あのシャッフル編集では人物像が浮かび上がってきません…
今年2024年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞(キリアン・マーフィ)、助演男優賞(ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門受賞の映画です。
セキュリティ・クリアランス
クリストファー・ノーラン監督というのはすごいことをやっているように見せるのがうまい監督だなあと思います。
ちょっと嫌味な言い回しになりましたが、それにしてもこの映画、オッペンハイマーという人物を描こうとした映画でしょう。あんなに時間軸をシャッフルしてしまったらどういう人物だったのか何も伝わってきません(人によります(笑)…)。
あれはフラッシュバックとかの手法じゃないです。その意図がわかりません。あのシャッフル編集でオッペンハイマーのなにか見えてくるものがあるんですかね。
時間軸のベースとなっているのは1954年4月から5月にかけて行われた安全保障公聴会です。狭い部屋で秘密裏に行われていた査問委員会みたいなやつです。映画ではルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)との対立関係で描いていましたので何が焦点かよくわかりませんでしたが、あの公聴会でオッペンハイマーが剥奪された権限はセキュリティ・クリアランスというものです。
このセキュリティ・クリアランスというのは先ごろ日本でもその制度創設が閣議決定されたとの報道があったもので、国の機密情報にアクセスできる権限を指し、そのために国があらゆる個人情報を調査できるようにする制度です。まだ法律は成立していません。
で、オッペンハイマーはあの公聴会でセキュリティ・クリアランスを剥奪されていますので、その後アメリカにおける原子力関係の情報にはアクセスできなくなり政治的な影響力を失ったということです。
赤狩り Red Scare
その時代のアメリカはソ連の台頭による共産主義への恐怖から「赤狩り」というヒステリー状態に陥っており、オッペンハイマーもソ連のスパイ活動に関わっていたのではないかとみられたということです。
で、映画はその公聴会を軸にして、オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)の大学時代からの足跡を、まあほんとにどのシーンがどのシーンとつながっているのかわからないくらいにシャッフルして描いていきます。いや、あれは描かれているとは言えないですね。早い話、オッペンハイマーを知りたければ、とりあえずはウィキペディアでも読んだほうがいいです(ゴメン…)。
そのウィキペディアによればハーバード大学を首席で卒業しています。映画でも言っていたかもしれませんが頭に入ってきていません。その後ヨーロッパに渡っています。
ケンブリッジの教授(かな…)を殺そうとしてリンゴに青酸カリを注射するシーンがありましたが、あれは友人が実際に語っていることだとウィキペディアにあります。なぜあのシーンを唐突に入れたのかよくわかりませんが、殺そうとした相手は後にノーベル賞を受賞するパトリック・ブラケットという物理学者だそうです。もうちょっときちんと描いてよと言いたくなります。
この映画は、2006年にピュリッツァー賞を受賞したノンフィクション『オッペンハイマー』をベースにしているとのことですし、ウィキペディアもソースは同じかもしれません。オランダ語を短期間にマスターして講義をしたというエピソードも使われていました。これもウィキペディアにあります。
ジーンとキティ
オッペンハイマーの学問的な研究や成果についてはまったく描かれていません。多少は描かれていたかもしれませんが切り刻まれていますので記憶に残りません。
主に描かれていたのは、スペイン内戦での人民戦線に資金援助をしたり、ナチスによるユダヤ人科学者迫害に対して発言したり、共産党関連の集会に参加したりという政治的活動です。
そして恋愛関係、不思議なことに(笑)恋愛シーンになるとあのうるさい音楽がなくなります。ひとりはジーン・タトロック(フローレンス・ピュー)で共産党員であり、当時22歳の学生です。オッペンハイマーはその大学の教授で32歳です。そのジーンは29歳で自殺しています。死因には暗殺説というものがあり、映画ではジーンが何者かの手によって水の張られたバスタブに押し付けられているようなカットが入っていました。
扱いが雑すぎます。あのカットを入れるのであれば、その根拠となるものをもっと描くべきですし、マンハッタン計画との関連があると考えるのであればもっとはっきりさせるべきです。
それにしても、このジーンとはセックスシーンもありましたが、あれ必要ですか。他のシーンとのバランスが悪すぎます。それに公聴会のシーンでオッペンハイマーが見る妄想として、公聴会の男たちがいる中でジーンが全裸でオッペンハイマーとセックスしているようなカットがありましたが、あれも必要ですか。実際にその場で撮影しているわけではないかもしれませんが、映画的な意図がわかりません。
そして、もうひとりの女性は妻となるキティ・プニング(エミリー・ブラント)、この人も共産党員です。後に離党しています。オッペンハイマーとの出会いやニューメキシコ州の牧場で乗馬を楽しむシーンが、これまたエピソード的に簡単に描かれています。キティ30歳、オッペンハイマー36歳のときに結婚し、その後二人の子どもが生まれています。
キティがオッペンハイマーにもっと頑張りなさい! とか、反論しなさい! とか尻を叩く(そういう言葉です…)シーンが2、3シーンありましたが、あれはジェンダー言い訳かもしれませんね。
キティ(キャサリン)・オッペンハイマーのウィキペディアを読みますとオッペンハイマーの犠牲になったんじゃないかという気がしてきます。ジーン・タトロックもそうです。
マンハッタン計画
で、当然ながら、映画のほとんどはマンハッタン計画に費やされています。ただ、何度も言いますが、シャッフル編集ですので具体的な道筋などまるで記憶に残っていません。
レズリー・グローヴス(マット・デイモン)がマンハッタン計画の責任者として登場し、ロスアラモスに研究所を作ることとなり、所長にオッペンハイマーをたてて原爆開発がスタートします。もちろん研究自体はもっと前から始まっています。
そして完成、1945年7月16日、核実験トリニティが実行されます。その名を命名したのはオッペンハイマーで、自らイギリスの詩人ジョン・ダンの『Holy Sonnets』からの引用だと語っているそうです。
There is a poem of John Donne, written just before his death, which I know and love. From it a quotation: “As West and East / In all flatt Maps—and I am one—are one, / So death doth touch the Resurrection.” That still does not make a Trinity, but in another, better known devotional poem Donne opens, “Batter my heart, three-person’d God;—.”
(Holy Sonnets)
ジョン・ダンが死の直前に書いた詩があり、私はそれが大好きです。そこにはこうあります。”As West and East / In all flatt Maps—and I am one—are one, / So death doth touch the Resurrection.” これだけではまだ三位一体になりませんが、また別のよく知られた詩の書き出しには “Batter my heart, three-person’d God;—.” とあります。
伝記ものはこういうところにこだわって欲しいと思います。
オッペンハイマーはその後、水爆開発に反対したり、核抑止力論や核の国連管理のような考えを持つようになったと描かれていました。
大作主義の罠に陥っている
ということで、オッペンハイマーの伝記的な映画かと思いましたら全然違っていましたし、原爆の父と言われている人ですので原爆開発の過程が描かれるのかと思っていましたらそれも違っていたという映画です。
なんだか空虚さだけが残る映画でした。何をやりたかったんだろうという感じがします。
この映画の登場人物には良きことを為そうとする人はひとりも出てきません。悪しきことを為そうとする人もひとりも出てきません。歴史の中である役割を担った人物のその役割を演じる人物が出てくるだけです。
この映画には、歴史上の人物を描きながらそれらの人物への評価がまったくありません。
大作主義の罠に陥ったクリストファー・ノーラン監督ということかと思います。