ティル

映画は一見凡庸に見えるが、アンチへの配慮や不確かなものを避けたい思いかも…

メイミー・ティルという実在の人物を描いた映画です。1955年に14歳の息子エメットが白人男性に暴行(リンチ…)され殺害されたことを契機に公民権運動の活動家となり、また教育者としても様々な活動をされたようです。2003年に81歳で亡くなられています。

ティル TILL / 監督:シノニエ・チュクウ

エメット・ティルの死

かなりよく知られた事件のようです。日本語のウィキペディアもかなり充実しています。

それにボブ・ディランがこの事件のことを歌っています。

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14歳の少年エメットは母親メイミーと祖母とともにシカゴで暮していたのですが、その時はミシシッピ州の従兄弟の家を訪れています。エメットは従兄弟たちとともに白人夫婦の経営する食料品店へ行き、キャンディを買おうとして店番をしていた妻のキャロライン(21歳)に映画俳優のようだと話しかけ、自分の財布に入れている白人の少女の写真を見せ、そして帰り際、口笛を吹きます。

後日早朝、キャロラインの夫ブライアンともうひとりの白人男性が銃を持って従兄弟たちの家を襲い、エメットを拉致していきます。その後、エメットは激しく暴行されたうえ殺害され遺体となって発見されます。エメットの顔は、誰とも判別できないほど変形しています。

メイミーは、葬儀の際、彼らが私の息子に何をしたのかを世界中の人に見てほしいと棺桶の蓋を開けて式を執り行います。

映画はその後、起訴された二人の白人男性の裁判の経緯を描いていきます。メイミーを支援する黒人団体が入場しようとするも白人警備員に後ろに立っていろと言われ、傍聴席に座っているのは白人ばかりです。判事はもちろんのこと陪審員も全員白人です。

何人かの証言の後、弁護側が死体をエメットと判別できないと主張したことに対して、メイミー自身が証人として立ち、母親なら必ずわかる、陪審員の皆さんにもわかるはずだと主張して審理は終わります。

メイミーは、判決を聞くことなく、結果はわかっていると言い残して去っていきます。後日、メイミーが公民権運動の集会で演説するワンシーンを描いて映画は終わります。

エメットティル反リンチ法

映画は、その後の経緯をスーパーで表示しています。

被告の白人二人への評決は無罪であったこと、後にその二人が雑誌のインタビューに答えてエメット殺害を認め、そのインタビューの報酬として4,000ドルを得たこと、メイミーに関しては、2003年1月6日に81歳で亡くなったということです。

また、100年以上議論されても成立できなかった反リンチ法が、やっと2022年3月29日に連邦法として成立したとのことです。その法律はエメットティル反リンチ法と呼ばれています。

バイデン米大統領は29日、人種差別に基づくリンチを連邦法の憎悪犯罪とする反リンチ法案に署名、同法は成立した。リンチで相手を死傷させた場合、最高で禁錮30年の刑に処せられる。人種差別が合法だった時代もあった米国で長年、保守派の抵抗などで廃案となってきたが、黒人に対する暴力事件の続発で機運が高まり、1世紀以上たって成立にこぎ着けた。

日本経済新聞

この法律について詳しく調べていない前提の感想としては、リンチであろうがなかろうが、暴行、殺人、殺人未遂等々で裁けないのだろうかと思ってしまいます。ヘイトクライムとして特別に扱うということかもしれませんが、アメリカの特殊事情を理解していないとなかなか理解しにくい事例です。

凡庸さは配慮の現れか…

という映画なんですが、率直なところ、映画としては特別これといった印象はなく凡庸です。ただ、これもよくみてみますと、いくらでも主張できるところがあるにも関わらずかなり抑えて作られているような気がしてきます。

なにせこういう事件ですので、事実がどうであったかははっきりしないところが多いと思われます。実際、食料品店で起きたことには様々な証言があり、たとえば口笛にしても、エメットには吃音があり、話し始める前に口笛のような音を出すことがあるという証言もあるようです。

映画での描き方は女性を囃し立てる口笛の印象が強いです。吃音を抑えるためとの描き方はされていません。ただ、その前のシーンではエメットの家族がエメットの吃音について話をする台詞があります。吃音を抑えるための音と表現することも出来たわけですが、あえてしなかったのかもしれません。

強く主張することのマイナス面を考えた上での配慮のようにもみえますし、不確かなものを避けたいとの思いがあるのかもしれません。問題は口笛がどうこうではなく、リンチというヘイトクライムこそが問題なのだと言っているようにもみえます。

また、食料品店のキャロラインの証言の描き方も奇妙な感じがします。判事が次の証言は事件に直接関係がない証言だと言い、陪審員たちを退席させた後に証言させていました。確かに争われているのは暴行殺人事件ではありますが、証人席で証言させるのは奇妙な感じです。

ウィキペディアを読む限りでは、あのキャロラインの証言についても記載があります。

映画全体の印象としても、メイミーの行動の源を母親としての悲しみや怒りとして描くことに終始しています。ワンシーンあった集会での演説の内容も、そうした母親としての個人的な思いを語るものだったように記憶しています。

映画としては凡庸でも、いい映画だったとも言えます。

なお、メイミーを演じたダニエル・デッドワイラーさんがアカデミー賞の女優賞にノミネートされなかったことについて、デッドワイラーさん本人もシノニエ・チュクウ監督も差別があると批判しているようです。