コンペティション

ペネロペ・クルスの映画監督役がはまっていてびっくり!

ペネロペが天才映画監督? マジですか?! 最も似合わない役じゃないですか…。

と思って見てみましたら、とんでもない! ペネロペ・クルスさんの俳優力を見損なっていました(ペコリ)。

コンペティション / 監督:ガストン・ドゥプラット & マリアノ・コーン

おふざけ映画で面白い…

監督はガストン・ドゥプラット & マリアノ・コーン監督の二人、日本で公開されている「ル・コルビュジエの家」と「笑う故郷」ではどちらも二人の監督作品となっています。「ル・コルビュジエの家」はル・コルビュジエの名前からそのタイトルは記憶していますが見ていません。こういう映画を撮る監督たちなら見ておけばよかったです。54歳くらいと48歳くらいで、IMDbを見てみますとほとんどの作品が共同作業のようです。

で、この「コンペティション」ですが、80歳の誕生日を迎えた富豪が世に自分の名を残したいと思い立ち、映画と橋を作ることを思い立ちます。橋はやめたのかと思いましたら、最後に橋の前でテープカットをしていました。そういうふざけた映画です(笑)。

その映画の監督がペネロペ・クルスで、出演者がアントニオ・バンデラスとオスカル・マルティネスの二人という、ほぼこの三人だけの映画です。映画の内容は兄弟二人の愛憎もののようですがそれ自体にあまり意味はなく、二人の俳優が競い合う(コンペティション)、いや、監督も含めて三人が競い合うようなつくりの映画です。

ただ、その映画内映画「Rivalidad(ライバル、競争)」にはベストセラー小説の原作があり、その小説は「笑う故郷」でオスカル・マルティネスさんが演じたノーベル賞作家ダニエル・マントバーニの小説という設定がなされています。こういうふざけた映画です(笑)。

さらにふざけているのが、とにかく映画に関わることのあれこれを皮肉りまくっていることです。そもそもこの映画内映画製作の発端が金持ちの名誉欲や顕示欲ということからしてそうですし、監督のローラ(ペネロペ・クルス)はエクササイズだと言って、大きな岩の下で演技をさせたり、読み合わせの段階から奇妙なことばかりさせます。そして挙げ句の果てにフェニックス(アントニオ・バンデラス)とイバン(オスカル・マルティネス)の二人にこれまでもらった映画賞のトロフィーや楯を持ってきてと言い、二人を劇場の客席にぐるぐる巻に動けなくしたまま、舞台上の粉砕機でそのトロフィーや楯を粉々にしてしまいます。ローラ自身が受賞したカンヌ映画祭のパルムドールなどの証しも粉砕していました。こういうふざけた映画です(笑)。

モダニズム建築物の遠近の中で…

ロケ地となっている建築物はどこなんだろうと調べてみましたが、一ヶ所というわけではなさそうです。アートセンターや美術館や空港が使われているようです。

すべてのシーンがこうしたミニマムなモダニズム的な空間の中で繰り広げられます。人物をシンメトリーに配してそれを真正面から撮っています。人物を真正面からアップで撮るシーンも多いです。鏡も多用していました。

それらすべて、遠近感を強調することが意図されているようです。三人の主要な人物以外にはローラのマネージャーのような人物やフェニックスの付き人などスタッフが何人か登場しますが、遠近を強調するために主要な三人の奥深くに配置されて、時にそこからカメラ位置に近づいてくるといった撮り方がされています。

モダニズムというよりもミニマリズムと言ったほうがいいかも知れません。そうした美意識は徹底しています。

風刺は本物か…

アントニオ・バンデラスが演じるフェニックスは売れっ子俳優です。そのこと自体が皮肉られています。ある意味、ハリウッド的なアカデミー賞俳優がイメージされているとも言えます。

もう一方のオスカル・マルティネスが演じるイバンはヨーロッパ的な、カンヌ、ベルリン、ヴェネツィア的な演技力で勝負みたいな俳優が皮肉られています。

ただ、描き方に嫌味はありません。当然でしょう、ガストン・ドゥプラット & マリアノ・コーンの二人もその中で生きているわけですから、それなりに自嘲的な意味合いはあるにしても映画を愛しているということでしかありません。

ラストシーンでローラが「映画は映画だ」と言っていました。

この映画が描いている映画内映画はリハーサルシーンだけです。結局、フェニックスとイバンの対抗心が事故を生み、イバンが高いところから墜落して植物人間になります。それでも映画は、フェニックスが兄弟を二役で演じることで完成します。この二役のアイデアは事故の前にイバン自身がローラにフェニックスをおろして自分が二役を演じるのはどうかと囁いていたアイデアです。こうしたところにも皮肉があるのでしょう。

という風刺や皮肉に満ちた映画ではあるのですが、なぜかローラだけにはあまりそうしたものが感じられません。これはちょっと不思議なことなんですが、本当ならば皮肉を効かせようと意図されていたにもかかわらずペネロペがやりきってしまったがためにそうならなかったのか、監督たちの女性への敬意の現れなのか興味のあるところです。

完成披露のレッドカーペットシーンのカメラマンたちが二人を除いてすべて男性であるのも意図的な構成だと思われます。

興味が湧いてきましたので「ル・コルビュジエの家」と「笑う故郷」を見てみましょう。