この映画を中年女性のイタい話と見てはいけない…
スペイン語圏の映画を見ていますと、へー、そう来るのかと思うことが多いです。価値観が自分とちょっと違うなあと新鮮で面白く感じるということです。この「サムシング・ハプンズ・トゥ・ミー」も下のメインビジュアルからしてユニークです。女性が着物を着てかんざし代わりに箸を挿し、肩にカラスがとまっています。一体何が起きるのでしょう。

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ネタバレあらすじ
この「サムシング・ハプンズ・トゥ・ミー」公開記念として、アントニオ・メンデス・エスパルサ監督の過去長編3作が特集上映されています。3作とも過去に東京国際映画祭で上映されたもののようです。
3作のうち、「ヒア・アンド・ゼア」が2012年にカンヌ国際映画祭批評家週間グランプリ受賞、そして2017年に「ライフ・アンド・ナッシング・モア」がインディペンデント・スピリット賞ジョン・カサヴェテス賞を受賞しています。
で、この「サムシング・ハプンズ・トゥ・ミー」、英題の「Something Is About to Happen」を変えちゃったんですかね。客観性が消えてしまって映画の視点とは違っちゃいますね。
ただ、その英題もおそらく映画の中の演劇のタイトル「algo va a pasar」を英訳したものだと思います。映画の原題は「Que nadie duerma」で、意味は「誰も寝てはならぬ」となり、プッチーニのオペラ「トゥーランドット」の超有名なアリアの歌い出しのイタリア語の歌詞「Nessun dorma」のスペイン語訳です。また、映画が原作としているフアン・ホセ・ミリャス著『Que nadie duerma』と同じタイトルです。
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ルシア、トゥーランドットになる
ということですので、この映画はトゥーランドットのアリア「誰も寝てはならぬ」がことの始まりであり、メインビジュアルの主人公の女性ルシアが着物を着て箸を髪に挿しているのは「トゥーランドット」が中国のお姫様のお話だからということになります。着物がかなり日本風であるのは、まあスペイン(監督はアメリカ在住らしい…)から見れば中国も日本も一緒ということで、それはスペインとポルトガルを同じように見てしまう私など日本人でも同じかと思います。それにどうでもいいことですけど(笑)襟が左前ですね。
映画の中ではこの衣装を着たシーンはなかったはずです。ルシアの衣装は何度か変わっていくわけですが、どんどん中国風に変化していました。
マドリードの街なかでルシア(マレーナ・アルテリオ)が解雇された同僚を慰めています。
このファースシーンがこの映画の視点そのものでしょう。映像はかなり引いた俯瞰の画からかなりゆっくりとズームしていきます。そこにまさしく「何かが起きるよ」と言わんばかりに激しい音楽が煽るように、煽るようにかぶさってきます。
実際、ルシア自身が勤めていたIT会社が倒産します。給与も数ヶ月未払いのまま寒空(かどうかは知らないけれど(笑)…)に放り出されます。
ルシアはおそらく40代、かなり落ち込むと思いますが、ここがラテン系のいいところで落ち込んではいてもいつもポジティブ、ルシアは車を購入しタクシー運転手を始めます。
ある日のこと、アパートメントの上階から高らかに歌う「誰も寝てはならぬ」が聞こえてきます。音楽に誘われるように階段を上がり、ベルを鳴らします。ルシアは出てきた男に恋をします。というよりも、すでにそのアリアを耳にした瞬間からルシアはトゥーランドット(お姫様の名前…)です。男はカラフ(王子様の名前…)と名乗り俳優だと言います。
後日、カラフの声(台詞の稽古…)を耳にしたルシアは屋上へ上がり、そして自ら求めるようにカラフと熱いキスを交わします。
この映画を最後まで見ますと、現実と虚構の曖昧さがひとつのテーマになっていることがはっきりします。ルシアは「誰も寝てはならぬ」を耳にした瞬間、現実と虚構の境界線上を行き来し始めたということもできます。
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ルシア版、マドリードタクシー
しかし、カラフはその日を最後に消えてしまいます。忘れられないルシアはネット検索でカラフがブラウリオ・ボタスという俳優であることを知ります。
タクシー運転手の生活が始まります。女性が乗り込んできます。ルシアはあなたが初めての客だと言いやや興奮気味です。女性は演劇プロデューサーのロベルタと名乗ります。会話は弾み、ルシアは母親がルシア10歳の誕生日に庭に出てカラスに襲われて死んだと話します。さらにカラフとの出会いを語り、その男はブラウリオ・ボタスという俳優であり、きっといつか自分のタクシーに乗ってくるに違いないと言います。ロベルタはブラウリオの名は知っているが会ったことはないと言っています。
ルシアはロベルタに親しみを感じ、その後頻繁に会うことになります。親しくなるにつれ家族のことも話すことになったのでしょう。そして、実は母親は自殺したと言います。
その後映画は、ルシアとタクシーの客との会話やその客へのルシアの振る舞いを描いていきます。私はルシアを演じているマレーナ・アルテリオさんの繊細な演技に見入って結構集中してみられました。ただ、映画がどこに向かっているのかわからない状態が結構長く続きますので物語の進展を期待しますと早く進んでよと思うかも知れません。
落ち込んだ様子の男が乗ってきます。がんを宣告されたと言います。慰めていたルシアですが、突如、これからホテルへ戻るのはどう?と言い、そしてセックスです。え? と思いますが、これがまったく嫌味なく進み、そしてその行為は手で行われます。結構考えられていると思いますし、その翌朝の朝食での会話もおもしろいです。男は昨日のことは今回限りのことでなどと言いにくそうにしていますと、ルシアは当たり前でしょと言い食べ続けています。男が自分は食べ終わったので帰ろうと思うと言いますと、ルシアは食べながら空港まで送っていくよと言い、さらに男が急がせようとしますと、じゃあタクシー拾って一人で行ってと突き放します。
スペイン語圏の映画の女性の描き方はこういうのが多く感じます。
作家を名乗る男が乗ってきます。話をするうちに食事に誘いたいと言ってきます。一旦その気になって車を下りたものの気が変わります。その後、あらためて食事をする二人です。ルシアが家に来る? と尋ね、そしてセックス、終わってグズグズしている男に泊まる気? と素っ気なく言います。男はそそくさと帰っていきます。
ある夜、酔い潰れて正体を失った男が乗ってきます。ルシアが働いていた会社を横領で潰した男です。ルシアは寝込んで起きなくなった男を身ぐるみ剥がして河川敷(川はなかったかも…)に放り出します。
翌日、河川敷で低体温症で死んだ男が発見されたとのニュースが流れています。
後日、男が乗ってきます。ルシアがもとはIT会社で働いていたと言いますと、男は河川敷で死んだ男の話を持ち出し、自分は警官だと言います。
おそらくルシアは自分が容疑者となり、このまま逮捕されるかも知れないと思ったことでしょう。見ている私もそう思い、緊迫した時間が流れます。でも、思い過ごしだったようです。
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バッドエンド版トゥーランドット
ルシアが町中を流していますと、ふとバス停の看板が目に入ります。車を停めてよく見ますと、それは演劇「ALGO VA A PASAR」の宣伝ポスターであり、出演者にブラウリオの名前と写真が入っています。
ルシアはチケットを買い客席につきパンフレットを開きます。そこにはブラウリオの名とともにプロデューサーにロベルタ、そして作家を名乗り一度限りの関係を持った男の名が演出と記されているのです。演じられるのは、ルシアがロベルタに話したカラフとの出会い、母がカラスに襲われた話であり、その度毎に客席からは笑いが漏れています。
このときのルシアの表情が秀逸なんです。驚き? 怒り? あるいは喜びではないものの自分の分身がブラウリオとそこにいる心の高ぶり? そうした感情が入り混じったなんとも言えない表情をしています。
後日、ルシアは街でブラウリオを見かけます。いや、探し出したと考えるべきかもしれません。ブラウリオがタクシーに乗ります。ルシアは覚えていない? と自然に話しかけ、アパートメントに誘います。ルシアはその気になったブラウリオを挑発し、気を持たせ、体を重ね、上になり、そしてかんざし代わりの箸でブラウリオを何度も何度も刺すのです。
また後日、ルシアはロベルタをアパートメントに呼び、部屋に入るやいなや、父親の杖で殴りつけ撲殺します。
そのまた後日、アパートメントの屋上です。グリーンのドレスを着たルシアがふらふらと出てきます。屋上の縁にカラスがとまります。ルシアはごく自然な足取りで縁に近づき、そしてそのまま屋上から飛び降りてしまいます。
ラストシーンは、ファーストシーンと同じようなカメラ位置からのマドリードの街なかです。ルシアが歩いてきます。そして停車してあったタクシーに乗り街に出ていきます。
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感想、考察:この世は劇場のようなもの
ルシアの妄想だったのかもしれませんし、あるいはこのあと殺人容疑で逮捕されるのかもしれません。
初っ端から現実と虚構が曖昧なこの映画、退屈な日常に果たして何かは起きるのだろうか、ということかと思います。
ルシアが自分の今をどう考えているかはあまり描かれてはいませんが、原作のフアン・ホセ・ミリャスさんや監督のアントニオ・メンデス・エスパルサさんが男性であることから考えますと、ルシアの人物設定を独り身の中年女性の不遇と妄想という点で造形している可能性があります。
映画的にあまり重要とも思えない要介護の父親との二人暮らしとしていますし、その父親も映画中頃に亡くなっています。年齢も40代、もう50歳に近い年齢かもしれません。失業します。これが現実なら精神的には相当きつい状態に置かれます。
ああ、そう言えば、タクシー運転手を始める際の描写が女性ばかりでしたね。スペインの何らかの現実を反映させているのかもしれませんが、いずれにしてもこれも意図的です。
そのルシアが恋をします。そして叶わぬ恋とあきらめつつも、何をどうしたいのかわかりませんが(笑)ヴォイストレーニングまで始め、下腹部にタトゥーまで入れます。これ、冷静に見ますとかなりあぶないですし引きますよね。
そしてルシアは裏切られます。ルシアは奈落の底に突き落とされた状態です。飛び降りたくなるのもわかります。ロベルタやブラウリオを殺したくなるのもわかります。
この映画は、というようにルシアを描いているわけで、そのルシアをどう見ているかはファーストシーンとラストシーンが表しているように高みから眺めています。
がしかし、マレーナ・アルテリオさんが演じるルシアはその男性的上から目線をものともせず越えているように見えます。いや、跳ね除けているように見えます。
あるいは、それこそがアントニオ・メンデス・エスパルサ監督の狙いなのかもしれませんし、あるいはまた、マレーナ・アルテリオさんの俳優としての勝利だったのかもしれません。