行動せよと促すサイコマジックはコロナ後の世界に必要なことかも…
サイコセラピー(心理療法)と言いますと、映画でもそうしたシーンを見ることがありますが、治療を受ける患者が寝椅子に横たわり、セラピストからの問いかけに答えていくスタイルが思い浮かびます。この映画のなかでも言われていますが、その療法は言葉のやり取りだけでセラピストと患者が接触するということはないようです。
それに対して「ホドロフスキーのサイコマジックは行動を起こす」ことを求めます。セラピストは積極的に患者と接触します。
そのサイコマジックの数々を見せてくれる映画です。
ホドロフスキー監督の映画を語る場合には「カルト」という言葉が使われることが多く、実際私も「エル・トポ」「リアリティのダンス」「エンドレス・ポエトリー」と3本見ていますが、映画そのものはよくわかりませんし、今ではすっかりその内容も忘れてしまっています。
ただ、ホドロフスキー監督の名前をみれば見てみようと思うわけですから何らかの魅力を感じているのか、あるいは宣伝に踊らされているのでしょう(笑)。
で、この「ホドロフスキーのサイコマジック」ですが、意外にも映画としては非常にわかりやすいです。「ホドロフスキーが考案した心理療法(公式サイト)」であるサイコマジックを使い10組の相談者(患者ではないので)の変化を捉えた映像やインタビューで構成され、その後「ソーシャル・サイコマジック」と称してチリやメキシコ(ビバメキシコ!と言っていた)の(多分過去の)集会の映像が流れます。
そして最後はアルチュール・アッシュさんというミュージシャンが登場し、ステージ上で弾き語りをしながら父親との関係で悩んできた云々のような話をし、サイコマジックですっきりした(と言っていたかな?)みたいな(適当でペコリ)感じで終わります。
また、過去の映画のワンシーンが挿入され、それがサイコマジックの一部である(ということなのかな?)との演出がされており、正直映画を記憶していませんのでなんとも言えませんが、ついついああそうかあ(笑)と思わせられてしまいます。
話は映画から離れますが、このアルチュール・アッシュさん、お父さんはジャック・イジュランというフランスの有名な歌手とのことなんですが、そのどちらの名前にもなにも浮かびませんのでいろいろググってみましたらこんな動画がありました。
La boxeuse amoureuse Arthur H French and English subtitles
無茶苦茶好きなタイプの映像じゃないですか! こういうダンス、大好きなんです(笑)。
ダンスつながりというわけではなく映画を見ながら思っていたことですが、サイコマジック療法の中に、男女二人が相談者をマッサージすることから次第に体の接触を増やし、さらに衣服をはさみで切り裂きながら裸にしていき、治療をする(でいいのかな?)側も裸になり、三人が絡み合うように、ひとつになるように、いうなればうごめくという感じのシーンがあります。
まるでダンスだなあと思いながら見ていました。ダンスでも結構多いんですが、この療法はおそらく胎内に戻る(戻す)イメージなんだろうと思います。
さらに話は飛んで、なんと! そのシーンを見ながら同時に「密だなあ」の言葉が浮かぶ自分にびっくり! 「コロナ後の世界」が始まっています。世界が変わってしまいました(涙)。
ソーシャル・ディスタンシングはともかく、自分の机の周りにダンボールを立てて学ぶ生徒たち、友だちと話すことを禁じられただ黙々と給食を食べる児童たち、この非人間的ともいえる環境で育つ子どもたちが作る世界は一体どんな世界になるのでしょう。
話を映画に戻して、サイコマジックを求めて訪れた者には様々な魔術的儀式が施されます。上のダンス的なもの以外には、丘の上に穴を掘りそこに寝かせて土をかぶせ肉を撒いて鳥を呼び寄せ鳥に食いちぎられる疑似体験をさせたり、大駱駝艦の金粉ショーばりの全身金色ペイントで街なかを歩かせたり、月経の血で自画像を描かせたりと一般的な常識からするとかなり奇妙なものばかりです。
それぞれの相談者の具体的な相談事(悩み)は個々には記憶していませんが、その多くが父親であったり母親であったり恋人や夫婦間の悩みであったりと、ほとんど人間関係だというのは不条理というか理不尽というか、余計なものを手に入れてしまった人間の業の深さということなんでしょうか。
などと、ついついわかったようなことを言わされてしまうところも「サイコマジック」ということなんだろうと思います(笑)。
ところで、この映画を見ようと思ったもうひとつの理由は「あいちトリエンナーレ」に「サイコマジック:アレハンドロ・ホドロフスキーへの手紙」という展示があり、サイコマジックの相談者が後にホドロフスキーさんに出した手紙を展示した「パスカレハンドロ(アレハンドロ・ホドロフスキー&パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー)」の作品を見たことです。
パスカル・モンタンドン=ホドロフスキーさんというのはこの映画の撮影監督であり、ホドロフスキー監督とは夫婦ということです。
その展示を見た時は具体的なイメージがわきませんでしたがこの映画を見てどういうことかよくわかり、今その展示の手紙の和訳を読んでみますとああなるほどとよく理解できます。
確か、その展示として流れていた映像がこの映画のチリやメキシコの集会のシーンだったと思います。
「あいちトリエンナーレ2019」
パスカレハンドロ(アレハンドロ・ホドロフスキー&パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー)(N06) | あいちトリエンナーレ2019(cssのリンクが切れています)