キャシーの語りという二重構造で嫌な男臭さが消えている…
バイクは映画の小道具としてよく使われます。その多くは疾走感の演出であり、それが二人乗りになれば、プラス親密さとともに脱出や逃走のニュアンスが加わります。そして、そのどちらであってもベースには自由への希求といった意味合いが込められています。
でも、この「ザ・バイクライダーズ THE BIKERIDERS」はちょっと違っています。複数ですし、THE がついています。
モデルは実在のアウトローズ・モーターサイクルクラブ…
時代は1965年から1975年、舞台はシカゴです。タイトルが「ザ・バイクライダーズ」であるように、バイク乗りたちの集団であるヴァンダルズというモーターサイクルクラブの盛衰物語です。
この映画にはジェフ・ニコルズ監督の発案のもととなった写真集があります。アメリカの写真家ダニー・ライオンさんの「The Bikeriders」です。
写真集ですので被写体となっているのは実在のバイカーですし、クラブも「Outlaws Motorcycle Club」という実在の集団です。ダニー・ライオンさんは1963年から4年間、そのシカゴ支部のメンバーだったそうです。
このアウトロー・モーターサイクルクラブは現在も存在しており法人化されているらしいです。ウェブサイトもあります。サイト内に OUTLAWS MC JAPAN という表記が出てきますので日本にも支部があるのかもしれません。
映画では、ジョニー(トム・ハーディ)がテレビでマーロン・ブランドの「The Wild One」を見てクラブにすることを思いついたと描かれていますが、リンク先のウィキペディアによりますと、アウトローズMCは、映画の設定の30年も前の1935年にイリノイ州マコック(ほぼシカゴ…)で設立されたとのことです。
もうひとつ、そのウィキペディアでへえーと思ったのは、映画の中でヴァンダルズに抗争が勃発してジョニーがキッド(The Kid)に撃ち殺されるシーンがありましたが、あれ、ほぼ実話みたいです。1970年代はじめにアウトローズMCの中でビール派とマリファナ派が対立することになり、銃撃戦が勃発してその最中に創設者のジョン・デイビスはマリファナ派のベトナム帰還兵に撃たれて殺されたとのことです。
ところで、映画の中で「カラーズ」という言葉がよく出てきており、流れでおおよそのことはわかりましたが、カットオフベストに縫い付けられているクラブ名やロゴなどのパッチのことを指すそうです。
キャシー、デニーと出会う…
という基礎知識を理解した上で映画です(笑)。
映画は二重構造になっています。映画の中のダニー・ライオン(マイク・ファイスト)がキャシー(ジョディ・カマー)にインタビューすることでその語りが映像で描かれていくスタイルです。映画2/3くらいはダニー・ライオンがヴァンダルズと行動をともにしている設定の1965年から1969年くらい、そして残りはその後のヴァンダルズのことを1975年にインタビューするというつくりです。
ダニー・ライオンさんの写真集にはメンバーへのインタビューのテキストも併載されているそうですので、そのテキストがベースになっているのかもしれません。
映画冒頭は、バーで飲んでいるベニー(オースティン・バトラー)が男二人にそのカラーズでこのバーに入るなと絡まれて殴り合いになるシーンです。このシーンの続きは映画中程にあります。あまりいい入り方ではなかったですね(ゴメン…)。
キャシーがベニーとの出会いから語り始めます。
キャシーがヴァンダルズのたまり場のバーへ行きます。目的はなんでしたっけ、女ともだちに呼ばれたんだったか、とにかく、男ばかりで異様だったというようなことを言っていました。そりゃそうでしょう。
そのシーンではありませんが、こんな男たちが狭いバーの中でビールを飲みタバコを吸いまくっているんですよ、男でもそんなところ怖くて入れません(笑)。
でもこれは映画ですので、キャシーは好色な視線を投げかける男たちをかき分けて進み、女ともだちを見つけてテーブルにつき、それでも落ち着かない様子のキャシーでしたが、デニーを一目見るなり、あのイケメンは誰? と一気に様子が変わります。
という出会いがあって、そのときキャシーはボーイフレンドと同居していたのですが、デニーの積極的アプローチがあり、またキャシーもその気があるものですから、そのボーイフレンドのほうが出ていってしまいます。
そして、ふたりはわずかその5週間後に結婚します。
群れる男たちは男気の妄想に酔う…
この後はヴァンダルズのメンバーの紹介があったりしてその生態が描かれていきます。
すでに書きましたが、ジョニーがマーロン・ブランドの「The Wild One」を見てクラブの創設を思いついたとか、ジョニーが何者か(忘れた…)と一触即発のとき、デニーがいきなり相手を打ちのめし、それを機にジョニーがデニーを信頼するようになったりとか、支部を増やして組織拡大を目指したいというメンバーに対してジョニーが素手かナイフかと決闘手段を選ばせ、素手の殴り合いでジョニーが勝った後、それでもジョニーは負けた相手の望みに沿って支部設立を認めるとか、まあ、ギャング映画やヤクザ映画で使われる人心掌握術、いわゆる男気みたいなものが描かれていきます。
そして、冒頭のシーンの続きがあります。デニーが他のクラブのたまり場でヴァンダルズのカラーズを着て飲んでいたということです。男たちは脱げ!と迫りますが、デニーは脱がせたけりゃオレを殺すしかないなとクールにキメています。そして大立ち回り、デニーは足首をシャベルで突き刺され切断の危機にさらされます。
ほんとに殺されそうじゃんとのツッコミは置いておいて、ジョニーが黙っていません。そのバーに乗り込み、店主から男たちの素性を聞き出して、同行のメンバーにその男たちを歩けないようにしろと命じ、バーはどうしますかと尋ねられ燃やせとつぶやくのです。コワっ!
その後、デニーは復活します。
ヒエラルキー組織の末路…
映画のわりと早い段階に集団走行するヴァンダルズを憧れの目をもって見る若者を捉えたシーンがあります。The Kid(トビー・ウォレス)です。そのシーンでの扱いのわりにしばらく登場しませんので気になっていたのですが、やっと後半になり、自分もバイカーとなったキッドが数人の仲間を引き連れてジョニーのもとにやってきます。
キッドは仲間に入れてくれと言います。最初ジョニーは断りますが、執拗なキッドにお前だけなら入れてやろうと試します。喜んで受け入れるキッドにジョニーは二度と顔を見せるなと追い返します。ラストシーンへの伏線です。
このあたりでキャシーへのインタビューが回想に変わります。設定としては、ダニー・ライオンがヴァンダルズを離れてから5年後くらいの1975年あたりにキャシーを訪ねてその後のヴァンダルズのをことをインタビューしたということでしょう
キャシーはナンバー2のメンバーが交通事故で死んだころからヴァンダルズが変わり始め、ビール派とマリファナ派の対立が生まれたと語り始めます。
組織の衰退というのは決定的ななにかがあってということではなく、後々思い返せばあれがターニングポイントだったなあと思うものです。ナンバー2を失えば当然そのトップにもなにがしか変化が起き、組織全体が変わっていくことはありえます。
追い打ちをかけるように創設メンバーのひとりがクラブを抜けて(白)バイク隊員(アメリカではなんと表現するんでしょう…)になると言い出します。その混乱のときに、バーでキャシーが新しいマリファナ派のメンバーたちにレイプされそうになります。その場はジョニーが助けることで事なきを得ますが、キャシーはたまたまその場にいなかったデニーにヴァンダルズをやめてほしいと強く求めます。
さらにちょっとよくわからなかったのですが、ジョニーがバイク隊員になるというメンバーの足を撃ち抜き、そのことを不可解に思ったデニーはヴァンダルを去っていきます。
このあたり、映画としてもややわかりにくいのですが、流れとしては、多分、クラブを抜けることは認められないという暗黙の了解があり、それでも抜けたいというメンバーにジョニーがそのメンバーの足を撃つことで辞めやすくするという、ある種の思いやりを示したということだと思います。これもギャング映画によくある仁義を立てるためにということなんでしょう。
キャッシーの勝利!…
そしてラストシーン前のクライマックス、ジョニーのもとにどこかの支部のメンバーとなっているキッドがジョニーに対してヴァンダルズのボスの座を降りろと要求してきます。ジョニーはその挑戦に対して素手かナイフかと流儀に従った対応で応えます。キッドはナイフと答え、そして、約束のその日、ナイフを抜いて構えるジョニーにキッドはいきなり拳銃を抜いてジョニーを撃ち殺します。
オー! と思いました。
まったく関係はないのですが、今このくだりを書いていて突然兵庫県知事選が頭に浮かんでしまいました(笑)。オールドメディア対SNSの構図です。この知事選、オールドであるかどうかは置いておいて、反斎藤知事派にとってみれば、立花孝志氏を筆頭とする斎藤知事を応援する派のやり口は理不尽そのものだと思います。この映画のキッドみたいなものでしょう。
余計なことを書いてしまいましたが、とにかく、今我々はこのヴァンダルズと同じように(そうか?…)時代の変わり目にいることは間違いないですね。
ということで、その後ヴァンダルズは麻薬にも手を染め本物のギャング化していったということです。アウトローズMCのことはわかりませんのであくまでも映画の話です。
そしてラストシーン、ジョニーの死を知ったデニーはキャシーのもとに帰り、その後バイカーからも足を洗いフロリダで自動車の整備士としてキャシーと幸せに暮らしたということです。
という、キャッシーの勝利!という映画でした(笑)。
それが映画の意図というわけではないとは思いますが、キャッシー視点の二重構造で描かれることによって男臭さが消え、とても見やすい映画になっています。
ジェフ・ニコルズ監督のセンスの良さでしょうか。「ラビング 愛という名前のふたり」もいい映画でした。