昭和ノスタルジーの人情噺で自身の昭和度を測る
重松清さんの小説『とんび』の映画化です。中心となっている時代が1960年代から2、30年間の話ですのでいつ書かれたものだろうとウィキペディアを見てみましたら2003年の新聞の連載小説でした。
原作を読んでいませんので実際はどうかわかりませんが、映画は昭和ノスタルジーです。自分の昭和度をはかるにはいい映画です。
親父ファンタジーは昭和ノスタルジー
市川安男(阿部寛)は口より手が先に出る男です。心根は思いやりがあり優しいのですが、それを素直に表す術を知らない人物に描かれています。いわゆる人情肌なんですが、土地柄(広島)なんでしょうか、気性が荒いです。
導入部分では人物紹介のように友人やら運送会社の同僚やらが次々にでてくるのですが、まあなんと言っていいのか、気性の荒さが強調されていますので男たちは皆乱暴です(笑)。
原作を読んでいませんのでネットであらすじなど読んでみたところ、エピソードはほぼ映画でも使われているようですが、原作はもっと父子の関係がしっかり描かれているように感じます。映画は息子アキラの印象が薄いです。高校生からは北村匠海さんが演じていますが、登場するのは後半で、それまでは子役ですのでそのせいでしょう。
ですので、映画はとにかく阿部寛さん演じる安男のパワーがわあーと前面に出ています。昭和の「親父」が昭和の男たちのノスタルジーによってファンタジー化してしまったような人物です。あくまでも映画の話で原作のことではありません。
アキラの育ちが見えない大人たちの人情噺
安男は美佐子(麻生久美子)と結婚し、アキラが生まれます。美佐子はアキラが3、4歳の頃にアキラが運送会社の荷物の下敷きになるところを庇って覆いかぶさり亡くなります。美佐子は、登場シーンが少ないこともあり、いつもにこにこ笑顔で安男やアキラを見つめている女性としか描かれていません。
安男のまわりには、お寺の和尚(麿赤兒)、その息子で安男の幼なじみ(かな?)照雲(安田顕)、その妻幸恵(大島優子)、同じく幼なじみで小料理屋を営むたえ子(薬師丸ひろ子)、そして、運送会社の社長や同僚たち数人がいます。
皆、アキラはみんなで育てたみんなの息子だといってはばかりません。特に照雲幸恵夫婦には子どもがいないということで実の息子のように可愛がっていると言っています。たえ子も独り身で安男の姉貴分のような存在ですので息子のように思っているのでしょう。ただ、皆台詞ではそう言っていますが、実際にはアキラとまわりの大人たちのシーンはほとんどありません。やはりアキラの存在がきちんと描かれていないからだと思いますが、安男のアキラへの振る舞いに対してまわりの人物が反応したり行動したりするシーンで親子関係を想像してくださいみたいな大人たちの人情噺です。
唯一、照雲の父親の和尚が冬の最中の夜中に寝ているアキラを海辺に連れ出し、安男に抱かれたアキラの背中に手のひらを当てて温かいじゃろというシーンがありましたが、何やってるんだろう、言っていることはわかるにしてももう少しほっこりした話にできないものかと思いながら見ていました。
原作にもあるエピソードのようですので仕方ないとは思いますが、せっかく幸恵(大島優子)やたえ子(薬師丸ひろ子)がいるのに原作でもあんな感じで男たちがアキラを育てたように描かれているんでしょうか。妙子は店に立って男たちの愚痴を聞いているだけですし、幸恵にいたってはいつも照雲について登場するだけです。
人情噺といえば、独立したエピソードのように描かれるたえ子の娘の話もよりそう感じさせる要素になっています。実はたえ子には娘がいて、その娘が結婚を機に会いに来ます。たえ子は農家に嫁いだけれども生んだ子どもが女の子だったので辛く当たられ飛び出してきたということです。ただ、娘が3歳の頃のことと言っていましたので娘にしてみればまったく記憶にないでしょうし、それに女の子だから辛く当たられて育ったようには見えませんでした。まあ人情話を増幅するためのエピソードでしょう。
アキラは重松清さん?
自伝(的)であるかどうかはわかりませんが、重松さんもアキラと同じ頃の1963年生まれですし、生まれたところも岡山県と隣の県ですし、高校卒業後は早稲田に進学し、出版社勤務を経て作家になり直木賞を受賞しています。
アキラもこれとまったく同じ経歴をたどっています。その時系列以外は創作とは思いますが。
アキラの物語はダイジェスト版
安男はアキラの東京行きに口では言いませんが反対しています。子離れできない親として描かれていました。アキラの出発の日、安男はトイレにこもったまま出てきません。アキラはやむを得ずそのまま照雲の車で出発してしまいます。トイレから飛び出した安男は車の後を追い掛けます。止めるかと尋ねる照雲にアキラは首を横に振ります。ちょっとクサイ演出ですかね(笑)。
そのままアキラは一度も家に戻っていません。安男が東京へ出てきます。父親が危篤だと連絡を受けたようです。安男は幼いころに母親を亡くし、父親も家を出ていってしまい叔父夫婦に育てられています。父親はその後結婚したらしくその息子から連絡があったということです。
安男はアキラが勤める出版社を訪ねます。編集長が応対してくれて、アキラくんは誰にでも好かれるキャラなんですよと言い、入社試験の作文が父親の話であったとその作文を見せてくれます。
その作文、ナレーションででも入るのかなと思っていましたら、そうではなく映画自体がその作文の内容というつくりでした。映画は最初からその時々にアキラ(北村匠海)の声で父はあれこれどうのこうのとナレーションが入っていましたのでその作文ということだったようです。
アキラが安男の前にひとりの女性を連れてやってきます。アキラは一緒に暮らしている由美(杏)だと紹介し、由美には前の夫の子どもがいると言います。安男は苦虫を潰したような顔したまま広島に帰ってしまいます。
後日、アキラが由美を連れて広島に帰ってきます。結婚すると言います。言葉が出ない安男です。そこに照雲がやってきます。照雲は安男に向かって、こんなコブ付きの出戻りでいいのか!と由美を誹謗する暴言を吐きます。安男が照雲に、このオナゴはアキラが惚れたオナゴじゃ!アキラの嫁はわしの娘じゃ!頑張って生きとるんをお前は!と殴りかかります。
めでたし、めでたし。アキラは由美のお腹には自分の子どもがいると言います。
ちなみに、由美が離婚した理由は子どもが生まれた後に働き続けることを許されなかったということです。また、安男が向こうの親御さんが孫に会いたがっちょるやろと尋ねたことに由美は息子を愛しているようには思えませんと答えていました。
オイ、オイ、どういうシナリオを書くんじゃ!
なぜ今このドラマを?
もちろん原作の出版社が角川ですのでKADOKAWAが映画化したということなんでしょうが、あまりにも昭和ノスタルジー過ぎます。
親子関係をもっときっちり描けばいいとは思いますが、アキラの影が薄く、安男の昭和親父っぷりが突出しています。昭和親父と言ってもこの安男はファンタジーであり、実際こんな絵に書いたように乱暴だが心根は優しく愛情に熱い男なんていません。いるかな(笑)。
ただ、テレビドラマのようにエピソードがぽんぽんぽんと並んでさらりと流れていきますし、うまくできていますので、あれこれ言ってはみましたが(笑)見やすい映画ではありました。