「スリー・ビルボード」のマーティン・マクドナー監督の最新作、昨日でしたか一昨日でしたか、アカデミー賞にも何部門かでノミネートされたニュースが流れていました。
「作品、監督、主演男優(コリン・ファレル)、助演男優(ブレンダン・グリーソン&バリー・コーガン)、助演女優(ケリー・コンドン)ほか8部門9ノミネート(映画.com)」とのことです。
面白くも、記憶に残る映画でもない
いきなりケンカを売るような見出しですみません(ペコリ)。
アカデミー賞8部門9ノミネートというのは、昨年の「ドライブ・マイ・カー」ノミネートもそうですが、アカデミー賞も変わってきた結果だと思います。数年前ならノミネートされていないでしょう。
昨年のベネチア国際映画祭では脚本賞とコリン・ファレルが最優秀男優賞を受賞しています。ベネチアであれば妥当かなとは思います。
アイルランドの架空の島を舞台にした1923年ごろの二人の男の諍いを描いた映画です。設定がアイルランドの1923年となれば、当然アイルランド内戦が意識されているということになります。ましてや男二人の諍いとなればそのものズバリでしょう。
突然ひとりの男がもうひとりにもうお前と友達ではないと通告します。相手の男は戸惑うばかりです。しかし、飽和点に達したもうひとりの男は逆襲に出ます。最初の男はこれでお相子だと言います。しかし、それで終わるわけがありません。もうひとりの男は終わりはないと言って去っていきます。
「スリー・ビルボード」と同じくディスコミュニケーション状態の人間関係を描いた映画です。
ディスコミュニケーション
「スリー・ビルボード」でもそうでしたが、この映画にはお互いにわかり合えている人間関係も、わかり合おうとする人間関係も存在しません。殺伐たる空気の中で物語は進みます。
パードリック(コリン・ファレル)とコルム(ブレンダン・グリーソン)の関係は映画の主題ですが、それ以外にもパードリックと妹シボーン(ケリー・コンドン)、知的障害の気配があるドミニク、その父親、パブのオーナーや客たち、雑貨屋の女主人、ちょっと立ち位置のよくわからない占い師のようなミセス・マコーミック、どの人間関係をとってもディスコミュニケーションです。
パードリック(コリン・ファレル)は、ある日突然、コルム(ブレンダン・グリーソン)からお前とはもう友達ではない、話しかけるなと通告されます。話しかければ、そのたびに指を1本切る(自分の…)と言います。
パードリックは、それまでコルムとは毎日パブへ飲みに行く友達だと思っていたわけですから何が何のことやらわけがわかりません。何か怒らせることを言ったかと尋ねますが、コルムは、お前は退屈な男だ、もう残り少ない人生をもっと有意義に過ごしたいと言います。
そのたとえが結構おもしろいです。コルムはフィドラーで、パブでもよくヴァイオリンを弾いています。コルムとパードリックの言い争いです。
コルムが、モーツァルトのことは誰もが知っているが17世紀のことは誰も知らないと言います。つまり、音楽は残っていくがその時代に生きていた個々の人間は記憶に残らないと言います。パードリックは言い返します。人の優しさは記憶される、俺は妹シボーンの優しさを忘れはしないし、お前(コルム)が優しかったことも忘れないと言います。
たまたま兄パードリックを迎えに来たシボーン(ケリー・コンドン)がいます。シボーンはコルムに、モーツァルトは18世紀の人よと言い残して兄を連れて帰っていきます。
ディスコミュニケーション!
退屈な日常とそれでも生きる意味
映画の副主題のようなものですが、コルムがそれまでのパブでのパードリックとのバカ話の過去を捨てて残された人生の時間を作曲に費やして自分の生きた証を残そうと考え始めることもわかるような気がします。
イニシェリン島は架空の島ではありますが、我々人間の日常のアナロジー的設定とも言えます。島の誰もがこの島には退屈な人間以外いないと言いますし、何かことが起きれば瞬時に島中に広がります。海を隔てた本土で起きている内戦のことなど誰も気にもしません。
誤解を恐れずに言えば、それが我々人間の日常です。
ある意味、それで満足できれば平和です。しかし、人間はすでに言葉という過剰なものを持った存在です。コルムのように日常では満足できなく永遠を求める人間が出てきます。そうしますと争いが生まれます。音楽でさえこの映画のようですから、民族だの、国だの、主義だのと言い始めれば収集がつかなくなるのが人間社会です。、
男の争いからの女の逃走
ちょっと映画から逸脱してしまいました(笑)。
映画は、中盤までコルムの意味不明な拒絶とパードリックの戸惑いが描かれます。さほど大した展開もなく、さすがにちょっと退屈です。
ある日、パードリックが飲んだ勢いでコルムに悪態をつきます。翌日、パードリックは謝罪しますが、コルムは本当に指を切ってパードリックの家のドアに投げつけていきます。
そんなこんなでパードリックが自ら強気に出ることで局面を打開しようとします。その頃、コルムはパブで音楽家たち(音大の学生と訳されていたと思う…)と作曲に余念がありません。その様子を見たパードリックは、そのひとりの音楽家に、君の叔父が馬車に轢かれたから早く帰ったほうがいいと嘘を言い島を離れさせます。
そして、ある日、強気に出た勢いでコルムを訪れ、曲は出来たかと尋ね、コルムは怪訝な表情を見せながらも会話を拒否することなく出来たと答えます。関係を修復できたと感じたパードリックはパブへ行こうと誘い、そして、こうなるのであれば音楽家に嘘を言って島を離れさせることはなかったと漏らして去っていきます。
パブでコルムを待つパードリック、すでにテーブルには空になったパイントグラスが並んでいます。そうした男たちの争いとは関係なく(これ重要…)、妹シボーンが話があるとパブにやってきます。シボーンは島を出ていくと告げます。
混乱するパードリックです。シボーンはそのまま島を出ていってしまいます。その頃、コルムは残った4本の指を切断し、パードリックの家に投げつけています。
シボーンは本を読むことで日々を過ごし、それで満足しているようにみえます。しかし、本土と手紙のやり取りをして仕事を探していたのです。兄妹の仲はよく、その日々に何の不満もないようにみえますが、しっかり自分の人生を考えていたということです。
シボーンは、パードリックとコルムの争いにまったく意味を見出していません。もちろん兄をかばったり慰めたりコルムにどういうことかと問いただしたりしますが、シボーンにとってはそんな男の争いなど日常です。
そんな世界からはさっさと逃走するのが一番です。
男の争いに終わりはない
パードリックが、家族とも友とも感じていたロバのジェニーがコルムが投げつけていった指を誤飲して死にます。パードリックはコルムに明日の何とかの日(キリスト教の意味ある日…)の2時にお前の家に火をつけると通告し、犬は外に出しておけと言います。つまり、コルムにどうするかは自分で決めろということです。
そして、その日、パードリックは実際に火を放ちます。家にはコルムが椅子に座ってタバコを吸っています。パードリックは犬を連れて去っていきます。
翌日か後日、パードリックは浜辺で海を見据えて立ちすくむコルムを見て近づき話しかけます。コルムは、これで相子だと言います。パードリックは、お前が死んでいればなと言い去っていきます。コルムが、その後ろ姿に犬を助けてくれてありがとうと言いますと、パードリックは「構わない(anytime)」と言い残して去っていきます。
男たちの争いに終わりはありません。
女たちは軽やかに新たな世界に旅立ち人生を満喫しています。