とりつくしま

死者となっても誰かのそばにそっといたいということでしょうか

「取り付く島もない」の「とりつくしま」ではないようです。未練のある死者がこの世の無機質な物に取り付いてその未練を解消しようという話でした。より募るんじゃないかと思いますけどどうなんでしょう。

とりつくしま / 監督:東かほり

物にとりつく死者たち

四篇のオムニバスになっています。監督は東かほりさん、作家の東直子さんの娘さんで、その小説『とりつくしま』の映画化とのことです。

東直子さんの名前に記憶があり、サイト内を検索してみましたら杉田協士監督の「春原さんのうた」が東直子さんの歌集にインスピレーションを受けて撮られたという映画でした。

で、この「とりつくしま」です。

とりつくしま係は小泉今日子さんです。死者を前にして、取り付くものを探している人はここにやってくると言い、「その気配のあるうちはこの世にあるなにか物に取り付くことができるんです。物になってもう一度この世を体験することができるんです」と取り付くものはないかと促します。

「取り付く島もない」と関係なくはないですね。物になってこの世を見ていることしかできないわけですから、死者にしてみれば「取り付く島もない」と同じようなものでしょうか。

トリケラトプス

一人目は「トリケラトプスの絵の書かれたマグカップ」です。

交通事故で思わぬ死を迎えてしまった妻がマグカップになって残された夫の日常を覗くという話です。夫は特に変わりない日常を過ごしています。妻を失った喪失感も感じられず、こういう夫も見てトリケラトプスに取り付いた妻は悲しくならないのでしょうか。

夫が酔っ払った女性と一緒に帰宅してきます。その女性は夫に気があるようです。積極的に夫に迫りますが、夫はそれに応えようとはしません。そのままこのパートは終わります。

妻の願いということでしょうか。

あおいの

二人目は「公園にある青のジャングルジム」です。

10歳くらいの男の子です。どういう経緯で死んだのかは語られていなかったと思います。ただなんとなく公園の日常が語られていきます。男の子の語りもほとんどなく、他のパートのように公園の人々に絡む台詞もありません。

最後にはゼロ歳児の娘を抱いた母親がジャングルジムにやってきて、お兄ちゃんが大好きだったんだよ、大きくなったらここでいっぱい遊ぼうと言って去っていきます。男の子はまた来てねと言っています。

男の子は誰にともなくここにいるからねと言っています。特に未練があるようでもなく、なんとなく公園の日常、と言いつつも描かれるのは非日常的なものばかりなんですが、天上から公園を見ているようなパートということでしょう。

レンズ

三人目は「孫にあげた一眼レフカメラ」です。

おばあさんが孫にあげたカメラに取り付きます。ただ、孫はそのカメラを中古屋さんに売ってしまっています。カメラを買ったおじいさんの話になります。

おばあさんと孫の話はありません。売ってしまった孫を咎めながらも若いときはそんなものよと物分りのいいことを言っています。

ちょっと不自然ですが、おじいさんを見て30年前に亡くなった自分の夫を思い出したりし、映像的には若い夫と話をするシーンもあります。

ということですので、孫への思いがあるのかと思いきや、おばあさん自身の郷愁がおじいさんに反映されたようなシーンが続きます。こんな老後もあったのかなあということでしょうか、おじいさんが見る幻というわけでもなくおばあさんが現れて二人でベンチに座って佇むカットがあります。

最後もおじいさんがカメラをベンチの自分の横におくカットで終えています。

「今日は昨日の続き、明日は今日の続き」とおばあさんの声で入ります。

ロージン

最後は「野球で使うロージン(松ヤニの粉)」です。

母親が野球をやっている中学生の息子の姿を覗くパートです。ちょっとだけ見られればいいんですと言う母親にとりつくしま係はロージンはどうと言います。粉ですので使われるたびに空中に舞い、やがて消えていくということです。

息子は、おはよう、おやすみなさい、いただきます、ただいま、ごめんね、ありがとうと、母親にちゃんと挨拶やお礼を言いなさいと言われてきたことなんでしょう、その言葉を言いながら野球を続けています。

最初のシーンで電話をしていたのは母親の携帯電話なんでしょうか。お掛けになった電話番号は現在使われておりませんと流れていました。それに息子が母親の幻を見るカットがあります。

母親に未練はなさそうで、試合の結果はどっちでもいいと言い、そしてカメラはすーと俯瞰になって、母親がこの空の光の向こうに行くね、と言って終わります。

このパートは唯一残されたものの喪失感が描かれています。

感想:文字のほうが広がるかも

未練らしきものがあるのはひとつ目の「トリケラトプス」だけで、後は特別死者が登場しなくてもいいような話で、公園の非日常的日常の話に、カメラ屋さんに聞いた話からなんとなく郷愁に浸るおじいさんの話に、そして最後は残された息子の母親を失くした喪失感が描かれる話でした。

未練というよりも、死者となっても誰かのそばにそっといたいということかと思います。

ああ、それが未練か(笑)…。

映像よりも文字のほうがイメージが広がりそうですね。