Playground/校庭

子どもをダシにしてはいけない…

予想通りの映画でうんざりしました。内容にうんざり以前にこういう映画を撮る大人たちにうんざりです。

以下、この映画を評価されている方は気分が悪くなるかも知れませんので退出していただいたほうがいいかも知れません。

Playground 校庭 /監督:ローラ・ワンデル

子どもをダシにしてはいけない…

予想していたのなら見なきゃいいのにというのが真っ当な意見ですので何も言えないのですが、でもちょっと言っときます。

まず第一に子どもにこんなことさせちゃいけません。演技ではあっても心の中で何が起きているかわかりません。

それに、この映画が描いているいじめはすでに様々に語られているタイプのものであり、この映画の中に解決策の糸口もありませんし、そもそもつくり手にその意図があるとも思えません。

撮影手法といい、ドラマといい、あざといです。

一貫して小学校に入学したばかりのノラを撮っています。時々、ノラの視線の先を撮った画が入ります。それはかなり時々ですし見ていてもその規則性のようなものは感じられません。たとえば兄アベルへの視線は兄にピントを合わせるとか、そうした規則性がありません。

そもそもこの撮影手法は新鮮なものではなく「サウルの息子」がほぼ同じ手法をとっています。

誰の視点なんでしょう。もちろんノラの視点であるわけはなく、カメラ位置をノラの高さに合わせてあるからといって友達の視点でもありません。つくり手の視点ですよね。どういう視点かといえばノラを観察している視点です。

こうしたいじめの話を大人が観察していていいことではないでしょう。この映画の問題はなぜ子どもたちのいじめを観察する視点で撮る必要があるかということです。単に面白い映画を撮りたいということしか感じられなくあざといということです。

日本の公式サイトに Director’s Statement がありましたので読み始めたんですが、最初の言葉が「本作では、息の詰まるような現代の社会的恐怖について描きたいと思いました」とあり、思わず、マジか?! と言葉が出そうになりました。

だったら大人社会を描きなさいと言いたいですし、子どもをダシにするのはやめてよねと言いたいですね。

傍観する大人たち…

この映画に唯一意味があるとすれば、大人たちを傍観者に置いていることです。

それが強く出ていることはいいことですが、そもそもそれが意図ではないでしょうし、それにそう感じる人も多くないかも知れません。仮にそうした意図があったとしても他に方法があると思います。

この映画がやっていることは現に今起きていることかも知れない(じゃなくて起きていることでしょう…)ことですので「息の詰まるような現代の社会的恐怖について描きたい」なんていっている場合じゃないと思いますけどね。