グレタ・ガーウィグ監督の自由な価値観があふれる
四姉妹の台詞のアンサンブルがすごいです!
グレタ・ガーウィグ監督(脚本も)の才能が爆発しています。
それにキャスティングもすごいです。
始まってしばらくは混乱するかもしれません。なにせ四姉妹の2つの時代が同じキャスティングで入り乱れるように編集されています。さらにその編集もすごいスピード感です。
そもそも私は『若草物語』(ルイーザ・メイ・オルコット著)自体を読んだこともありませんし、その内容もまったく知りません。いまざっとウィキペディアなどで概要をつかんだところでは、『若草物語』と『続若草物語』のエピソードを同時進行で再構成して映画は作られているようです。
ジョー(シアーシャ・ローナン)がニューヨークで作家として自立し始めるところから始まります。書き上げた原稿を出版社に持ち込みます。あれこれ注文をつけられますが結果採用されます。その帰り道、ジョーはニューヨークの街をスカートを持ち上げながら走り抜けます。
「フランシス・ハ(出演、脚本)」と「レディ・バード(監督、脚本)」からの印象ですが、グレタ・ガーウィグ監督らしいオープニングです。
このオープニングシーンはラストシーンと対になっています。ラストシーンは『若草物語(Little Women)』を書き上げ、出版されるや大ヒットとなり、出版社と印税や著作権の交渉をするシーンで、きっちり自己主張し、また著作権も手放さないと言い切っていました。単にお金や権利の問題というよりも、ジョーの、そしてガーウィグ監督の自己宣言なんだろうと思います。
その意味ではこの映画は現代の物語です。おそらくそのまま現代のニューヨークやコンコード(マサチューセッツ)に置き換えても違和感なく成立すると思います。
つまり、ガーウィグ監督は『若草物語』の時代(1860年代)に思いを馳せて描いたのではなく、現在の自分に重ね合わせて四姉妹、特にジョーを映画にしたのだと思います。
ですのでガーウィグ監督の価値観が映画全体に溢れています。
この映画が優れているところは「女性」という言葉を後景に追いやっていることです。おそらく多くの批評や感想で「女性」という言葉が使われることと思います。しかし、この映画に描かれているのは女性としてのジョーでも、四姉妹でもありません。ひとりの人間としてのジョーであり、それぞれ一人ひとりがどう生きるかを描いているに過ぎません。
ジョー(シアーシャ・ローナン)は作家を目指し、長女メグ(エマ・ワトソン)はどう生きるべきか悩み苦しみ、三女ベス(エリザ・スカンレン)はピアノ演奏に長け慈善の信念を持ち、四女エイミー(フローレンス・ピュー)は画家への道へ力強く進もうとしています。
一方、この映画の中の男たちは何者でもありません。何も成そうとしていません。ローリー(ティモシー・シャラメ)は裕福な家庭の御曹司でひたすらジョーの愛を求めるだけですし、メグの夫となるジョンは扱いが小さいのでちょいと置いておいて(ペコリ)、最後にジョーと結婚するフレデリック(ルイ・ガレル)もジョーに惹かれている存在というだけ(ちょっと言いすぎだが)です。
話はそれますが、このルイ・ガレルのキャスティングは最高です。この俳優さんのような情けなさとコメディさとそれでいてなにか持っていそうに感じる俳優さんはそうはいないです。最初のニューヨークのシーンで登場していたと思いますが、その瞬間、なにぃー、ルイ・ガレル!? と声が出そうになりました(笑)。
話を戻して、この映画が「女性」を後景に追いやっているということですが、極端な言い方をすれば、この映画の男女関係は多くの映画で描かれるそれとはその位置づけが入れ替わっています。女性が対男性としてではなく、そのままあるがままの人物として物語を語っています。
この映画はことさら「女性」たちを描こうとしていません。
これまでのところ、映画であれ小説であれ、多くの場合、描かれるのは男性の物語であり、登場する女性の多くは男性目線の女性です。でもそれを「男性」の物語として語る評論や感想はそんなに多くはありません。それと同じことです。この映画が描いているのは「女性」を描いているわけではなく、自分が自分であろうとしている人たちの物語です。
おそらく原作にもそうした視点があるのでしょう。たとえば、ジョーとローリー、子ども時代の愛称的なものでしょうがどちらも性別を感じさせません。ウィキペディアを読む限り、著者のルイーザ・メイ・オルコットは「奴隷制廃止論者、フェミニスト」との記述もあります。
公式サイトのプロダクションノートにガーウィグ監督の言葉として、
私はこの原作が本当に伝えたいことは何か、はっきりとわかっていた。アーティストとしての女性、そして女性と経済力。オルコットの文章にはその全てが詰まっている。でも、この物語が持つその側面はまだ映画として探求されたことがなかった。私にとって、この作品は今まで作ったどの映画よりも自伝的なものだと感じている。
とあります。
まさしくジョーはガーウィグ監督でしょうし、四姉妹でさえすべてガーウィグ監督なんだろうと思います。
それにしても自由な価値観をもつグレタ・ガーウィグさんです。
映画として優れているところも多いです。
さすがに、あの二つの時代を行き来する編集はやりすぎだとは思っていましたが、ふと考えれば、これを大人の映画とするために、あの俳優たちに長女メグ16歳、次女ジョー15歳、三女ベス13歳、四女エイミー12歳を演じさせようとすれば、これしかない選択だったのかもしれません。それにしてもこの年齢にこのキャスティングをよく決断したものだと思います。
それに見るべきはなんと言っても四人のシーンのアンサンブルでしょう。俳優たちもやっていて楽しかったんじゃないかと思います。
ジョーとローリーの浜辺のシーンは美しかったです。砂浜にふたりが座り、海側からと見えるような位置でやや仰角に撮り、そこに風が吹いて砂が流れ、髪が風に流れています。美しいシーンです。
ローリーがジョーに最後の求婚をするところはふたりの俳優、シアーシャ・ローナンとティモシー・シャラメの間合いが完璧でした。
物語はいまさら説明することもありませんが、ベスは亡くなり、エイミーはローリーと結婚し、メグ夫婦はいっとき危機をむかえていましたがそれも愛で乗り越え、そしてジョーはルイ・ガレル(彼だけ俳優名?)と結婚し、マーチ叔母さんの豪邸で学校を始めていました。
ジョーの結婚については、二重構造にしてうまくまとめています。
ジョーが『若草物語』を出版社に持ち込み、編集者の「結末が結婚じゃなきゃ売れない」の言葉に対して、ジョーに「じゃあ結婚させるわ」と答えさせ、(シーンの前後の記憶が曖昧ですが)シーン変わってコンコードになり、わざわざ訪ねてきたルイ・ガレル(また俳優名?)をそっけなく帰してしまい後悔気味のジョーを周りが後押しして後を追わせ駅で熱いキスをさせていました。そして結婚です。
なぜかルイ・ガレルさんだけ俳優名にしてしまう自分がわからない(笑)。