REALVOICE

親子共依存にさせない社会環境が求められるのだが…

子どもに対する虐待やネグレクトを題材にした映画は結構見ていますが、その実相を知っているかと言われますと、実際そうした場面に出会ったこともありませんし、映画でもドラマ以外には見たことはありません。

当然ながらその現場の映像が世に出てくることは考えづらく、しかしながらその体験者が自らの体験を語ることでその実相に迫ることはできるわけで、それこそが映画が成すべきことじゃないかと思います。

そうした虐待やネグレクトを体験した(することになってしまった…)子どもたちの成長した姿を追ったドキュメンタリー「REALVOICE」が公開されています。

REALVOICE / 監督:山本昌子

虐待サバイバーのリアルな声

その映画「REALVOICE」は下のリンク先で見られます。Youtube や Vimeo でも公開されています。

監督は山本昌子さん、自身も生後4カ月のときにネグレクトのために保護され、乳児院と児童養護施設で育ったという方です。映画の冒頭には監督本人が出演しており、自己紹介のようなシーンから始まります。

その後に55名(出演自体は70名らしい…)の体験者(被害者…)のインタビューが続くわけですが、その中から二人の体験者が取り上げられ、その二人を追うことで虐待やネグレクトの実相に迫ろうとしています。

二人以外の方は数秒のワンメッセージだけで構成されており、それぞれがどういった体験をすることになってしまったかわかりませんが、静かに怒りをぶつける人もいますし、感謝の言葉を述べる方もしますし、そこから見えてくることは保護された後がいかに大切かということです。

子どもながらに理不尽な体験をしてしまったわけですから、身体的なことだけではなく、心の傷は計り知れないものがあると思われ、そうした傷が残らないようにケアしていくことが重要なんだとあらためて感じます。

で、映画の軸となっている二人はしおんさんとあやさんです。二人へのインタビューがほぼ交互に構成されています。あやさんは顔出しNGらしく、それもあって対照的に見える二人です。

しおんさんの場合

しおんさんはとても快活な人です。現在は福祉士になることを目的に大学に通っているそうですが、過去には大変な思いをしているようです。9才の頃に母親のパートナーから身体的な虐待が始まり、一時保護を繰り返した後、12歳で児童心理治療施設に入所、その後15歳で家庭復帰しますが虐待は止まず、16歳で自立援助ホームで1年過ごした後、高校卒業まで里親の元で生活しています。

映画は1年間くらいのしおんさんを追っています。しおんさんは虐待防止団体ハートレスキュー(正確に聞き取れていない…)で虐待防止アドバイザーをしているらしくそのレクチャーシーンから始まり、その後は個人的な、母親やそのパートナーの話に絞られていきます。

印象的なのは、この映画の中で、母親のパートナーががんで余命宣告され、そして亡くなるわけですが、決して恨みつらみを言うことはありません。おそらく気持ちを抑えているんでしょう。

母親に対しても、許せないところもあるけれども大好きと言い、自分を生んでくれたのはお母さんだからと複雑な思いを語っています。母親とパートナーの関係についても、お母さんも頼る人がいなかったからかわいそうだったしと擁護したりします。ただ、パートナーが亡くなったら母親とも絶縁すると言ったりします。おそらく常にそうした揺れ動く気持ちが続いていくのでしょう。

このしおんさんは快活なだけに本心が見えづらいところがあり、また、カメラを向けられているわけですから明るく振る舞うことを演じているかもしれず、映画としてはやや甘い感じがします。

しおんさんは、虐待の加害者である母親のパートナーが亡くなったことで気持ちの区切りがついたのか、時々フラッシュバックがあると言いながらも、あれは一体何だったんだろうと次第に悪夢のような記憶が消えていくとも語ります。

撮影期間は常にカメラを向けられる被写体ですので頑張ってしまうところも多かったのではないかと思いますが、できるだけリラックスして、本人が語っていたように、自分は自分だ、自分に強くなりたいという気持ちを大切にしていくことを願います。

あやさんの場合

あやさんはネグレクトのケースかと思います。

背景が具体的に語られませんのではっきりしませんが、母子家庭のようで、本人によれば貧困のために0歳から乳児院、児童養護施設を経て6歳で家に戻ったけれども、妹か弟かが生まれ、さらに生活は厳しくなったということです。母親が養護施設で育っており親兄弟姉妹親戚というものがなく、また生活保護など支援を求めることはしなかったために社会から孤立していたと言います。あやさん自身も貧しかったことを恥ずかしく思っていたと言います。

孤立した生活環境ですので家庭内でのぶつかり合いになったんだろうと思います。母親との喧嘩、リストカット、家出となっていきます。あやさんはリストカットを繰り返すその頃の気持ちを誰かに自分の存在を知ってほしかったためだと冷静に分析しています。

その後、中学1年のときに部活の顧問に相談するも聞き流されたことが大きかったようです。結局、母親も含めまわりに相談したり自分のことを認めてくれる存在がいなかったためにSNS上の男性に頼ることになります。また、中学の頃から夜の仕事をするようになったと言います。性行為を含むということでしょう。

具体的にはわかりませんが、行政に相談したけれども虐待がないことから親身に受け取ってもらえなかったと言い、あやさんにとっては行政の人よりも夜の仕事で出会う男性の方が信用できたと言います。日常的に食べることにも困っていたという意味のようです。

性行為についてはあまり抵抗はなかったと言います。理由は児童養護施設で上級生から性虐待を受け、また小学生の時に実の父親からも性虐待を受けたと言います。幼い頃からの体験がこういうものだと思い込ませてしまったということです。

しおんさんの場合は山本監督との会話がそのまま入りますが、あやさんのシーンはほとんど山本監督の質問が入らずあやさんの語りだけに編集されています。ですので、たとえば実の父親は一緒に暮らしていたということだろうかなど疑問も解消されずに進みます。

その後、あやさんはうつ病とパニック障害を患い1年半入院します。入院してもよかったと感じたのは三食食べられることと人とたくさん話ができることだったと言います。貧困の度合がすざましかったことが思われます。そして高校生になり、自立していくに従って母親への期待がなくなり、母親と距離を保つことが出来て楽になったと言います。

あやさんはとても雄弁で語彙も豊富です。最後にあやさんの語ることが問題の本質をついているような気がします。あやさんの言葉です。

「(母親が)虐待をしたくてしていたわけではないことは私が一番知っています」

共依存の果てに

幼い子どもが母親に依存するのは極めて自然なことだと思います。問題はその母親が子どもに依存してしまう環境をなくさない限り問題は解決しないと思います。

ここには子どもが父親に依存するという関係は出てきません。つまり、現象的には母子家庭として現れてくるわけですが、本来なら両親そろって子どもを見ていくという環境になるべき(子育てが家庭だけのものという意味ではない…)ところ、そうならなかった家庭をどうサポートしていくかということであり、とにかく孤立させないということかと思います。

孤立させれば共依存関係が生まれます。孤立した環境の共依存関係をつくらない社会環境を作っていくことがこうした問題を多少なりとも解決していく道筋ではないかと思います。

もちろん、言うは易し行うは難しではあります。