午前4時にパリの夜は明ける

フランス的個人主義と家族主義が同居する映画

前作が「アマンダと僕」のミカエル・アース監督の最新作、昨年2022年のベルリン国際映画祭のコンペティションで上映されています。主演はシャルロット・ゲンズブールさん、こちらはたくさん見ていますが、なにが記憶に残っているかと言われれば、やはりラース・フォン・トリアー監督の「アンチクライスト」「ニンフォマニアック」あたりでしょうか。何でも果敢に挑戦する印象の俳優さんです。

午前4時にパリの夜は明ける / 監督:ミカエル・アース

1980年代フランス、ミッテランの時代…

社会党のミッテランが大統領に選ばれた1981年5月のお祭り騒ぎのような映像から始まります。そして映画のラストは1988年、偶然なのか意味があるのか、その年も大統領選挙の年でふたたびミッテランが選ばれ第二期政権の始まる年です。つまり、この映画はミッテラン第一期政権の7年間の物語ということになります。現在のフランス大統領の任期は5年ですが当時は7年だったようです。

という、なんとなく意味ありげな時代背景の映画なんですが、不思議なことにそうした社会的な出来事が物語に関係してくることはありません。あえて言えば、エリザベート(シャルロット・ゲンズブール)の娘ジュディット(メーガン・ノータム)が政治的な活動をしているようであり、おそらく社会党か共産党支持ということだと思います。ただ、そのジュディットの登場シーンは多くありませんし、主要な物語には絡んできませんので、結局のところ、時代背景に特別な意味はないということです。

主要な物語は、離婚したエリザベートの自立みたいななものと息子マチアス(キト・レイヨン=リシュテル)の成長みたいなものと、そして家族の絆みたいなものです。

あえて、すべてに「みたいなもの」とつけたのは、そのいずれもが映画的にはっきりしたものではないからです。もちろん映画ですからいろいろなことが起きるのですが、それによってドラマが動くというようなことがなく、エリザベートにしてもマチアスにしても日々変わらぬ日常を過ごしていくというような映画です。

あらためて前作の「アマンダと僕」のレビューを読んでみましたら同じようなことを感じていたようです。ドラマとしてはいろんなことが起きているのにあっさりした印象をもったと書いています。ミカエル・アース監督の作風なんでしょう。

ミカエル・アース監督は1975年生まれですのでこの映画の時代は6歳から13歳です。プレスリリースにある監督のインタビューを読んでも、なぜ1980年代なのかはかなり曖昧です。結局のところ、漠然としたノスタルジー以上のものはないのではないかと思います。

個人主義と家族主義の同居

実際、劇中に登場する映画や使われる音楽を除けば、特に1980年代でなくても成り立つ話です。ただひとつだけ、エリザベートが専業主婦だったということや働いたことがないとしているのはその時代を考えてのことかも知れません。

エリザベート(シャルロット・ゲンズブール)が、夫が家を出て女性と暮らし始めたと嘆くところから始まります。エリザベートには17、8歳くらいの息子マチアスと20歳くらいの娘ジュディットがいます。後に語られることですが、夫からの養育費の支払いはなく、当面の問題はエリザベートが仕事をみつけることです。

シャルロット・ゲンズブールさんのイメージからはなかなか想像しにくい人物像です。ひとりで思い悩んだり泣いたりするシーンが結構ありますが、どうもしっくりきません(わたしには…)。それに収入がない割にあまり逼迫感もなく、なんとなく余裕が感じられることからも現実感がなく、かなり浅い印象の映画です。

と言うよりも、フランス独特(想像です…)の価値観、個人主義と家族主義の同居のようなものかも知れません。主要な人物であるエリザベートやマチアスでさえ、その日常的な行動以上に描かれることはありません。もうひとりの主要な人物タルラ(ノエ・アビタ)は路上生活者なんですが、その背景などまったくわかりません。

家族であっても個々の内面には深く立ち入らない、けれどもお互いの信頼関係は強く、また断ち切れるものではない、そんな人間関係、家族関係が描かれていく映画です。

プリンを作ったら皆でダンスを踊るというちょっとよくわからない(笑)シーンが象徴的です。

その時流れる音楽はジョー・ダッサンの「Et Si Tu N’Existais Pas」という曲です。

ジョー・ダッサンという方をよく知りませんでしたが、日本ではダニエル・ビダルの歌でヒットした「オー・シャンゼリゼ」はもとはこの方が歌った曲とのことです。ただ、この曲、さらに遡ればイギリスのサイケデリック・バンド「ジェイソン・クレスト」の曲としてアルバムに入れられた曲ではあるものの、作曲は別の人物で、当時曲の権利を持っていたのはビートルズのアップルレコードだったそうです。そんなことがウィキペディアに書かれています。もともとはシャンソンでもフレンチ・ポップスでもなかったということです。面白いですね。

1980年代ファンタジー、音楽と映画

物語の展開にはほとんど障害というものがなくとんとんとんと進みます。

エリザベートは、ヴァンダ(エマニュエル・ベアール)がパーソナリティを務めるラジオの深夜放送のスタッフの職につくことになります。そして、その番組で知り合ったタルラ(ノエ・アビタ)が路上生活者であることを知ると家に連れて帰り、空き部屋に住まわせます。

息子のマチアスは高等教育に進むかどうか迷っています。マチアスはタルラに惹かれていき、一緒に映画をみたり、セーヌ川に落ちたり(笑)、そしてその夜愛し合います。しかし、タルラは姿を消してしまいます。

エリザベートもさみしさからなのか、番組スタッフの男性と衝動的に関係をもちますがそれ以上進むことはありません。

そして、1984年(だったと思う…)、エリザベートは図書館の司書の仕事にもつき、そこで知り合ったヒューゴと付き合うようになります。このヒューゴとの関係は2、3度セックスシーンがあったりと結構登場シーンも多く、最後には一緒に暮らすことになるようなんですが、ヒューゴがどういう人物であるなどのシーンは一切ありません。

マチアスは進学しなかったようです。詩を書いて応募していますがいい結果は得られません。

そしてある日、エリザベートとマチアスが家に戻りますと、タルラがエントランスで倒れています。薬物中毒です。ただ、これもそれとはっきりした描き方はされず、一度だけエリザベートがタルラを強く叱るシーンがあるだけです。4人がダンスするシーンはこの後だったと思います。

エリザベートはアパートメントを売ることに決め、ヒューゴと暮らすようです。マチアスの生活の糧はわかりませんが自立するのでしょう。ジュディットはすでに自立しています。タルラはすでにエリザベートのもとを去っています。

という淡々とした物語が1980年代の音楽とともにゆるやかに流れていく映画です。プレイリストが公式サイトや Spotify にあります。

劇中の映画はジャック・リヴェット監督の「北の橋」とエリック・ロメール監督の「満月の夜」、そのどちらにも出演しているパスカル・オジェさんは薬物中毒が原因と思われる心臓発作により25歳で亡くなっています。タルラはそれに重ねられた人物ということになります。

という、主張してくるものもあまりなく、数十年前の物語であってもさほど郷愁さもなく、余韻を感じるほどのインパクトもない映画でした。