何を伝えたいのかわからないのですが…
「14歳の栞」の竹林亮監督です。その映画は映像コンテンツ会社チョコレイトの栗林和明さんがクリープハイプの「栞」のプロモーションの相談を受けたところから始まったということでしたが、この「大きな家」は公式サイトのコメントを読む限りでは齊藤工さんの発案から始まったようです。
特別でもなんでもない子どもたちの日常…
東京にある児童養護施設の子どもたちの日常を撮った映画です。
それ以外には表現のしようのない映画です。児童養護施設に入るからにはそれなりの理由があるわけですが、そうした子どもたちの事情には一切触れていません。
朝起きて顔を洗い、食事をし、学校へ行く準備をする様子、学校から帰ってくれば遊び、勉強をし、食事をして、風呂に入って眠ります。
子どもの年齢ごとにそれぞれ、4,5歳くらい(だったか…)、7歳、14歳…と、19歳まで個別の子どもに焦点を当て、それを年齢順に並べることで擬似的に入所した子どもが退所していくまでを描く手法をとっています。
撮影スタッフに施設内を案内してくれる子ども、スケートボードで遊ぶ子ども、野球選手を目指す(かどうかはわからない…)子ども(中学生?…)、大学で陸上の短距離にかける子ども(大学生…)などが描かれていきます。
生活環境は、男女はもちろん、それぞれ数名ずつのグループに分かれて生活しているようです。もちろん個室です。
高学年(中学から高校かな…)の男の子たちは、立山と言っていたと思いますが、何日かにわたる登山体験のようなこともやっていましたし、女の子を含めた何人かは、カンボジア(ネパール?…)へ海外ボランティア(ボランティアの意味はわからない…)へも行き、現地の児童養護施設の子どもたちと交流していました。
その海外ボランティアのシーンでは施設の職員でしょうか、自分たちの施設は子どもたち100名(だったと思う…)が暮らし、職員120名が働いており、資金は東京都から出ていると話していました。
という映画です。
映画製作者たちが特別視している…
で思うのは、この映画は一体何なんだろうということです。
まず映画として伝えたいことがわかりません。エンターテインメントではありませんし、ましてやドキュメンタリーですので伝えたいものがなければ映画として成り立ちません。
映画館への入場時にこんなフライヤーが配布されていました。
なんだか嫌な感じがしますね。この映画を見ようと思う人が子どもたちを誹謗中傷するとは思えませんが、この映画の製作者たちにはそう見えるんですかね。もしそう見えるのであれば、こういう映画を撮っちゃいけないです。
どういうことかといいますと、この映画の中には子どもたちをどうこう言うような内容はありません。子どもたちの生活に特別なものはありません。映画の中の子どもたちが言う「血がつながっている」家族で生活している子どもたちと変わるところがあるとは思えません。
この映画を撮っている製作者たちが児童養護施設の子どもたちを特殊だと見て映画をつくっていることが表現されているだけです。逆説的にそう言えるということです。
この映画は、意図的に子どもたちの「血がつながっている」いないという言葉を切り取って描いています。子どもたちに「血がつながっていないから家族じゃない」と言わせています(強要しているという意味ではない…)。また、この子どもたちには「血がつながっている」家族と暮らせない理由があるんだという前提を利用して映画をつくっています。
そういう前提をこの映画の製作者たちはどう考えているかということが一番の問題です。その前提がなければこの映画を撮らないでしょう。であるならその前提に焦点を当てない映画を撮っても何も伝わってこないということです。
あのフライヤーはこういう批判もやめてくれということなんでしょうか。
18歳の壁は撤廃されているよ…
仮にこの映画を児童養護施設がどういう施設かを知らない人が見てもよくわかりませんよね。そうした人をターゲットにつくられた映画ではないということです。であればこの映画が何を伝えたいのかわからないという意味はわかっていただけるんじゃないかと思います。
それに気になるのは編集と音楽です。ひとつのシークエンスの中の時系列と場所が無視されています。意図がよくわかりません。結局そういうテクニックと音楽に頼らないと映画にならないと判断したということだと思います。
「REALVOICE」
乳児院と児童養護施設で育った山本昌子さんが撮った映画があります。
映画製作上では足りないところもありますが、むしろこの「大きな家」よりも伝えたいという気持ちを感じますし、社会の問題点も見えてきます。
ところで、今年の4月から児童養護施設の年齢制限、この映画の中でも語られていた18歳で退所しなくてはいけないという18歳の壁が撤廃されています。