天才ヴァイオリニストと消えた旋律

トレブリンカ強制収容所の記憶の歌 The Song of Names

映画らしい映画と言いますか、ヨーロッパらしい映画です。監督のフランソワ・ジラールさんはカナダの方ですが、原作の「The Song of Names」がイギリスの小説ですし、原作者のノーマン・レブレヒト(Norman Lebrecht)さんはイギリスの作家であり、音楽ジャーナリストでもあります。

映画の原題も小説と同タイトルの「The Song of Names」で、どういう意味なんだろうと思って見ていたんですが、映画の後半にそれがわかります。

天才ヴァイオリニストと消えた旋律

天才ヴァイオリニストと消えた旋律 / 監督:フランソワ・ジラール

一見ホロコーストがテーマだが…

「The Song of Names」、直訳すれば「名前の歌」です。

トレブリンカ強制収容所

どういう意味かと言いますと、第二次世界大戦中にナチス・ドイツがつくった絶滅収容所のひとつにポーランドのトレブリンカ強制収容所があります。そこで虐殺された人々の名前を記憶しておくために、ユダヤの人がその名前を歌にして後世に伝えたというものです。実際にあるものかどうか確認できませんでしたので創作かも知れませんが、その「The Song of Names」がキーとなって進む物語です。映画の中ではすべてを歌えば4日かかると言っていました。

トレブリンカ強制収容所の跡地は映画の中でも出てきます。ウィキペディアによれば「1942年7月23日の開所から1943年10月19日に放棄されるまでの約14か月の間に、ここで殺害されたユダヤ人の数は73万人以上にのぼる」ということです。

Treblinka Memorial 05
Adrian Grycuk, CC BY-SA 3.0 PL, via Wikimedia Commons 

石による慰霊碑です。映画の中にも出てきました。

Treblinka Cremation Pit 2
Adrian Grycuk/User:Boston9, crop by User:Poeticbent, CC BY-SA 3.0 PL, via Wikimedia Commons

焼けた灰をイメージさせる黒玄武岩による慰霊碑です。

悲劇に翻弄されるふたりの音楽家

というホロコーストの悲劇が映画の背景にはあるのですが、ただ、それが直接描かれるわけではありません。その悲劇に翻弄されたふたりの音楽家の友情と裏切り、そして信仰がテーマの映画です。

3つの時代、第二次世界大戦が勃発する1930年代後半、戦後の1951年、そしてその35年後の1986年が交錯しながら物語は進みます。

1951年、マーティン21歳

1951年のロンドン、天才ヴァイオリニストと騒がれ始めているドヴィドルのデビューコンサート会場です。ドヴィドルの後見人であり、興行の責任者であり、音楽家でもあるギルバート(スタンリー・タウンゼンド)と、その息子マーティンが気をもんでいます。

ドヴィドルが来ないのです。リハーサル後、なんの特別な様子も見せずそのまま姿を消してしまったのです。

1986年、マーティン56歳

マーティン(ティム・ロス)は音楽関係の仕事をしており、ヘレン(キャサリン・マコーマック)と結婚しています。ヘレンは35年前のコンサートのシーンにも登場しており、マーティンと恋人関係にあった女性です。

このヘレンは映画の意味合いをひっくり返すようなとても重要な人物です。登場時点からキーとなる人物であることを匂わせていますが、その訳が明かされるのは最後の最後のラストシーンです。

ドヴィドル失踪から35年後、あることがきっかけとなりマーティンがドヴィドルを探し求める物語です。

その前に、1930年代後半の物語の発端です。

1930年代後半、マーティン、ドヴィドルと出会う

マーティンの父ギルバートの正確な職業はよくわかりませんでしたが、ヴァイオリンの天才的な技巧を持つドヴィドルを預かることにします。

ドヴィドルの家族はポーランド在住ですが、父親がドヴィドルの才能を活かそうとイギリスで教育を受けさせようとしたようです。ユダヤ人迫害の危険を感じていたのかもしれませんがそうした背景は語られません。

マーティンは、最初はドヴィドルを嫌った素振りを見せますが、同年代ということもあり幼馴染的存在となり、マーティンにとってはなくてはならない存在となっていきます。

ドヴィドルはヴァイオリンの才能に自信を持っており、嫌味はないのですが鼻高々に行動する少年です。それに対してマーティンは対等ではあるのですが、一目置いているといった関係に描かれています。

そうしたふたりの友情が何シーンか描かれます。また、父ギルバートの献身的な人物像も強調されています。ドヴィドルにも分け隔てなく対しており、むしろマーティンに対する方が厳しいくらいです。ドヴィドルにはユダヤ教の成人式の儀式に参加させ、誕生日にはガリアーノのヴァイオリンを買い与えています。

感傷的な描き方はされていませんが、ドヴィドルが突然姿を消したことが、ギルバートとマーティン父子にとってどれだけ深い傷を負うことであったかということです。

時代は第二次世界大戦となります。ドイツ軍がポーランドへ侵攻したとのニュースが流れ、ロンドンも空襲の日々となり、やがて終戦、ドヴィドルの家族はトレブリンカへ連行されたとの情報があるきりでその安否はわからずじまいです。

ある日、ドヴィドルはマーティンを伴いユダヤ教寺院に向かい、その場で今日限り信仰を捨てる、棄教すると宣言します。

そして、1952年、ドヴィドルの音楽的才能は順調に伸ばされたのでしょう、レコードも発売され、デビューコンサートとなります。しかし、ドヴィドルは忽然と姿を消してしまいます。

1986年、ドヴィドルは何処に

ということで、35年後、ドヴィドル失踪の秘密が明らかになっていきます。

ワルシャワへ

1986年、マーティンは、審査員として招かれた音楽コンクールで、ドヴィドルが演奏の前に必ずしていた仕草、弓に塗る松脂にキスをする青年を見かけます。

その青年がヴァイオリンを教わったという人物から、1952年ごろ、ドヴィドルはポーランドへの旅費を稼ごうとしていたことがわかり、マーティンはワルシャワに向かいます。

ワルシャワには戦時中ドヴィドルと同じようにロンドンでヴァイオリンを学んでいたジョセフという男が、今は精神科病院に入っています。ジョセフは戦後ポーランドに戻り家族をすべて失ったショックから精神を病んでしまったのです。

ジョセフからは何も得られませんでしたが、定期的にジョセフを訪ねてくる女性がいることがわかります。その女性アナは、ドヴィドルの家族がトレブリンカ強制収容所で殺されたこと、ドヴィドル自ら追悼の曲を作曲し、トレブリンカで演奏するつもりだと言っていたこと、定期的にジョセフを訪れヴァイオリンを聞かせていたこと、そしてその時期一緒に暮らしていたことを告げ、マーティンをトレブリンカ強制収容所跡へ連れていきます。

Treblinka - Rail tracks
Little Savage, Public domain, via Wikimedia Commons 

トレブリンカの線路跡地です。当時のものだそうです。

そして、アナは別れ際、ドヴィドルはニューヨーク行きの飛行機に乗ったと語ります。

ニューヨークへ

マーティンはニューヨークへ渡り、ヴァイオリンを手がかりにドヴィドルの居場所を突き止めます。ドヴィドル(クライヴ・オーウェン)を訪ねますと、子どもがいる生活をしています。ドヴィドルは、マーティンか…と言い、外に出ようと言います。

マーティンがいきなりドヴィドルの顔面を2、3発殴りつけ、35年間抑えてきた怒りを爆発させます。どれほど父親がお前に期待していたか、父親はあのコンサートですべてを失い、2年後にお前にことを思いながら死んでいったと泣き叫ぶように語ります。

ドヴィドルがあの日のことを語り始めます。

あの日、バスに乗って寝過ごしてしまい、気づいたら知らない街に来ていた。バスを降りるとそこはユダヤ人街で、あるいはと思い自分の家族のことを尋ねたら寺院へ連れていかれてラビに会わせてくれた。ラビはドヴィドルに名を尋ね、大きな書物を紐解き、そして歌い始めた。その歌はトレブリンカで亡くなった人々の名前を歌にして記憶されてきたもので、ラビはドヴィドルの父、母、そして幼い妹二人の名前を悲しげに歌い上げたのだと。そしてあの日、その歌をヴァイオリンの曲にしてトレブリンカその場所で弾くことが自分のただひとつの目的になり、コンサートなど無意味になったと語ります。

という物語が映像として描かれます。

35年後のコンサート

映画はこれでは終わりません。マーティンはドヴィドルにコンサートを開くよう求めます。

ロンドン、コンサート会場です。マーティンとヘレンがドヴィドルを待っています。ヘレンは、姿を見せないドヴィドルを、いい加減な男だからなどとけなし続けています。

ドヴィドルがやってきます。コンサートの前半はオーケストラをバックにした35年前と同じプログラムです。マーティンは変わっていないとつぶやき、会場からも大きな拍手を受けます。しかし、ドヴィドルはクソな(こんな感じの言葉)演奏だと言います。そして後半、ソロ演奏です。ドヴィドルがユダヤ教の正統派の服装(なのかな?)で登場し、「The Song of Names」を演奏します。演奏が終わりますとしばらく間があり、そして大きな拍手が巻き起こりスタンディングオベーションとなります。

マーティンの傷はさらに深く

再びドヴィドルは去っていきます。

その夜のマーティンとヘレンです。マーティンにはドヴィドルの手紙が残されています。そこには、35年前のことへの謝罪とこれで借りは返したこと、いったんは捨てた信仰を取り戻すのに4年かかったこと、自分はもう死んだものと思ってくれと綴られています。

そして、ヘレンがぽつりとひとこともらします。

「あの日、ドヴィドルは私のところへやってきたの。わたしと一緒にいたの」

真夜中、マーティンがベッドから起き上がり頭を抱えます。隣にはヘレンが眠っています。

フェードアウトしていきます。

曖昧さは監督の迷いなのか

という何とも後味の悪い映画で、メインテーマが The Song of Names なのか、マーティンの苦悩なのかがよくわからない映画になっています。

原作者のノーマン・レブレヒトさんはクラシックの音楽ジャーナリストということですので、おそらく The Song of Names がキーポイントなんだと思いますが、映画的にはあまり音楽が効果的に使われていません。コンサートシーンも物足りません。

シナリオがどうなっているかはわかりませんが、この映画の終わり方からすれば、マーティンの癒やされない苦悩がメインテーマに見えます。ラストシーンでヘレンの告白、いやいや、あれは告白などではなく、ぽつりと言わせるわけですから、あれはどう考えてもマーティンを苦しませるためのものとしか思えません。

ただ、そうはいってもかなり唐突ですし、そうだとすれば、そこにいたるまでのティム・ロスさんがあまりにも物足りません。もしそうだとするとこれは俳優のせいではなく監督のせいでしょう。

面白い、と言いますと内容的に語弊がありますが、題材としては映画的なんですが、焦点が定まりきっていない印象の映画に思わっています。

The Song of Names (English Edition)

The Song of Names (English Edition)

  • 作者:Lebrecht, Norman
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