ザ・キラー

仕事は失敗しても、筋違いともいえる復讐は完璧にこなす殺し屋の物語…

Netflix というのは監督に自由に撮らせてくれるのでしょうか、完璧主義者と言われるデヴィッド・フィンチャー監督は Netflix 以外では撮らなくなっています。2020年の「Mank マンク」以降4年間の独占契約を結んでいるそうですし、それ以前も2014年の劇場公開作「ゴーン・ガール」を最後に、それ以降は Netflix でテレビドラマを撮っているだけです。

Netflix からの劇場公開作の2作目、マイケル・ファスベンダー主演「ザ・キラー」はデヴィッド・フィンチャー監督が思うように撮れたのでしょうか。

ザ・キラー / 監督:デヴィッド・フィンチャー

モノローグ映画

ほぼ完全なモノローグ映画です。全編 The Killer 殺し屋であるマイケル・ファスベンダーさんのナレーションで進んでいきます。ですので、なかなか字幕で映画を理解するのは難しい映画です。もちろん内容はわかりますがモノローグ映画の意図はそういうことではないでしょう。小説を読むように、言葉が流れるように耳に入ってこないとその意図は理解できないということです。

映画を見ているときは、きっと小説の原作があるんだろうと思っていたのですが、そうではなく、フランスのグラフィックノベル「Le Tueur」だそうです。

シリーズものみたいです。Amazon には15巻まであります。作家の Alexis Nolent (別名 Matz )さんのストーリーにイラストレーターの Luc Jacamon さんが作画したものとあります。

どんな原作かはわかりませんが、きっとデヴィッド・フィンチャー監督は The Killer 殺し屋の内省的なところに惹かれたんでしょう。それが映画始まってからの15分? 20分? という完全モノローグの長いシークエンスに現れているように思います。ハリウッド的価値観であればかなり異論が出るんじゃないかと想像します。

仕事を失敗する殺し屋

The Killer 殺し屋(マイケル・ファスベンダー)がパリの街に潜んでターゲットに狙いを定めています。

ただ、この殺し屋は全くハードボイルドではなく、むしろこの稼業には向いていないのではないかと思えるほど、ターゲットが現れるまであれこれ悶々と内省的に自問します。頻繁に Apple Watch みたいな腕時計で自分の脈拍をチェックし、シンプルに、シンプルにと自分に言い聞かせています。

上の画像が典型的で、アロハシャツを着た殺し屋というのもそういった表現だと思います。この殺し屋、緻密にみえますがどこか間が抜けていて、たとえば、ターゲットがやってくるだろう場所を向かいの空き室となっているらしい一室で見張っているわけですが、下の画像のように大きな窓を開けっ放しで監視しています。

相手からだって見えますやん(笑)。ターゲットだって殺し屋から狙われるくらいですから常時それくらいの警戒はするでしょう。

デヴィッド・フィンチャー監督はあえてこうした殺し屋に人物造形しているということだと思います。そもそも向いていないのに殺し屋稼業をやっている人物の話だと思います。

で、案の定仕事に失敗します。それも、ほとんど素人のような失敗の仕方です。

この微妙な人物像が字幕を読みながらではあまり伝わってきませんし、率直なところ、マイケル・ファスベンダーさんにはそうした屈折した人物像が感じられません。全く台詞なしでこんな深い人物を演じるのはどんな俳優でも簡単じゃないと思います。

自信過剰で間抜けな殺し屋…

そして、失敗してはいけない仕事を失敗した殺し屋はそそくさとその場から逃げ、ドミニカのアジトに舞い戻ります。

この殺し屋は世界を飛び回って仕事をしていますので、あっちこっちに隠れ家を持ち、どんな状況にも対応できるような準備をしています。偽造パスポートも数え切れないくらい準備しています。自分の行動の痕跡を消し、追跡されないよう様々な手を使い、ドミニカに戻ります。

詳細に書けるほど記憶していませんので省略ですが(笑)、そうした殺し屋の生態(みたいなもの…)をデヴィッド・フィンチャー監督は実に軽やかに見せていきます。こうしたところはとてもうまく、らしいなあと思います。

ただ、これもデヴィッド・フィンチャー監督には織り込み済みで演出のひとつだと思いますが、殺し屋があれだけの準備(いわゆるリスクマネージメント…)しているのは、それだけ自信がないことの裏返しとか考えられません。

実際、アジトのドミニカに戻ってみれば、殺し屋が戻る前に同居人であり、恋人である女性が別の殺し屋に襲われて生死をさまよう重症を負っているのです。

なぜ、あれだけの偽装工作をしているのに、簡単にアジトが突き止められて襲われてしまうの? と思います。この殺し屋はエージェントを通して仕事をしているわけですが、エージェントに自分のアジトを教える殺し屋なんていないでしょう。

という、自信過剰で間抜けな殺し屋の話です。

その後の行動は殺し屋としては筋違い…

で、この殺し屋は、自分の失敗はさておき、恋人を襲った殺し屋やエージェントに逆恨み(笑)をして、仕事ではあんな素人っぽい失敗をしたにもかかわらず、ほぼ完璧に復讐を遂げていくのです。

この映画、冷静に考えれば物語としてはしょうもない(ゴメン)のですが、映画的にはそれなりに見られるようにつくられています。それがデヴィッド・フィンチャー監督ということでしょう。

映像とテンポと編集の間合いで見せる映画ですので詳細を言葉では伝えられませんので話の流れだけですが、まず、エージェントの弁護士事務所に侵入し、弁護士を殺害し、その助手からアジトを襲った殺し屋とそもそもの失敗した依頼主情報を聞き出します。この助手がとても潔く(笑)、殺されるのはわかっているらしく、残された家族に生命保険がおりるように事故死に見せかけて欲しいと願い出ます。つまり、殺されれば死体も処分されて失踪者とされてしまうことを知っているということです。実際、エージェントの弁護士は…確か処分されていました。詳細は忘れました(笑)。

ツッコミどころではありませんが、殺し屋は死体を入れるためにゴミ箱をひとつ持って侵入していきましたが、そこに何人いるか知っているほど親しく付き合っていたんでしょうか。もしそうだとしますと、そりゃそんな殺し屋失敗しますよね(笑)。

で、次にフロリダ(だったか…)に飛び、アジトを襲った殺し屋のひとりの豪邸に侵入し、壮絶なる格闘の末倒します。

続いて、またどこかに飛び(ニューヨークだったか…)もうひとりの殺し屋ティルダ・スウィントンも見事なあっけなさで撃ち殺してしまいます。ただし、その前にはレストランでふたりを向かい合わせてティルダ・スウィントンにかなり長い、それもほぼモノローグ的な台詞を喋らせていました。殺し屋を、クマを狙う漁師の話にたとえていましたが、もうひとつよくわかりませんでした(涙)。

で、ラストです。失敗した仕事の依頼主の住まいに忍び込み、有無の言わせず殺すのかと思いましたら、延々言い訳を聞いて、じゃあねと去っていきました。そりゃ、仕事も失敗するわね、という気がします。

そして、ドミニカに戻り、傷も快復した恋人とビーチでのんびりの殺し屋です。

と、やや嫌味な書き方をしてしまいましたが、要はこの映画を理解するには字幕では難しいと思うということです。もちろんこれは見る側私の問題です。