世界一幸せな国の寓話的幸せファンタジーが教えてくれるもの…
「ブータン 山の教室」を見たと思っていたのに見ていなかったパオ・チョニン・ドルジ監督の二作目です。タイトルは「お坊さまと鉄砲」、まったく相容れそうもない「お坊さま」と「鉄砲」が並んでいます。原題もブータンの言葉ではなく英語で「The Monk and the Gun」となっています。
世界一幸せな国の寓話的幸せファンタジー…
選挙が決して正しいことを選択する方法ではないことは、今まさに2024年に生きる我々の目の前に突き付けられていることです。それはもちろん正しさとはなんであるかを見失っていること、あるいはそもそも正しいことなど存在しないという考えが存在していることの裏返しではあります。
それを寓話的明快さを持って見せてくれる映画です。
「世界一幸せな国」との形容詞がつく(ついていた…)ブータン、ただそれも、過去の話で、一旦鎖国を解いて他国から人や情報を受け入れてしまえば、あっという間に幸せがなんであるかなど吹っ飛んでしまいます。
それもわかった上であえて描かれている幸せファンタジーでしょう。
描かれるのはブータンで初の選挙が行われることになった2007年あたりの話です。ウィキペディアから引用しますと、
2005年 – ワンチュク国王、2008年の譲位と総選挙後の立憲君主制移行を表明。
2006年 – 当初の予定を繰り上げて、ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクが第5代国王に即位。
2007年 – 12月、初の普通国政選挙となる国家評議会(上院)選挙を実施。
という経緯をたどっており、5代目のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王というのは2011年に夫婦で来日されてかなり話題になっていた方です。
この映画の中で国王とされているのは2005年に行政権を放棄し立憲君主制に移行することを決めた第4代のお父さんの方です。
ラマの講話には感動するけれど…
ブータンの山間の村、ウラです。選挙が実施されることになり、選挙という言葉も知らず、何をすればいいかもわからない村人のために模擬投票が行われることなります。
それを知ったラマが弟子の僧侶タシに満月の夜までに銃を2丁用意するように言いつけます。
同時期、アメリカ人の銃コレクター ロンがビンテージものの銃があると聞きつけてやってきます。そのガイドをするのは現地のベンジです。ベンジとロンは村の老人を訪ね、高額で買い取ると持ちかけます。老人はそんな大金はいらないと言い、その半額程度(だったか記憶にない…)で譲る約束をします。ベンジたちは現金を用意しに町に戻ります。
入れ違いでタシが老人を訪ね、ラマが銃が必要だと言っていると伝えます。老人は迷いなく譲ります。
その後、ベンジたちは現金を持って老人を訪ねますが後の祭りです。やむを得ずタシを追っかけて譲って欲しいと懇願します。タシはラマの言いつけだからと断ります。ベンジたちはラマの望みが2丁の銃であることを知ると、好きな銃2丁を用意するから交換しようと持ちかけます。タシはたまたま直前にカフェのテレビで見た映画 007 で使われていた AK47 を選び、満月の夜の法要…あれ? 法要は昼間でしたね、満月の夜ってなんだったんでしょう(笑)。とにかく法要の日に仏塔(でいいのかな…)で会おうと言い僧院へ帰っていきます。
そして法要の日、銃を持ったラマの前には大きな穴があり、周りを僧侶や村人が取り囲んでいます。ラマは、これまで我々は災いがあれば災いのもとを穴に埋め、その上に仏塔を建て幸せにやってきた、今、我々はこの銃をこの穴に埋めて新たに塔を建てるときである(内容はこんな感じ…)と説いて、持っていた銃を穴に投げ入れます。村人たちが歓声を上げ石や土を穴に投げ入れます。
この時、ベンジたちも約束通り2丁の AK47 を持ってきています。ただ、その銃はインドから密輸で手に入れたものです。また、これは書いていませんが、このこととは別にロンは銃の密輸に関わっているとして警察が追っている人物であり、ガイドのベンジも捜査対象となっています。
警官がやって来て二人を連行しようとします。しかし、ベンジが機転を利かせて、この AK47 を埋めて災いを絶つためにここに来ていると言い、AK47 を穴に投げ入れます。警官も自らの拳銃を投げ入れます。村人たちはさらなる歓声を上げて石や土を投げ入れ、さらにコンクリート(だったか…)を流し入れます。
そう単純ではないとわかっていても、ラマの講話やこの一連の流れには感動します。
寓話的幸せファンタジーのゆくえ…
もう言わずもがなですが、役人が村人に選挙というものを教える際に、村人たちを赤党支持と青党支持に分けてもっと強く相手を口撃しろ(みたいな感じ…)と言い、村人たちが拳を振り上げてシュプレヒコールを上げる様はまさしくアメリカ大統領選や兵庫県知事選で見た光景です。
当然ここ最近のアメリカやヨーロッパの社会情勢を見て批判的に描いているわけです。
一方、いざ模擬選挙をしてみれば、なぜか黄党の得票率が95%(だったか…)という奇妙な結果です。映画はその理由に黄色がワンチュク国王の色だからとしています。
パオ・チョニン・ドルジ監督がここにどういう意図を込めているのかははっきりしていません。単にコメディーのつもりなのか、盲目的な村人たちという批判的な描写なのか、あるいは民主主義の対立項としてアジア的王政に何らかの意味を見出しているのか、まあ、これをはっきりさせないからこそ寓話的幸せファンタジーで留まっているんだろうとは思います。
ただ、素晴らしいものだと思っていた民主主義に問題があるからと言って、黄色であれば幸せなのにと短絡的に考えることが間違いであることは、あらためてブータンの歴史を読んでみれば自ずとわかってきます。
さて、現実社会に生きる我々はどこへ向かえばいいのでしょう。