福地桃子さんの存在感で最後までいけばいいのに…
竹馬靖具監督の前作「の方へ、流れる」には「シナリオがいい」「唐田えりかさんがいい」などとベタ褒めしていますし、さらにこの映画は原案が中川龍太郎さんとなっていますので期待値はかなり高いです。

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ネタバレあらすじ
前半は「の方へ、流れる」のようなつくりでとてもいいですし、福地桃子さんがかなりいいです。過去にも見ている俳優さんですがこの映画で名前ともども印象づきました。父親は哀川翔さんなんですね。
映画は自身のセクシュアリティに悩み苦しむ3人の物語なんですが、前半はそれ自体がはっきりしておらず、また香里を演じている福地桃子さんの存在感でかなり集中して見られます。ただ、後半になりますと、問題はセクシュアリティなんだとわかってくる上に物語の展開が一気に説明的になり、正直なところもうわかったからそのへんでいいよという気になってきます。
中川龍太郎さんの原案がどんなものかはわかりませんが、プロット程度のものだとすれば、それを深めることなく時間的に引き伸ばしただけのような映画になっています。
もったいないですね。あんなに説明しなくても俳優の存在感で持たせる映画にすべきだったんだと思います。その点では香里(福地桃子)と健流(寛一郎)で終盤まで引っ張って、慎吾(中川龍太郎)の出番をもっと減らすべきだったと思います。
余計なことですが、あの難しい役を中川龍太郎さんに振るのは無理です(ゴメン…)。
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香里、大丈夫です
時間的なスパンとしては数年を描いていますが、エピソードを断片的に見せていく手法で、1年後とか1周忌とかぽんぽんぽんと時間が飛びます。始まってしばらくはそれが結構心地よいです。
香里(福地桃子)が同僚とともに海外とオンライン会議をしています。終了後、後輩に仕事上のミスを指摘します。後輩はすみませんと言いながらもさほど気にする様子もなく、香里をその日の合コンに誘っています。
この後輩は後半に再登場し、セクシュアリティという点では3+1くらいの重要度が与えられています。
合コンでの香里はやや浮いた感じですし、楽しそうではありません。席を外しますとひとりの男性がついてきて二人にならないかと誘ってきます。香里がきっぱりとあなたに興味がないと言いますと男は逆ギレ気味に香里を抱こうとします。香里は男を突き飛ばします。
この一連のシーンで香里の人物像が明確になります。社会的にも精神的にも自立しているということです。後に香里は人に恋する感情がわからないし性的な欲求を感じたことがないと言います。言葉で表現すれば、アロマンティック・アセクシュアルということになります。
ただ、それは映画的あと付けで(いや、先付けか…)、福地桃子さんの演じる香里はそんなセクシュアリティを越えています。自立した強さがあります。
この香里、頻繁に「大丈夫」という言葉を使います。自分に言い聞かせたり、相手を気遣ったりでよく使っていた印象です。
香里、大丈夫です。
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香里、健流と出会う
火葬場(かな…)で香里が手を合わせています。母親が亡くなったようです。多分疎遠だったのでしょう、ネグレクトか虐待されたようなことを言っていたと思います。
香里が弁護士と会っています。健流(寛一郎)です。相続の依頼なんでしょうか、よくわかりません。香里が別れ際になぜこんな仕事(案件だったかな…)を受けているのかと尋ねますと、健流は…
忘れました(笑)。結構考えられた台詞なんでしょうが、そもそも健流に何を依頼して、それを香里がなぜと疑問を持つこと自体がわからないのに、その答えを聞いてもなるほどと記憶に残るわけがありません。もう少しシナリオを考えてね(笑)。
慎吾(中川龍太郎)がサイン会をやっています。作家です。健流が来ています。知り合いのようですが慎吾はそっけないです。健流が出待ちしています。慎吾が妻の沙月(朝倉あき)を伴って出てきます。沙月はマネージャーか編集者でもある設定だと思います。少し話せないかという健流、冷たく拒絶する慎吾です。
健流が10年ぶりとか言い、慎吾のこの素っ気なさですから過去になにかあったということです。映画を見慣れていますと、もうこれだけでほぼ想像はつきます。
カフェで香里と健流が再会します。ともにひとりで本を読んでいます。香里に気づく健流、声を掛けることもなく読書、健流に気づく香里、気になるも本に目を落とす香里、再び健流を見るももう席を立った後です。
突然路上でうずくまる健流、カフェから出てきた香里が声を掛けます。
もう次のシーンは健流の住まいで二人で食事のシーンだったように思います。健流が香里に泊まっていかないかと誘います。ただ、どことなく切羽詰まったと言いますか、心から望んでいないのに無理をしているような雰囲気があります。しばらくは香里はベッドで、健流はソファで寝ていますが、香里が一緒に寝て欲しいと言い二人はベッドに行き、そしてどうこうなるわけではなく、健流は今でも忘れられない人がいると言い、香里は自分のセクシュアリティを告白して(いたように記憶して…)います。
そして、1年後、二人は結婚するつもりでいるようです。
本当はこのあたりをもっと深く描くべきなのにそれがされていませんので後半失速ということになります。
二人で旅行に行きますが、健流はなにか苛立っています。ホテルでの夜、二人の間にセックスはありません。健流がホテルを抜け出し、ラブホテルに向かいます。そこには男娼が待っています。
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香里、慎吾に会う
さらに1年後、すでに健流はいません。自殺したということです。
香里は退職します。結婚するという口実なんでしょう、同僚たちに祝福され送られます。例の後輩が追っかけてきて一緒に飲むことになり、後輩が突然、結婚は嘘でしょう、私は先輩が嫌いです、いつもわかったような顔をしてムカつく、死ね!と言って去っていきます。この後輩、もう一度登場します。
香里は慎吾のサイン会に行き、自分は健流の婚約者だと名乗ります。
ということで、この後は香里がなぜ健流は自殺したのかを知ろうとし、過去に何があったのかを慎吾に尋ねるという展開が最後まで続きます。
映画として見られるのはこのあたりまでで、後半は香里がなぜ健流は自殺したのかを知りたいと願い、慎吾に健流が忘れられない人がいると言っていたのは誰かと尋ねる展開となります。
当然見ている方にはもうわかっているわけで、その気持ちが反映されるのか、香里もわかってなおかつ慎吾に尋ねているのかと思える節もあり、なんとも煮えきらない展開が最後まで続きます。
結局、香里は健流が慎吾にあてた遺書のような手紙を見ることで二人の関係を知ります。香里に特別な変化もありませんのでわかっていたという設定なのかも知れません。
そして、さらに余計なもの(ゴメン…)がくっついています。
例の後輩が再び登場し、ごめんなさいと謝り、二人で泊まることになり、香里に迫ってきます。自分は男たちからセックス対象にしか見られていないと嘆き、寂しいと言っています。
また後日、香里が行きずりの男とセックスをしようとし、いざその場になれば、震えたり泣いたりで相手の男が引くというシーンもあります。
ラストは海辺で遠くを見つめる香里で終わっていたように思いますが、自信はありません(ゴメン…)。
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感想、考察:福地桃子さん以外大丈夫じゃない
とにかく、シナリオが薄っぺらいです。
セクシュアリティだけで人間を描こうとすること自体が間違っています。そのつもりはないにしても、この映画の後半が描いているのはそういうことであり、その表層だけです。もちろん健流の死はそれだけが理由ではないでしょう。でも映画はまるでそれだけだと言っているようです。だから表層なんです。
健流の死が原案のポイントかも知れませんが、この映画が結果として言っていることは、健流は自身のセクシュアリティに悩み苦しんで死を選んだということです。表現がベタじゃないので違って見えるかも知れませんが、悲劇的なクィア映画と同じです。
なぜもっと香里と健流の関係を深く描こうとしないのでしょう。そこにこそ人が人を求める本質があるのにです。