ロウ・イエ監督、どこへいく…
ロウ・イエ監督の「ブラインド・マッサージ」と「サタデー・フィクション」の間の映画ですが見逃しています。

シャフル編集、動き回るカメラはなんのため?…
時系列が無茶苦茶シャッフル編集されています。ときどき年数の字幕が出ますが、オリジナル版ではどうなっているんでしょう。どの時代の画なのかわかるんですかね。
まあ一般的に意味不明なシャッフル編集をする映画は映画そのものに自信がないからなんですが、この「シャドウプレイ」もほぼそれで、失敗作です(ゴメン…)。
時系列をグチャグチャに編集するにしても3時代くらいなら整理しながら見られますが、この映画は10時代くらいがグチャグチャになっているんです。
その上カメラが動くわ動くわで場所や設定がどうなっているのかも無茶苦茶わかりにくいんです。当然カメラが動き回れば画も汚くなります。汚くても美意識が感じられればいいのですが、この映画にはそれもありません(ゴメン…)。
物語自体は単純な愛憎物語ですのでそれを深いものに見せようとしたのかもしれません。ただ、ラスト30分なんてほぼ説明シーンで、すでに使われたシーンの逆回転まで使っています。愛憎もその表層しか描かれておらず、オチとなっているタン殺人事件の犯人は娘のヌオだったにしても、なぜタンを殺すほどの憎しみがあるの? とよくわかりません。
と書いて、なんだかデジャブ感があり、「サタデー・フィクション」を読み返してみましたらまったく同じことを書いています。ロウ・イエ監督、どうしちゃったんでしょう? 「ブラインド・マッサージ」には「これに金熊を与えなかった審査員が信じられない!」と書いたのに(涙)…。
火サス2時間ドラマ、じゃわかんないか(笑)…
2013年、広州市の役人タンがビルの5階から墜落死します。殺人事件として捜査が始まります。ヤン刑事(ジン・ボーラン)が担当です。
タンは広州市の高層ビルの谷間に残されたスラム(のような演出がされている…)の再開発プロジェクトの責任者です。殺人事件は市の強制執行による住民と官憲の衝突のさなかに起きています。
スラムのようなロケーションや衝突のアクションシーンといったものは単なる映画の雰囲気づくりの要素であって物語にはまったく関わってきません。殺人事件は男女の愛憎(とも言えないけど…)から起きたという映画です。

ヤン刑事は狂言回しです。ヤンが登場しているシーンは2013年以降のシーンというだけのことです。ましてやアレックスは問題外です。
物語を時系列に沿って見ていきますと単純です。まず1989年、ジャン(チン・ハオ)とリン(ソン・ジア)は付き合っています。大学生という設定のようです。リンの誕生パーティー(らしい…)がダンスホールで行われています。ジャンの知り合いタン(チャン・ソンウェン)がやってきてリンに紹介されます。
1990年、リンはタンと付き合うようになり結婚します。1992年、ヌオ(2013年以降はマー・スーチュン)が生まれます。1996年、リンはブティックを始めます(あまり関係ない…)。その後よくわかりませんがリンが精神に異常をきたし入院します。
一方、ジャンは1998年に台湾にわたり、アユン(ミシェル・チェン)と知り合い、付き合うようになり、その後、どうやってかは描かれませんが、アユンとともに不動産開発事業で成功し、2000年頃、ふたりで広州に戻ります。
ジャンはリンを精神科病院から退院させ、タンを後押しして出世させ、同時にタンを利用して、つまり広州市の幹部に賄賂を贈りということだと思いますが、さらに事業を拡大していきます。
2006年、ジャンとリンの関係が復活しています。タンを裏切っているということです。タンはそのことを知り、アユンにもジャンとリンの関係を告げます。
アユンはジャンに問いただします。すでにジャンの気持ちが自分から離れていることを知ったアユンはヌオを利用しようとしたり(ヌオがジャンとリンの子どもであることを知っている…)、ジャンの会社の秘密を盗んで逃げようとします。
ジャンはリンにアユンを追うように指示します。リンはアユンを見つけ、車に乗せます。車の中で口論となり、争ううちに事故となり、アユンは死にます。リンはジャンを呼び、ふたりでアユンを焼き殺します。
これが2006年に起きて、それをジャンとリンはずっと隠して、リンがアユンの後釜の位置に収まり、タンを使って事業を拡大していきたということになります。
2013年まで7年間ありますね。それはともかく、過去の出来事はこれだけです。
2013年はむちゃくちゃ長ーいです…
そして、2013年です。
ヤンのドラマもいろいろあるんですが、シナリオが適当なもんですから俳優がかわいそうです。
理由もわからずリンに誘われて関係をもって、ジャンとリンにはめられたということらしいのですが、それがために刑事の職を追われます。
なぜ、ヤンは誘われれば誰とでも寝るの?
その後、ヌオにも誘われて寝ています。きっとこれはロウ・イエ監督の願望なんでしょう。
とにかく、その後いろいろあって、ヤンとアレックスはアユン失踪にはジャンとリンが絡んでいることを突き止め(狂言回しじゃなかったね…)、よくわかんないうちにジャンとヤンが乱闘になったり、ジャンの手下も含めた車の大事故になったり、その間にリンが自首してタン殺害を自供したりします。リンは精神的病が再発して入院したものの病院で自殺します。
ということで、タンとジャンの汚職が発覚したということです。
まだおまけがあります。ヤンは探偵になっているんですが、なぜかタンが死亡した時刻の防犯カメラ映像を見て、その時刻にリンはジャンと会っていたことがわかり、じゃあタン殺しは誰だということになり、ヌオがアユンを殺したのはジャンとリンであることを知る説明映像やジャンとリンがアユンを焼き殺す説明映像が入り、そこにタンがやってきて3人でこの秘密は守っていこうみたいな説明映像が入ります。
そして、逆回転の説明映像があり、タン殺しの犯人はアユンに変装したヌオでしたとなります。
これらすべてが2013年に起きます。
ところで、なぜヌオはタオを殺そうとしたんでしょうね。
ロウ・イエ監督、どこへいく…
ロウ・イエ監督といい、ジャ・ジャンクー監督といい、完全に行き詰まっています。
これも、映画、というよりも何かを生み出そうというエネルギーみたいなものの持つ本質的なものじゃないかと思います。
人は満ち足りれば現状のまま安穏に過ごしたくなる生き物ということです。
批判ではありません。誰もがそうなります。