オルジャスの白い馬

カザフスタンの美しき風景に西部劇を持ち込むと…

この映画、竹葉リサ監督とカザフスタンのエルラン・ヌルムハンベトフ監督の共同監督となっています。俳優としては、森山未來さんがカザフスタンの俳優たちの中にひとり加わっています。

映画監督というのは、こういう映画を撮りたいという思いがあってこそできる仕事ですので、共同監督というのは難しそうです。役割分担を身をもって自覚できている者同士か、どちらかがよほどの人格者じゃないとうまくいかないような気がします。

この映画はうまくいっているのでしょうか?

オルジャスの白い馬
オルジャスの白い馬 / 監督:竹葉リサ、エルラン・ヌルムハンベトフ

エルラン・ヌルムハンベトフ監督のことはまったく知りませんし、竹葉リサ監督も短編を1本見て、劇場公開作でどんな映画を撮っているかを知っている程度ですが、印象としては、基本はヌルムハンベトフ監督の映画に竹葉監督のドラマ要素をプラスし、映画の統一感は撮影監督のアジズ・ジャンバキエフのものという感じの映画です。

もう初っ端から、画は私が見たことのある竹葉リサ監督のものじゃないです。フィクスで完璧な構図を求めた画の連続です。美しいカザフスタンの風景が続きます。公式サイトに撮影監督のアジズ・ジャンバキエフさんについて

『ハーモニー・レッスン』(2013/エミール・バイガジン監督)で、第63回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(撮影に対する芸術貢献賞)を受賞した若き名手アジズ・ジャンバキエフ。

(公式サイト)

とありましたので、ググってみましたら「ハーモニー・レッスン」のトレーラーらしきものが YouTube にありました。

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すごいですね、この映画。すべてのカットがほぼ完璧な構図です(上の動画を見ての感想ではありません)。

率直にいって、この「オルジャスの白い馬」も画でもっているという映画です。

カザフスタンの遊牧民(ではなく定住ですが)の家族がいます。10歳くらいの男の子オルジャス、母親のアイグリ(サマル・イェスリャーモワ)、そして父親です。父親が市場のような取引場に馬を売りに行きます。取引は成立しますが、その相手が悪党で父親は殺されてしまいます。アイグリにその知らせが入り、オルジャスも父の死を知ることとなり、葬儀が営まれます。

ここまでが前半です。父親が殺されるシーンは少し前からそんな気配を漂わせていることもあり、あ、そう、そうくるの、という感じで、美しい風景と大胆な犯行のミスマッチが結構おもしろかったです。ただ、物語的には、アイグリにもオルジャスにもほとんど感情表現がありませんし、葬儀の場面でひとりの女性がアイグリに「あんたのせいよ!」と怒りをぶつけっるシーンがあったりと、え、なに? この映画、どこへ向かっているの? と行き先がよく見えません。

あの女性は殺された父親の姉妹か何かかもしれません。関連シーンがカットされているのでしょう。

そして後半、突如、バスの中のカイラート(森山未來)のシーンになります。

え? とは思いますが、次第に事情はわかってきますので許容範囲ではあります。カイラートはアイグリの元夫か元恋人でオルジャスの実の父親です。具体的な理由は最後まで明かされません(ないんでしょう)が、何らかの理由で出奔していて8年ぶりだったかに戻ってきたということです。 

カイラートは、馬飼い?とか字幕が出ていましたが要はカウボーイということで乗馬シーンがあり、森山さん、結構様になっていました。数十頭の馬を追うシーンは多分スタントだと思います。

アイグリはその村に居づらくなったのか引っ越すことになりカイラートも同行します。その途中で例の悪党に出会い、カイラートもケガはするものの悪党をやっつけます。そして、カイラートは何も言わずに(バスで)去っていきます。

オイオイ、西部劇か!? というドラマがカザフスタンの美しき風景の中にぶち込まれています。そう言えば、カイラートが去っていくところを見つめるオルジャスのシーンは「シェーン」のようでした(笑)。おそらくこのドラマ部分を竹葉監督が入れているのでしょう。

やや茶化すような書き方をしてしまいましたが、そんなに違和感があるわけではありません。ただ、あるひとつの意志のものにつくられた映画ではないことは見て取れます。それを画(撮影)が統一感をもたらしている映画かと思います。

中国の奥地、河西回廊を舞台にした「「僕たちの家へ帰ろう」という子ども二人を主役にした映画がありましたが、ああいう映画になる可能性があったのにとやや残念ではあります。