原作は『チェスの話』で「ナチスに仕掛けた…」とのニュアンスはほとんどなさそう…
オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクさんの『チェスの話(Schachnovelle)』の映画化です。作家としてはよく知りませんが、映画で言えば、パトリス・ルコント監督の「暮れ逢い」が『過去への旅(Widerstand der Wirklichkeit)』の映画化でしたし、こちらは記憶にありませんがウェス・アンダーソン監督の「グランド・ブダペスト・ホテル」のエンドロールに「Inspired by the Writings of Stefan Zweig.」とスーパーが入っていたそうです。
映画化が難しい原作のよう…
何が軸なのか、つかみにくい映画です。
邦題の「ナチスに仕掛けた…」に惑わされて主人公であるヨーゼフとナチスの秘密警察フランツの対決(対峙)に目がいってしまうということもありますが、どうやら映画のキーポイントは、映画後半のヨーゼフとチェスの世界チャンピオンのチェスゲームにあるようです。
実際、ゲシュタポのフランツは出番が多いわりに映画的には大した役回りではありません。ヨーゼフをホテルに監禁するだけで、指示を出しているにしても本人が拷問するわけでもありませんし、映画などでつくられたゲシュタポの極悪非道のイメージもなく、最後には精神錯乱をきたしたヨーゼフをあっけなく釈放していました。
ということもあるのか、フランツを演じているアルブレヒト・シュッヘさんはフランツだけではなく、チェスの世界チャンピオン ミルコ・チェントヴィッチも演じていたそうです。あのメイクや髪型では誰にもわからないと思います。台詞もありませんでした(一言くらいあったか…)。
という映画ですので原作は一体どういう話なんだろうと、アマゾンでポチッとしてみようと思ったのですが、残念ながら Kindle版はありませんし、結構な値段です。
とりあえずはウィキペディアの英語版とドイツ語版をみてみました。
それらによりますと、やはり原作はあくまでも『チェスの話』ということらしく、その中心となっているのが Dr.B(映画ではヨーゼフ…)ということであり、Dr.B は長期間の監禁中に正気を保つためチェスに没頭し、挙げ句の果てに自己の中に二人の Dr.B を作り出してチェスの対戦を行うという精神錯乱状態、つまりは二重人格となったということです。それぞれ「„Ich Schwarz“ und „Ich Weiß“(私は黒、私は白)」と二人の人格を作り出して頭の中でゲームをしていたということです。
ヨーゼフ、二重人格となるはずが…
映画はアメリカ行きの豪華客船から始まります。ヨーゼフ(オリヴァー・マスッチ)は今まさに拘束から解かれたばかりのような精神の不安定さを示し、周りに比べますとみすぼらしい服装をしています。
原作では客船はニューヨークからブエノスアイレスに向かう船です。
映画ではヨーゼフの部屋は三等客室のようなつくりで、ヨーゼフが船内のクラブに入っていくときでも周りはタキシードにドレスなのにヨーゼフはツイードのジャケットということで周りから白い眼を向けられるというシーンがありましたが、ウィキペディアのあらすじを読む限りでは、そうした設定ではなく、服装はともかく、周りと同じ程度には裕福な Dr.B が、その後断っていたチェスゲームをやることになり、過去がよみがえり再び精神錯乱になるという流れのようです。
映画ではその精神錯乱の表現に妻アンナの幻を登場させていました。そしてフラッシュバックです。
時代は1938年3月12日、まさにドイツ軍がオーストリアに進軍しナチスが政権を掌握しようとしていた日です。世間ではナチス旋風が吹き荒れていますが、ヨーゼフはそんなことはどこ吹く風で妻(かどうかは不明…)アンナとともにパーティー(舞踏会?)に出掛けます。友人が危険だから逃げろと忠告に来ます。
ヨーゼフは弁護士です。アンナを逃し、自分は事務所に入り、管理している貴族たちの資産情報を焼却し、逃げようとします。しかし時すでに遅くゲシュタポに拘束され、ホテルメトロポールに監禁されます。
高級ホテルに監禁? と思いましたら、このホテルは実際にゲシュタポに接収されゲシュタポ本部として使われたそうです。「Hotel Métropole」を読みますと、実際のゲシュタポの長官の名はフランツ・ヨーゼフ ・フーバーであり、映画のフランツ・ヨーゼフ ・ベームの名はそこから取られているのかも知れません。このフランツは戦後も大した罪には問われることなく退職するまで情報機関で働いていたらしく、さらに CIA で働いていたとニューヨーク・タイムズが報じているそうです。現在のホテルの跡地にはゲシュタポ犠牲者の記念碑や集合住宅が建っているようです(ドイツ語からのGoogle翻訳ですので読み間違えているかもしれません…)。
映画以外の話が長くなっていますが、ヨーゼフの監禁は知的な人物に精神的苦痛を与えるという方法、つまりは食事以外は何も与えず、誰とも会話させないという拷問です。ある時、ヨーゼフは一冊の本を手に入れます。しかし、それはチェスの過去の棋譜集です。それでもないよりはまし、ヨーゼフは次第にチェスにのめり込み、チェスを完全に自分のものにします。
映画はこの拘束期間があまりうまく描かれていません。息苦しくなるような映像とか、ヨーゼフの妄想であるとか、原作にある二重人格描写であるとか、そうした切迫感のある映像が足りません。演じているオリバー・マスッチさんは著名な俳優さんとのことですが、わたしは初めて見ます。
ゲシュタポの長官フランツ(アルブレヒト・シュッヘ)との対峙も大したシーンはありません。フランツの部下がバスタブの水の中にヨーゼフを沈めて拷問するシーンでは、誰が殺せと言った?!と止めに入っていました。
フラッシュバックのラストシーンになっているのは、ヨーゼフがフランツの前で顧客情報を書き始めるのですが、それが実はチェスの棋譜であったというシーンです。フランツはヨーゼフが精神に異常をきたしているからと言い釈放します。原作のあらすじでは好意的な医師がいてその尽力により釈放されたとなっています。
結局、原作にはヨーゼフとフランツを対峙させるという描き方はされていないんだと思います。それを持ち込んだがために映画の焦点が曖昧になったんでしょう。ヨーゼフの精神錯乱による二重人格化をもっと映像で描くべきだったんだと思います。
やはり軸は『チェスの話』でなければ…
原作では豪華客船の中でのヨーゼフ対チャンピオンのミルコ・チェントヴィッチのチェスゲームが軸となっており、一度目の対戦の後に、ヨーゼフが一人の乗客に自分の過去を話し始めるということのようです。
映画ではヨーゼフがアンナの幻を契機にして現在と過去の幻影を行き来するようなつくりになっています。それでヨーゼフの精神錯乱を表現しようとしたのだと思います。
客船の中でミルコが複数の客と多面差しをしています。原作ではミルコの経歴もかなり重要要素のような印象ですが、映画ではナレーションだったか、乗客の会話だったか、単純に言葉で説明されていました。ゲームはミルコがことごとく勝っていきます。
ヨーゼフがその会場に入り、最後に残った対戦相手に指し手を指示し、ミルコと引き分けに持ち込みます。対戦相手はその客船のオーナーだと名乗り、ヨーゼフにミルコと一対一で勝負しないかと持ちかけます。
ヨーゼフ対ミルコの勝負、映画では、ここに監禁の最後のシーン、ヨーゼフがフランツに促されて顧客情報を必死に書くシーンを持ってきており、しかしそれはチェスの棋譜であったとのシーンをかぶせています。
で、このチェスの勝負がどういう結果であったか、映画は語っていたのかどうなのか、残念ながら記憶がありません(涙)。原作では、その対戦は Dr.B があっけなく勝ち、しかしミルコがもう一戦を申し出て、それに応じたヨーゼフがミルコの作戦に引っかかり、ヨーゼフが錯乱状態になったということのようです。
映画では、その後おまけとしてヨーゼフが精神科病院に入院しているシーで終わります。原作にはないシーンです(多分…)。
棋譜の代数式と記述式
チェスのことはまったくわかりませんが、チェスの棋譜には代数式と記述式というものがあるそうです。
映画でもミルコとの対戦でヨーゼフが自ら棋譜を記していましたが、公式戦では自ら棋譜を記録する決まりだそうです。
フラッシュバックのラストシーンでヨーゼフが書き記した棋譜がありましたが、おそらくあれが代数式の棋譜なんだろうと思います。
ボードゲームの勝負を映画にするのは難しいのだと思います。この映画もその難しさを乗り越えられず、ヨーゼフとフランツの対峙に頼ろうとしてこうした曖昧な結果になったんだろうと想像します。
ふと「泣き虫しょったんの奇跡」を思い出しました。こちらは将棋ですが、それなりに対戦シーンも多く、うまく描かれていたように記憶しています。