パオロ・ソレンティーノ監督の I love Napoli …
パオロ・ソレンティーノ監督、見ているのはもう10年前になる「グレート・ビューティー 追憶のローマ」だけです。そのレビューにはなんじゃこりゃみたいなことを書いていますが、見直したほうがいいかも知れません。この「パルテノペ ナポリの宝石」、良し悪し両面で目を見張るような映画でした(笑)。

イタリア人にしか撮れない自己陶酔映画…
こんな映画、イタリア人(知らないけど…)じゃなきゃ撮れないなあという、完全なる自己陶酔型映画です。でもおもしろいです。
1950年、ナポリのポジリポの裕福な家で女の子が生まれます。町の提督(字幕…)によりパルテノペと名付けられます。パルテノペとはナポリという町の起源となった名前らしく、つまり、この女の子パルテノペにはナポリそのものという象徴的な意味合いが込められているということです。
そのパルテノペが73歳になるまでの生涯を描いている映画です。ただ生涯といっても具体的な人生が描かれるわけではなく、その美しさによって人を惹きつけ、その知性によって人を感嘆させる様が描かれるわけで、それによってその周囲、つまりはナポリという町の美しさ、すばらしさ、そして、猥雑さ、低俗さが描かれていく映画です。
パルテノペを演じているのはセレステ・ダッラ・ポルタさん、1997年生まれですので製作時は25、6歳というところだと思います。長編映画としてはこの映画が二作目です。
最初の登場は、トレーラーにもある海の中からにゅーと顔を出すシーンで、ん? と首をひねると言いますか、ぴんとこなかったんですが、それが映画が進むうちにどんどん魅力的になっていくんです。
映画自体がこのセレステ・ダッラ・ポルタさんを撮ることにむちゃくちゃ執着している映画で、モデル撮影のようなカットがいっぱいあります。それに衣装もラグジュアリーブランド風で統一されており、どれも美しいです。製作にサンローラン プロダクションが入っていますし、サンローランのクリエイティブディレクターのアンソニー・ヴァカレロさんがプロデューサーとともにコスチューム・デザイナー(カルロ・ポッジョーリさんと連名…)にクレジットされています。
ライモンドのパルテノペへの禁断の愛…
1950年、ナポリの海でパルテノペが誕生します。母親はまさしく海の中で出産していました。さすがに実際に海の中というのはないとは思いますが、それ用の浴槽の中で出産する水中出産という出産法はあるようです。
※スマートフォンの場合は2度押しが必要です
生まれて即、1968年、パルテノペ18歳(セレステ・ダッラ・ポルタ)にとびます。
何もかもが美しいナポリが描かれます。
パルテノペを女神のように崇めるサンドリーノ(後に自ら家政婦の息子と言っていた…)、パルテノペへの許されざる愛に苦しむ兄ライモンド、そして映画的には大きくは扱われていませんがその憂鬱そうな佇まいが気になる父親の中にあって、とにかくひとり輝いているパルテノペです。
パルテノペの美しさは見た目(完全なるルッキズム…)だけではありません。学生であるパルテノペはその知性において人類学のマロッタ教授からも敬意を払われる存在になります。
このマロッタ教授や後に登場する作家ジョン・チーヴァー(実在のアメリカの小説家です…)とのやり取りは哲学的と言いますか、禅問答のようで字幕ではうまくつかめません(笑)。ただ、これもひとつの映画的要素として効果が出ています。
1973年、パルテノペ23歳、兄のライモンドがパルテノペに自由になろうと言い、サンドリーノとともにカプリ島へ行きます。パルテノペへの禁断の愛に苦しむライモンドが何をしようとしたのかはわかりませんが、3人で戯れる(上の動画の37秒…)うちにサンドリーノとパルテノペが愛し合うこととなり、ひとりその場を去ったライモンドはカプリ島の崖から身を投げて亡くなります。
このライモンドの存在はナポリという町の持つ家族主義的濃密さとか閉鎖性(知らないけど…)を象徴しているのかも知れません。映画のつくりはまったくリアリズムではなく象徴的なシーン構成になっており、そのすべてがパオロ・ソレンティーノ監督のナポリという町への思いが反映されているのだと思います。
ジョン・チーヴァー(ゲイリー・オールドマン)ともここで出会い、ライモンドの件と並行して描かれています。男がジョン・チーヴァーと名乗った時、パルテノペはその著作をすべて読んだと言っています。やり取りは観念的(字幕が…)ですんなり入ってきませんでしたが、きっとライモンドのこととの対比で愛についてだったんだと思います。
血の奇跡、肥大化した巨体はナポリのメタファー…
ライモンドの死のショックもさほど大きく描かれてはいません。あらゆる表現が象徴的ということです。叙情的であっても情緒的ではないということです。
その後、パルテノペは女優への道に進もうとします。理由はわかりません(笑)。このパートはかなり異様であったり、滑稽であったり、醜悪であったりします。
顔を手術でずたずたにされたために常に紗のようなもので顔を覆った俳優プロダクションのマネージャー(かな…)の女性が登場したり、その紹介でグレタ・クールに会ったりします。この俳優グレタ・クールはナポリ出身であるにもかかわらず、何らかの式典でナポリに戻った際のスピーチでナポリをこき下ろします。
これも同じようにパオロ・ソレンティーノ監督の思いのひとつの反映なんでしょう。
このパートではどういう意図かはわかりませんが、衆目が見つめる中、若い男女が性行為を行うシーンがあります。その影響かどうかははっきりしませんが、パルテノペはひとりの男(マフィアかも…)とセックスをし身籠ります。
ただそれも現実感をもって描かれることはなく、あっさり堕胎し、パルテノペは学生生活に戻ります。
1982年、パルテノペ32歳、マロッタ教授のもとでそれなりに学者としての地位を築いています。サン・ジェナーロ(ヤヌアリウス)の論文執筆の依頼を受けたと言い、またマロッタ教授からはトレント大学で2年間の教職を経て自分の後継者としてナポリに戻ればいいと勧められます。
パルテノペは論文執筆のためにテゾローネ枢機卿に会い、「血の奇跡」の儀式に立ち会い、その後、枢機卿の求めに応じて性行為を受け入れます。
Paola Magni, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons
その論文がどうなったかは曖昧なまま(笑)、映画は、パオロ・ソレンティーノ監督がこれがナポリだと考えているのではないかというパートに進みます。
マロッタ教授は退官に当たり、パルテノペに自分の後継者たることを望み、息子を紹介します。その息子はあまりにも肥大化し、動くことも出来ず、ただその裸の巨体を持て余したままパルテノペに「チャオ」と言葉をかけるのみです。
パルテノペはその息子に満願の笑みを浮かべて「チャオ」と返し、その身体に触れて、そして笑顔のまま去っていきます。
パオロ・ソレンティーノ監督の I love Napoli…
2023年、パルテノペ73歳(ステファニア・サンドレッリ)です。
パルテノペはマロッタ教授の後継となることなく、トレント大学の教官としてそのキャリアを終えています。
そして、カプリ島で青春を懐かしみナポリに戻ります。
ナポリではソチエタ・スポルティーヴァ・カルチョ・ナポリがセリエAで33年ぶりの優勝を果たしてパレードが行われています。
笑顔でパレードを見送るパルテノペです。
というパオロ・ソレンティーノ監督の「I love Napoli」の映画でした。
イタリア人たるパオロ・ソレンティーノ監督にしか撮れない映画という感じです。それゆえにつまらなくもおもしろい映画と言えます。
良くも悪くも女性を女神と崇める価値観はイタリアから生まれたとあらためて認識する映画でした。