シーンの稽古だけですのでどんなものかはわかりませんが、なんとなく不条理劇っぽいです。室内でギュンターを含めた4人がグラスを持って乾杯していますと、そこに執事役のマリウスが入ってくるのですが、ギュンターがそのマリウスの前を遮って進めないようにするギャグのようなことを真剣にやるのです。
演出家のマジ加減なんかで結構笑えるのですが、笑っていいのかどうなのかがとても中途半端で面白いです。
で、ギュンターの不倫がマリウスに知られることになり、マリウスがカールに告げ口してバレて、ギュンターとマリウスの役が変えられたりします。ですので、この人間関係が映画の軸かと思っていますと、とんでもありません。
後半になりますと、その舞台劇も不倫話もすっかり飛んでしまうくらいのまさかの大転換となります。
後半への前振り…
前半にいくつかその前振りがあるのですが、誰もこの展開は予想できないでしょう。
ギュンターにはリジーという娘がいます。話が細かくなりますが、小ネタが結構笑えますので書いておきますと、リジーがボーイフレンドを連れてディナーにやって来るシーンで、ギュンターが男に名前で声を掛けますと、リジーがまったく動じることなくそれは前の彼よと言います。ギュンターもリジーも男もまったくなんのリアクションもなく進みます。
その前のシーンにもあります。その時、ギュンターの家にはイサベルが来ており、キスシーンなどあり、そこにリジーが来るわけですが、ギュンターはイサベルにトイレも流すなと言い置きしてイサベルを寝室に残して玄関に出ていくのです。もちろんイサベルになんのリアクションもありません。
これの何が面白いの?と言われそうですが、ただ好きなだけです(笑)。
前振りの話に戻します。リジーが、検診にいったら自分には肺がひとつしかない(片方は小さいと言っていた…)ことがわかり、父親も検査したいと言われたと、ややいぶかしさを漂わせながら言います。ギュンターは拒否し、その後でしたか、ギュンターがタブレットでネット記事を見るシーンがあり、そこにはギュンターの写真と子どもの頃に森で見つけられた(字幕…)といった内容が表示されているのです。
そして、中盤あたりになりますと、何者かが何かを監視しているカットがポツポツと挿入されてようになります。また、ある日、橋の上で男がすれ違いざまに何やら聞いたことのない言葉でささやきかけてきます。
という後半への前振りがあり、舞台劇が本番の日を迎えます。配役は変更されたままですので、ギュンターは出番が少ないのでしょう、舞台の奈落に入りプロンプターボックスから舞台のマリウスを見上げています。そして何をやるかのと言いますと、いきなり立っているマリウスの両足に釘を打ちつけます。イエスの手が釘で打たれた状態が両足にされているということです。
意味の上での関連があるとは思えませんが、後半を見ますと、思いつき程度の関連はありそうです(笑)。
ATTENTION!
日本の公式サイトに監督のメッセージなのか、配給の宣伝戦略なのかわかりませんが、次の表示があります。以下完全にネタバレしていますのでご注意を。ただ、私はネタを知っていても面白いと思いますし、え?! と驚くようなことではなく、は? という方向性の驚きです。
これ以降、舞台劇の話も、マリウスがどうなったかも、イサベルとの不倫話も完全に忘れ去られます。
ただ、リジーだけは後半に絡んできます。前半にもリジーがギュンターを影から盗撮するシーンがありましたが、舞台劇の本番の日もキャットウォークあたりから何者かが盗撮している映像が入ります。リジーです。父親がなにか怪しいと思ったということと、これ以降一緒に行動させるための前振りでしょう。
で、後半、どうなるかといいますと、ギュンターに数人の男たちが近づいてきます。そして、あっけなく、君は宇宙人だと明かすのです。
これが実にうまいもので、疑問など浮かびません。ああ、そうなんだとすんなり入ってきます(人によります(笑)…)。肺がひとつなのがその証だとレントゲン写真を見せてくれます。そして、我々はなんとか星(名前を言っていたと思う…)からやってきた者であり、数十年前に地球人との共生の可能性を探るために子どもたち数人(10人くらいだったか…)を地球に降ろしたのだが、生き残ったのは君だけだと教えてくれます。さらに、君の使命は終わった、故郷へ帰ろうと言うのです。
リジーの肺が片方だけ小さいというのも単純で笑えます。そして、リジーもこの事実(?)を知ることとなり、まったく迷うことなくギュンターと一緒に行動します。
で、ラストは教会の地下に隠されていた宇宙船でなんとか星へ帰っていきます。
教会? と思いますよね。
おそらく宇宙人ネタだけではつまらないと考えたんじゃないかと思いますが、なんとか星に向かう男たちの中には地球人の神父や聖職者が入っています。前半にも何シーンか舞台劇のことやギュンターのことを司教のような人物に聖職者が報告する前ぶりが入っており、後半になりますと宇宙人の話とともにこのキリスト教絡みのシーンがかなり多くなります。
宗教的にあまり深い話ではなかったように思いますが、聖職者たちの目的はなんとか星での布教らしいです。
ああ、そうですか…ということで、置いてきぼりにされた我々は、野っぱらの一軒家の教会が次第に持ち上がり、地面がひび割れ、巨大な宇宙船が地中から現れ、そしてなんとか星に飛び去っていく姿をじっと見つめるしかありません(笑)。
という、不可解さがとても面白い映画でした。「ボーグマン」というのを見てみましょう。
ところで、タイトルの「No.10」の意味はアレックス・ファン・ヴァーメルダム監督自身の10作目という意味らしいです。