エンディングにこだわりすぎてどつぼ、それがなければ深い映画になったのに…
なにかいやーな感じがして「胸騒ぎ」はするけれどもあまり相手のことを気遣って我慢しているとこうなるよってことみたいです(笑)。
悪にストーリーがないとつまらない…
ホラーのジャンルかとは思いますが、怖い思いをするというよりもいやーな気持ちにさせる映画です。ですので、ああ怖かった、でも面白かったなどとはなりません。とにかく、見る者をいやーな気持ちにさせようとしてつくられた映画です。
デンマーク人夫婦がイタリア旅行でオランダ人夫婦と知り合います。デンマーク人夫婦には10歳くらいの娘、オランダ人夫婦にも同じ年頃の息子がいます。その息子は先天的に舌がなく話すことができません(と夫婦は言っています…)。後日、オランダ人夫婦から週末を一緒に過ごさないかと招待状が届きます。デンマーク人夫婦と娘がオランダの片田舎を訪れます。オランダ人夫婦は表向きは歓待してくれますが、次第にデンマーク人夫婦には無神経と感じられる行為をするようになります。耐え難くなったデンマーク人夫婦は一旦は逃げ出しますが訳あって戻ることになります。オランダ人夫婦は至らなさを謝罪するものの無神経行動はエスカレートしていきます。そして、ある夜、デンマーク人夫が決定的なものを発見し、家族そろって逃げ出します。が、しかし、残念ながら捕まり、夫婦は殺されてしまいます。そして娘は…。
もうわかりましたね。いや、わかりません(笑)。
デンマーク人家族はオランダ人夫婦の獲物です。娘は舌を切られて、その後、オランダ人夫婦の子どもと装わされます。デンマーク人の夫が見たものは、オランダ人息子の死体と自分たちが獲物であると予想させる写真です。
写真はオランダ人夫婦と子ども(それぞれ違う子ども…)と、そして誰とも知れない夫婦と子どもの集合写真であり、そのパターンの写真が部屋中に何十枚と貼ってあるのです。そして、デンマーク人家族とのオランダ人家族の集合写真もイタリア旅行の際に撮られており、その写真がリビングルームに飾られているのです。
という、終わってみればシリアルキラー夫婦だったわけですが、その動機はまったくわかりません。わからないというよりも映画自体にそのことへの視点がまったくありません。
描かれている悪にストーリーを感じさせるものがないということです。映画の9割方、見る者にいやーな気持ちを抱かせるシーンをこれでもかこれでもかと続けてきて、いきなり子どもの舌を切り、夫婦を裸にさせて石を投げつけて殺すってどういうこと?!(笑)。
最終的には殺すことが目的という設定で、この映画のつくりなら、さっさと殺せばいいということになってしまいます。つまり、オランダ人夫婦が殺しにいたるまで何を楽しんでいるかがわからないということです。
いくらエンディングで宗教性をにじませてもです。
無神経さと殺人には越えられない川がある…
この映画が描いているオランダ人夫婦、特に夫パトリックの行いは無神経さです。
殺すことが目的なのになぜ無神経さをあらわにするんでしょう。いや、なぜそういうシーンばかり並べるのでしょう。歓待、歓待、時に冷っとさせればいいように思いますけどね。
パトリックは、ベジタリアンだと言っているデンマーク人の妻ルイーセに、来た早々、おいしいから食え、食えと無理やり肉を食わせます。また、魚は食べるというルイーセに、肉は環境に悪いが魚ならいいのかと喧嘩を売ります。
話は映画から離れますが、EUでは牛のはくゲップが地球温暖化の原因になっているとして規制する方向に向かっています。特にオランダは畜産国ですので意識されたシーンかも知れません。
それはともかく、もうこれだけで、帰る! となっていいと思います。なのに夫ビャアンは一口だけ我慢してなんて言っていました(笑)。こういうあざといシーンが続きます。
オランダ人夫婦がディナーに招待するといってルイーセとビャアンを居酒屋(字幕…)に連れ出しますが、その支払いをビャアンに押し付けます。また、ルイーセは当然娘も一緒にと思っていたにも関わらず、パトリック夫婦は勝手にベビーシッターを頼んでいます。そのベビーシッターにしても見る者のルッキズムを利用していやーな気持ちを煽ります。
さらに、その居酒屋ではパトリックと妻カリンは場違いな濃厚な抱擁を見せつけ、帰りの運転は蛇行を繰り返し、車内では大音量で音楽を掛け、下げてというルイーセに嫌がらせを繰り返します。
ルイーセがシャワーを浴びていますとパトリック(多分…)が入ってきて歯を磨き始めます。寝室に戻ったルイーセは神経がまいっているのでしょう、ビャアンにしがみつきます。それがセックスへと移行し(他人の家でそれはしないけど…)、娘が怖いから一緒に寝てとドアを叩いても開けません。行為がすんで娘の様子を見に行きますと娘が裸のパトリックのベッドで眠っています。
とにかく、これでもかこれでもかとあざといシーンが続きます。
さすがにやばいと思ったルイースはビャアンを起こして車で逃げ出します。しかし、途中で娘がウサギのぬいぐるみがないと騒ぎ出し(前振りがあるが省略…)、戻ることになります。
ビャアンは防御本能を削がれた都会人か…
パトリックは気分を害した素振りを見せながらも謝罪し、今日一日最高の日にするからと言います。
そして、次のシーンがちょっと不思議なシーンで、パトリックがビャアンを車で連れ出します。パトリックがバラード系の曲を掛けたからなのか、なぜかビャアンが感傷的になり、今の自分が自分じゃないみたいだと言い出します。家でも会社でも本当の自分を抑え込んで言いたいことも言えない(こんな感じのこと…)と涙まで流しています。
パトリックはビャアンをある場所(ラストシーンの場所…)に連れていき、そこで大声を出させてストレスを発散させます。
なんだか奇妙なシーンです。池のような場所になにか立っていましたが何なんでしょう。調べればなにかわかりそうですが、面倒ですので調べません(笑)。
そしてその夜、子どもたち二人がダンスを見せたいと言い、夫婦たちの前で踊ります。パトリックが自分の子どもにリズムに合ってない! 遅れている! などとダメ出しし始め、その姿はほぼ DV です。
その夜、眠れないビャアンが家の中を見て回っていますと、プールに子どもが浮かんでいます。そして、その後すでに書いた写真を発見します。
あれ? この順序なら、子どもの死体を発見した段階で逃げるか、とにかく何か行動しますね。逆だったんでしょうか。それに、子どもを殺してそのままにして眠るってどういうこと? この段階でビャアンやルイーセも殺さないとダメでしょう(笑)。
変な映画なんですが、とにかく、ビャアンはルイーセや子どもを連れて逃げ出します。ガソリンがエンプティのカットがありましたのでエンジンがかからないか、途中でエンストなんだろうと思っていましたら、何とその後ガソリンを入れるカットがありました(だったと思うけど(笑)…)。
結局、追われてもいないのに他の車のライトでパニクったビャアンは脇道にそれ、沼地でスタックしてしまい、助けを呼びに行っているうちにルイーセがパトリックを呼んだらしく(来てくれてありがとうと言っていた…)皆がパトリックの車で戻ることになります。
まあ、乗っちゃいけないとは思いますが、これは映画ですので、乗った勢いでエンディングに突っ込みます。パトリックが運転しながらビャアンを殴り、ビャアンは反撃もせずにやられっぱなしで次第にやばい空気になり、ルイーセは危険を感じ始め子どもを守ろうとします。
しかし、子どもは舌を切られ、ビャアンとルイーセは例の場所に連れて行かれ、脱げ! と言われて素直に脱いで、池のような沼地のようなところに突き落とされ、パトリックとカリンの投げる石で殺されてしまいます。
石打ちの刑に賛美歌ですか。エンドロールの背景は宗教画でした。
なんとも奇妙な映画です。ラース・フォン・トリアーの国ですね。
デンマーク人はオランダ人が嫌い…
監督はクリスチャン・タフドルップさん、俳優からスタートした方でこの映画が長編3作目です。脚本も書いています。脚本で連名になっているマッズ・タフドルップさんはお兄さんのようです。
インタビュー記事を読みますと、デンマーク映画界に対する挑戦だと言っています。観客を良い気持ちで帰らせるのではなく嫌な気持ちにさせようとしたらしいです。
それは成功していますね。
やはり「ファニーゲーム」や「アンチクライスト」を意識しているようです。
インタビュー記事の中にこんなくだりがあります。
For a long time, we also worked with mythology. We decided Italy should be heaven, Denmark should be limbo, and Holland should be pure hell.
(https://www.rogerebert.com/interviews/speak-no-evil-christrian-tafdrup-shudder-interview-2022)
we というのはクリスチャン・タフドルップ監督とお兄さんということですが、ずっと神話に取り組んできており、イタリアは天国、デンマークは辺獄、そしてオランダはまさに地獄じゃなくてはいけないと決めていたと語っています。
キリスト教徒じゃない者には辺獄も地獄もよく分かりませんが、イタリアは天国っていうのは北欧の映画を見ていますと時々感じることですのでイタリア旅行で知り合ったという設定はよくわかります。そしてデンマークに帰り、地獄のオランダですか…。
ところで、オランダ語の字幕を入れないのは配給が不穏感を煽ろうとしたのだと思いますが、やはり入れてほしいですね。