センチメンタル・バリュー

家族や父娘の関係にセンチメンタル過ぎるかな…

わたしは最悪。」「テルマ」「母の残像」のヨアキム・トリアー監督です。昨年2025年のカンヌ国際映画祭でグランプリ受賞、今年のアカデミー賞では作品賞はじめ 8部門 9ノミネートだそうです。どうなるんでしょうか。発表は日本時間の3月16日です。

センチメンタル・バリュー / 監督:ヨアキム・トリアー

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ネタバレあらすじ

各シーンごと、その間に黒味を入れた断片的な編集と、どこに向かっているのかわからない展開、いやいや、向かっているのはハッピーエンド的娘と父の和解だろうと予想はつくのですが、その二人の関係を描くために「家」にまつわる歴史が持ち込まれたり、いったい主役は誰なのだと混乱するくらいに二人以外の人物、娘の妹や父親が連れてくるアメリカの映画俳優に焦点が当てられたりと、このハッピーエンドであれば何もこんなややこしいことなどせずに、二人の確執をもっと深く描けばそれで済むのではないかと思ったのでした。

なぜノーラはパニックになるのだろう…

ノーラ(レナーテ・レインスヴェ)は40歳近い年齢かと思います。舞台俳優です。冒頭のシーンはノーラの主演舞台なんですが、パニック状態になり舞台に立てない状態がかなりしつこく描かれます。それでも終わってみれば(内容は描かれない…)スタンディングオベーション状態でそれなりに評価の高い俳優と思われます。

このパニック状態の描写が相当過剰なのにその理由の触りさえも描かれません。この後描かれていく父親との確執であったり、祖母や母の苦悩をノーラが引き受けていることが影響しているのであればもう少し丁寧に描かないとテーマの連続性が損なわれます。

早い話、あのパニック発作が常時起きるのであれば俳優を続けていくのは無理だということです。ヨアキム・トリアー監督は初っ端にいったい何を見せようとしたんでしょう。

母が亡くなります。それ自体は描かれず、故人を偲ぶ会(かな…)に突然父親グスタフ(ステラン・スカルスガルド)がやってきます。グスタフはノーラと妹のアグネス(インガ・イブスドッテル・リッレオース)が幼い頃に家を出てしまっています。夫婦の間には喧嘩が絶えなかった様子が描かれますが、それがなぜなのかはまったく語られません。

グスタフは著名な映画監督ですが、ここ10数年新作は撮っていません。アグネスは幼い頃にグスタフの映画に子役として出演しています。その映画はグスタフの代表作かつ傑作として世に残り、今どこかの映画祭(多分カンヌ…)でレトロスペクティブ上映がされています。その映画を見たハリウッド俳優レイチェル(エル・ファニング)は涙を流して感動しています。

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役とはいえエル・ファニングがかわいそう…

グスタフは10数年ぶりに新作を撮ろうとしています。テーマは家族、あるいは父と娘の関係と思われます。

グスタフは向かい合ったノーラに、過去のことなどまるでなかったかのように、また娘が父親である自分をどう思っているかに思い至ることもなく、お前に主役を演ってほしい、お前のために書いたシナリオだと言います。また、映画の舞台は家族が長く暮らし、ある日突然父親が去り、その後も母親と姉妹が暮らしてきたその家だと言うのです。

ノーラはシナリオに目を落とすこともなく、いまさら関わらないでと拒絶します。

これは映画ですので、この後の展開はノーラが父親への複雑な思いを乗り越えて父親の望みを受け入れるか、あるいは破滅的父娘関係になるか、そのどちらかしかありません。この時代、後者を選択する勇気のある監督などいないでしょうから、ほぼ前者になることが予想されます。

まあその通りになるのですが、この映画はその過程を二人に対峙させることで描くのではなく、そこに第三者を当て馬的に入れたり、反目する二人に融和剤を振りかけることで結論に結びつける選択をしています。

ノーラに出演を断られたグスタフはレイチェルに出演を打診し、グスタフの映画に感動したレイチェルは引き受けます。

映画の舞台はノルウェーです。グスタフとレイチェルは幾度もミーティングを重ね、舞台となる家で読み合わせやリハーサルを重ねていきます。しかし、うまくいきません。グスタフは顔には出しませんが、レイチェルは敏感に感じています。そして、ついにレイチェルは、これは私の役ではない、あなたを失望させたくないと降板を申し出ます。

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はたして父娘のわだかまりは解けたのか…

この映画、テーマと思われる父と娘の関係を描いているように見えて、実のところグスタフとノーラが話をするシーンはまったくといっていいほどありません。むしろ描かれるのは第三者であるレイチェルのシーンと妹アグネスのシーンがかなりの割合をしめています。

アグネスは二人の間に立って融和する役割です。といっても説得したりするわけではなく、意固地な二人の間で悲しそうな表情を浮かべたり、きつい言葉を吐くノーラに対して顔をしかめたりしています。

この映画はノーラとグスタフに言葉で語らせるのではなく、アグネスの存在と表情で父と娘、あるいは家族というものを描こうとしているのかも知れません。

そのアグネスがグスタフの母である自分の祖母の過去の記録を公文書館のようなところで調べるシーンがあります。祖母は第二次世界大戦中にノルウェーがナチスドイツの支配下にあったときにレジスタンスとして抵抗し、拘束されて拷問されています。また、終戦後に結婚し、グスタフを生み、その後自殺しています。

実はこの映画、映画冒頭は、ノーラたちが生まれ育ち、グスタフが映画の舞台とする「家」を象徴的に撮った画に誰だかわからないナレーションが入るシーンから始まります。そして中頃にもその「家」の今に至るあれこれがナレーションで語られるシーンがあります。

率直なところ、それらのシーンがこの映画のテーマにどう結びついているかはよくわからないのですが、その「家」が擬人化されて父娘の関係に何らかの影響を与えているように描こうとしている気配が感じられます。

冒頭の「家」のシーンでは壁に亀裂が入っていることが象徴的に描かれ、ラストシーンではその「家」がリフォームされ、そこでグスタフの映画がノーラによって演じられるシーンで終わります。ただし、その後にはその家が映画のセットであることを見せています。

結局のところ、父娘のわだかまりが消えたとは描いていますが、それが映画のセットの中だけのことであるとも読み取れるわけで、なんともはっきりしない映画ではあります。

いずれにしても、ノーラに映画への出演を後押しするのはアグネスですので、父と二人の娘の映画であることは間違いありません。

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感想、考察:母の自殺になにかあるのかも…

という、なんともはっきりしない映画なんですが、おそらく家族というものに強い思い入れがある人にとってみれば、家族間の確執なんてものはどの家族にあると思われますので自分を重ね合わせることができる映画なんだろうと思います。

所詮人の心のうちなどわからないものではありますが、父親にしても娘二人にしてもいったい何が問題なのか、曖昧模糊として煮えきらない映画ではあります。それだからこそいい映画との評価もできますが、家族や親子といったものへの思い入れがない者からしますと、30歳も過ぎれば、また40歳にもなれば、過去の家族なんてもうどうでもいいんじゃないかと思います。

ところで、ヨアキム・トリアー監督は2016年の映画「母の残像」でも、母親の死を軸してその死が自殺なのか事故なのかという映画を撮っています。調べてはいませんが、ヨアキム・トリアー監督にはなにか個人的な思いがあることなのかも知れません。