つくられすぎた物語を田中裕子さんが救う
ある日ちょっと出掛けてくると言ったまま消えてしまった夫を待つ二人の妻の物語です。監督は久保田直さんというドキュメンタリーをたくさん手がけている監督さんです。ただ、この映画は2014年の「家路」に続く2本めの劇映画で、脚本家青木研次さんのオリジナルストーリーということです。
田中裕子さんの映画なんだけど…
場所は新潟県佐渡です。待つ女のひとりは登美子(田中裕子)、水産加工場で働きながら30年間夫の帰りを待ち続けています。そしてもうひとりは看護師の奈美(尾野真千子)、教師である夫洋司が2年前に出ていったきり戻ってきません。
30年間何もなかった登美子で物語を作ろうとしますと、せいぜい身元不明の死体が夫と判明したくらいしかなくなりますので(ペコリ)、奈美の側に物語をつくり、登美子に波風を立てようという映画です。
二人の接点は奈美が登美子に夫の失踪について相談することから始まります。
ということなんですが、これが何やらすっきりしないがためにドラマ自体が作りものくさく感じられ、あまりいい印象を持てない映画なんです。
ということであまりいいことを書けそうもありませんので先によかったことを書いておきますと、やはり俳優がベテランばかりですので演技にそつがありません。
田中裕子さん、言うまでもなくこの映画は田中裕子さんの映画ですし、30年間待ち続けた果てのもう何ものにもジタバタしない堂々たる「待つ女」を演じています。まったく理由がわからず、どこかで倒れているのでないか、怪我をしているのではないか、あるいは死んでいるのではないかと、しばらくは頭の中をぐるぐるしたでしょうし、またある時は自分のせいではないかと悶々としたことでしょう。でも、30年もすれば、それが日常になります。まったくの想像で言えば、逆にその日常が壊れることが怖くなることもあるのではないかと思います。
そうした30年の苦悩の果てが感じられる田中裕子さんの演技でした。ただ、映画自体は、そうした田中裕子さんに頼りすぎていますし、シナリオにも無理があります。
奈美の尾野真千子さん、映画の描写が登美子に偏りすぎていますので、奈美の人物像が浮かんでくるようないいシーンがなく、表面的にしか描かれておらずややかわいそうな役でした。それにしても尾野真千子さん、このところよく見ますね(映画です)。
登美子に所帯を持とうと迫る春夫のダンカンさん、ぴったりでした。奈美よりもその人物像がよく描かれていました。脚本家も監督も年代の近い男性だからでしょう。奈美を描けないのも同じ理由でしょうし、登美子は田中裕子さんに頼ればいいという結果の映画なんだと思います。
それにしても、春夫も、周りの男たちも、人権無視といいますか、女性には意志がないかのような(意志はいらないかのような)扱いをしていましたが、脚本家も監督もわかってやっていますよね。大丈夫ですよね。
奈美の夫役の安藤政信さん、本当に将来が決められたようで怖くなって逃げ出しました? 本当に10ヶ月間遠洋漁業に出ていました? 本当に2年間逃げていました?
皆褒めるつもりでしたが、田中裕子さんとダンカンさんだけになりました(ペコリ)。
登美子も奈美も男の妄想
登美子と奈美の出会いが作りものくさいという問題です。奈美は最初に元市長を訪ね、登美子を紹介されて会うわけですが、しばらくは一体何を相談したかったのかよくわかりませんでした。
こういうことです。登美子は30年間夫を探し続けていますので、要は失踪ということに関して詳しく、さらに場所が佐渡ですので特定失踪者(拉致被害者)に関しても、おそらく本人も調査依頼を出しているということなんでしょう。ですので、奈美は特定失踪者問題調査会に夫の調査を依頼するための依頼書作成を頼みにきたということです。
理由はわかりませんが、映画(脚本)は、これらのことをぼかしてはっきりさせていません。ですので、奈美が登美子に相談するシーンでも、奈美は夫の失踪を心配する素振りも見せていません。単になにか情報はないかと来ただけなのかと思っていましたら、その後、登美子のナレーションで調査報告が読まれるシーンが入り、え? 何、これ? 登美子は探偵? と思ったくらいです。
で、中頃でしょうか、元市長を前に登美子と奈美が調査報告書を確認し、元市長が調査会に送るというシーンがあり、そういうことなのかとやや驚きながら見ていましたら、何と、ここで奈美がこれで離婚できるかもしれないと言い、それに対して元市長がやや気色ばみ、じゃあ離婚するためにこの調査報告書が必要だったのかと応じますと、奈美は、いいえそうじゃありません、区切りが欲しかったのです(ちょっと違うかも)と答えるのです。
これは物語的な言い訳シーンであり、言い訳台詞です。
なぜ奈美をきっちり描かないのでしょう。奈美は30年前の登美子じゃないですか、登美子にしてみれば30年前の自分がそこにいるわけじゃないですか、30年を経て平穏な心も戻ってきているのに、30年前の自分がよみがえるんですよ、そんなつらいことないでしょう。その登美子を描けば、単調な登美子じゃなく、また違った登美子も描けたのにと思います。
早い話、30年間夫のことを思いカセットテープを聞き続けるなんて男の妄想です。テープなんでもう20年前に切れています。私のテンションが上がりすぎていますね(笑)。まあ、登美子も奈美も、いうなれば男が妄想する「待つ女」の範囲内ということだと思います。
ところで、カセットテープは切れてもセロテープでつないではいけません。のりがはみ出て悲惨なことになります。
30年の空白は誰にも埋められない
とにかく、この映画の登美子は、奈美の夫洋司が帰ってくるまでほとんど静止したまま動きません。
ある時、登美子がフェリーで本土に渡ります。何かと思いましたら夫の母親が亡くなり葬儀に出るためでした。唐突だなあと思いますが、さらにその後街なか(新潟市だと思う)で洋司を見つけます。
えらく颯爽と歩いているなあと思いますが(笑)、とにかく洋司は10ヶ月間遠洋漁業にでていたと言い、帰ろうかどうしようかと迷っているようなことを言います。登美子は連れて帰ります。
奈美には付き合い始めた男がいます。結婚したいと言われています。登美子はそれを知っていて奈美のもとに洋司を連れていきます。
で、映画がやろうとしているのはその奈美たちのことではなく、その後奈美に追い返された洋司を登美子のもとに向かわせ、洋司に奈美子の夫の代理をさせているのです。
雨を降らせて洋司をずぶ濡れにさせて家に入れさせるというのもなんだかなあと思いますが、夜中、登美子がぶつぶつと夫に問いかける独り言を言っていることに気づいた洋司が登美子に寄り添いますと、登美子はまるで夫か帰ってきたかのように洋司に語りかけ、また洋司も苦しみを吐き出すように泣きじゃくり登美子にしなだれます。登美子は洋司をもみくちゃにするように抱きしめます(ちょっと違うけど)。
これが唐突なんですね。でも、映画はこれをやりたかったのでしょう。実際に夫を帰せばベタ過ぎますので、その代理をさせるために奈美夫婦の存在が必要だったということです。
なお、ラストシーンは、登美子に振られた(ちょっと違うけど)春夫が死んでやると言って海に出たまま行方不明になっていたのが無事に戻り、まだ諦めきれずに一緒になってくれと迫る春夫に、登美子は今のままでいいと浜辺をどこまでも歩いていくシーンで終わります。
そりゃそうだよね、30年ひとりでいて、今更あの鬱陶しい男は嫌ですね(ペコリ)。