なんとなく面白そうと感じてポチッとした映画。同じくアレックス・デ・ラ・イグレシア監督の知らない映画「気狂いピエロの決闘」がヴェネツィア国際映画祭で監督賞と脚本賞を受賞していると目にしたことも影響したかもしれません。
担当制サスペンス・ホラー…
スペインから5人の若者たちがヴェネツィア・カーニバルを楽しもうとやってきたところ、恐怖の体験をするという話です。ふたりは殺されていました。
ジャンルとしてはサスペンス・ホラーかなという映画ですが、ほとんどドキドキもしませんし、目を覆いたくなるような怖さもありません。ナイフで首を真横に切られたり(あれが一番いや(笑)…)、首がちょん切られてコロコロというシーンはありますが、ゾクッとする怖さはありません。やはりホラーはカメラワークと編集のタイミングですね。その点ではあまりうまくありません。
で、ちょっと面白いなあと思ったのは、この映画をサスペンス・ホラーだとするならばですが、サスペンス担当とホラー担当を分けているんじゃないかという気がします(笑)。
スペイン人たちを襲う加害者はヴェネツィア人の双子の兄弟とその1人の妻の3人なんですが、やたら殺しまわる(他の観光客の殺害シーンもある…)のは双子の兄弟のひとりだけであって、もうひとりはそのホラー担当に、言うことを聞かないヤツだ!と怒って殴りつけたりするのです。
で、その双子のひとりとその妻がサスペンス担当ということになるわけで、夫婦はスペイン人のふたりを監禁し、その映像とともにオーバーツーリズム告発のメッセージをインターネット配信し、そして何と! 自分たちは自殺してしまうのです。監禁されていたふたりは解放され、治療を受けているというニュースで終わります。
なんだか無茶苦茶面白い話じゃないですか。いや、面白くなるはずだったじゃないですか。
オーバーツーリズム
ただ、面白いと言っていちゃいけないことでもあります。日本でも京都などでも問題になっているようで、検索しますと京都市観光協会の「オーバーツーリズム対策事業」なんてのがヒットします。新型コロナウイルス期間に何か対策がとられていい方へいくといいですね。
この映画ではスペイン人たちが到着早々、観光客は来るな! クルーズ船は寄港するな! と抗議デモに見舞われます。
実際、ヴェネツィアでは2021年8月から大型クルーズ船の乗り入れが禁止になっているようです。リンク先の記事には「船が起こす波によって歴史的建築物や海洋環境への悪影響」があると書かれています。
ただ、観光立国であればそう簡単な問題ではありませんので、この映画の場合、水上タクシーの運転手をスペイン人の味方に置いて、ホラー担当と戦わせたりしています。
ところで、オーバーツーリズムと言えば、スペインのバルセロナでは新型コロナウイルスが流行する前には反対運動もあってかなり深刻な状況だったと思いますが、この映画、スペイン映画です。ロケーションをバルセロナにしていたら相当政治性を帯びた映画になっていたかも知れませんね。
仮面、リゴレット、オペラ座風…
結局、この映画がもうひとつに感じられる理由は担当制の主従が逆だったんじゃないかと思います。仮面、オペラのリゴレット、それにラストシーンのオペラ座風の劇場などというサスペンス的に面白くなりそうな要素は準備されているわけですから、それらをうまく使って、サスペンスを軸に時々ホラーを散りばめるという方がよかったように思います。
実際にはホラー担当が8、9割を占めており、サスペンス担当の登場も、え? なに? という感じでした。
スペイン人5人(男2人、女3人…)がヴェネツィアにやってきます。すでにその前にホラー担当が観光客を2人殺しています。観光客たちはそれが路上の寸劇だと思い、拍手をしたり写真を撮ったりします。
スペイン人たちは中世の貴族風のコスプレをして秘密パーティーに忍び込み思いっきり弾けます。しかし、翌朝、男ひとりがいなくなっています。その男を探し回るうちにあれこれ恐怖を味わうということになります。
まず、男1人は船上でホラー担当に首をちょん切られて殺されます。まわりの客は知らんぷりです。女は拉致されます(だったと思う)。残りの女2人はリゴレットの上演劇場に向かいます。すでに閉鎖されている劇場です。
この頃どこかで(記憶が曖昧…)サスペンス担当が紹介され、ホラー担当との役割分担を語って(笑)、住民の同志たちとパソコンやスマホでなにかを配信(これは後でわかること…)しようとしています。
劇場に向かった2人のうち、ひとりはホラー担当に舞台装置を吊り下げるようなもので宙吊りにされて殺され、そのままマリオネットのように操られます。その後、ホラー担当は刑事に追われ、射殺され、屋根の上から運河に落ちていきます。
サスペンス担当のオーバーツーリズム告発の動画が流れます。夫婦の前に拉致された男女が拘束されています。告発は、抗議と言うよりも人間存在はどうしようもないものだみたいな嘆きのメッセージだったと思います。
という映画ですが、多分記憶違いで間違っていることもあるでしょう。