40年前は男のロマンティシズムでも、2025年の今からみればDV…
「バグダッド・カフェ 4Kレストア」に続いてのリバイバル上映「パリ、テキサス 4K レストア版」です。なんと! 当時見ていると思っていたのに見ていませんでした。多分「アメリカ、家族のいる風景」や「ランド・オブ・プレンティ」とごちゃごちゃになっていたんだと思います。
40年を経た2025年の今からみれば…
ですので新鮮な気持ちで見たわけですが、一番強く感じたことはえらく男臭い話だなあということです。もちろん、あくまでも2025年視点で見るととの話であり、40年前であれば男の悲哀みたいなものを感じていたんだろうと思います。
その見方が大きく分かれる一番のシーンはやはり映画のクライマックスになっているトラヴィスとジェーンの再会シーンでしょう。
滔々と自らの思いを語り続けるトラヴィスに対して、ジェーンは何も語らせてもらえません。そしてあたかもそれが極めて自然なことであるかのように、その意志を尋ねられることもなく(いつもハンターのことを考えていたとは言っていた…)息子ハンターと暮らすように仕向けられます。重ねて言いますが、意思を尋ねられることもなくです。
そして、そのときトラヴィスは遠くから二人を見守り、しあわせに暮らせよと言い残して(言ってはいないけどそういうこと…)去っていきます。
まるで西部劇みたいな話です。
さらにうがった見方をしますと、男であるトラヴィスには4年間どうやって生きてきたかもわからない放浪の旅というロマンティシズムが成立するのに、女であるジェーンに待ち受けているのはセックスワーカー(のぞき部屋ですがほぼそういうことでしょう…)になるしかないというジェンダー観で描かれています。
こうした女性の描き方パターンは現代のドラマでもよく使われるものですが、この映画ではさらにトラヴィスに腹を立てさせています。こんなに愛しているのにお前は俺を裏切ったみたいな感じでしょうか。そしてトラヴィスは自分が去ることがお前のためにも、そして子どものためにもいいのだと自己満足に浸るのです。
これ以上書きますと怒られそうですが(笑)、もうひとつだけ、再会シーンでトラヴィスが語っている自らの思いは完全にDV心理です。足に鈴をつける、ストーブに縛り付ける、その言い訳が愛しすぎていたです。
という、仮に40年前に見ていても決してそうは見えなかったであろうあれこれが見えてしまったという映画です。
男のロマンティシズム…
といった時代の流れを排除してもなお、この映画は男のロマンティシズムの映画だと思います。
トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)が人っ子ひとりいない荒野を一点を見つめて歩いていきます。その後、脱水症状かと思いますが気を失って田舎の町医者のもとに担ぎ込まれます。テキサス州ターリングアです。
トラヴィスは失語症状態で何も話しません。医師はトラヴィスが持っていた電話番号に電話をします。弟のウォルト(ディーン・ストックウェル)がロサンゼルスからやってきます。トラヴィスは4年前に失踪したまま行方知れずになっていたのです。
ウォルトはトラヴィスをロサンゼルスにつれて帰ります。映画序盤1/3はターリングアからロサンゼルスまでの兄弟のロードムービーです。何も話さないトラヴィスにウォルトが苛立ったり、トラヴィスがひとりで歩きだしたり、飛行機に乗ったもののパニックに陥ったりということが続きます。
そしてその間、当時トラヴィスにはジェーンという妻とハンターという4歳の息子がいたこと、また、ジェーンも行方知れずでありハンターはウォルトと妻アンが育てていることがウォルトの話から明らかにされ、一方トラヴィスの方は、唐突に写真を出してテキサスのパリに土地を買ったと言い、少しずつ話をするようになります。
トラヴィスはその地パリに向かって歩いていたということなんでしょう。
映画中盤の1/3はロサンゼルスでのトラヴィスとハンターの父子関係を軸に進みます。ハンターはウォルトをパパと呼び、アン(オーロール・クレマン)をママと呼んでいます。トラヴィスと対面しても戸惑うハンターです。トラヴィスもどう振る舞うべきかわからないようです。そんな父子が次第に4年間の空白を埋めていきます。
そしてあるとき、アンがトラヴィスに、実はジェーンはハンターの銀行口座にヒューストンの銀行から毎月5日に送金してきていると話します。
トラヴィスはジェーンを探そうと決心し、ハンターを連れてヒューストンに向かいます。このシークエンスが映画終盤の1/3くらいになっています。
話はそれますが、ロサンゼルスからヒューストンまで2,000kmを超えています。日本で言えば札幌から福岡くらいまでの距離です。ドイツは南北700km、東西500kmくらいの国土ですのでヴィム・ヴェンダース監督の気持ちもちょっとだけ分かります。あこがれにも似た気持ちが画や物語に現れているということです。
ヒューストンの銀行です。ハンターがジェーンを見つけます。車で後を追い、ある場所に着きます。トラヴィスはハンターを車に残してひとりその建物に入っていきます。のぞき部屋です。トラヴィスはそのひと部屋に入りジェーンと思しき金髪の女性を指名します。部屋はマジックミラーになっています。入ってきた女性は確かにジェーン(ナスターシャ・キンスキー)です。トラヴィスは話すことができず飛び出していきます。その日、トラヴィスは酔いつぶれます。
翌日、トラヴィスはハンターをホテルに残して再びのぞき部屋を訪れます。トラヴィスは話を聞いてくれと話し始めます。
男と女が出会い恋に落ちた。しあわせの日々が続いたが男は年は離れていることに不安を感じていた。男は女の愛情を試すため夜遅く帰ったりした。女は嫉妬することなく男はさらに不安を感じた。やがて二人に子どもが生まれた。女は男にも子育てにも疲れ果てていた。男の不安はさらに増しアルコール依存症になった。自分が寝ている間に女が逃げ出すのではないかと足に鈴をつけさせた。女は鈴に布を入れて音がしないようにした。男は女をストーブに縛り付けた。男が目覚めたとき家は燃えていた。両腕に火がつき目覚めて家から飛び出した。
途中、ジェーンは「トラヴィス…」ともらして鏡にしがみつきます。話し終えたトラヴィスはジェーンに明かりを消すように言います。暗くなったジェーンからトラヴィスがぼんやりと見えています。
トラヴィスはホテルの1520号室にハンターがいると言い残して出ていきます。
荷物を持ったジェーンは1520号室に入ってきます。気づいたハンターはゆっくりとジェーンに近づきます。ジェーンはハンターをしっかりと抱きしめます。
隣のビルの屋上から二人の姿を確かめるトラヴィス(ということだと思う…)、そして車を走らせて去っていきます。
40年前に見ていたら、果たしてこれをカッコいいなんて思ったのでしょうか。
ヴィム・ヴェンダースとサム・シェパード…
基本、ヴィム・ヴェンダース監督の映画はロマンティシズムだと思います。それにアメリカへの憧れのようなものを強く感じます。
そして、この映画のシナリオはサム・シェパードさんです。俳優として有名ですが本人は劇作家(playwright)が自分の仕事だと言っています。アメリカ中西部、家族、アウトサイダー、カウボーイといったアメリカのアイデンティティを強く感じさせる作家のようです。
この二人の化学反応の映画ということでしょう。
ただ、トラヴィスとジェーンの再会シーンはヴェンダース監督と電話でやり取りして書いた(決めた…)と語っていますし、その部分なのか全体なのかはわかりませんが、あまり気に入っていないとも言っています。
サム・シェパードさんは、2005年に同じくヴィム・ヴェンダース監督の映画「アメリカ、家族のいる風景 Don’t Come Knocking」のシナリオを書き、また主演として出演もしています。
この映画の方には納得しているようです。