カイブツさがわからない…
「ツチヤタカユキ」なるものが実在の人物なのか、誰かが演じているキャラなのか、あるいは創作された実在しないものなのか、そうしたことをなにも知らない上にお笑いにも興味がない私が見に行ってしまいました(笑)。
結局、なんだかわからなかった(笑)…
結局、ツチヤタカユキとは何なのかわかりませんでした。
もちろん、ツチヤタカユキ(岡山天音)が、5分に1本「笑い」のネタを考えてテレビ番組に投稿し、作家見習いに採用(というようなことでもない…)されるも人間関係がうまくいかず解雇(自ら去ったか…)され、それでもあきらめずにまた別のラジオ番組に投稿し続け、売れっ子芸人西寺(仲野太賀)に認められて上京するもまたも人間関係がうまくいかず大阪に舞い戻り、やけっぱちで道頓堀に飛び込むも死ねず、母親のもとに帰り、再びネタを考え始めるというループもの(でもないと思うけど…)だということはわかります。
でも、これではツチヤタカユキなる存在が何なのかはわかりません。結局、内輪ウケ映画かと思います。
今、公式サイトを読んでみましたら、土屋敬之という方の自伝小説(みたいなもの…)『笑いのカイブツ』の映画化ということでした。ウィキペディアもありました。
エキセントリックさだけでは…
ツチヤタカユキは自分自身で「人間関係不得意」と言っています。映画全編120分、描いているのはそれだけです。
岡山天音さんがその不得意さを無茶苦茶エキセントリックに演じています。あるいは発達障害としてその人物を演じているのかなとも思いましたが、映画にその視点はなさそうです。
ツチヤタカユキなる存在をどういう人物と見せようとしているのかが映画から伝わってきません。
それが内輪ウケ映画という意味です。ツチヤタカユキを知っている人たちが面白がって作っているとしか思えない映画ということです。
そういう映画がダメということでもありませんので、まあいいんですけど、それにしてもコメディにするとか、ツチヤタカユキという人物を描こうとするとか、ドラマ仕立てにするとか、ツチヤタカユキを知らなくても面白く見せる方法を考えないとまずいんじゃないかとは思います。
で、ツチヤタカユキのネタはおもしろいの?
これが一番わからないことで、最初に評価される「よしもと」らしき場合にしても、東京の西寺(仲野太賀)の場合にしても、そもそもツチヤタカユキのネタの何がおもしろいのかを映画は見せてくれません。
まさか私が気づかなかっただけでネタは披露されていたとか…?
ああ、そう言えば、スーパーで流れていましたね。でも、ああいうものはウケがないとおもしろくなくないですか。番組の中で読んで受けてくれるので笑えるのであって、それ単体ではどうなんですかね。
最後の西寺のベーコンズの漫才に喫茶店で話していたネタが使われていましたが、ウケがあるのはそれだけだったと思います。まあそれにしても、あのエキセントリックさに比べて妥当な面白さには思えませんでした。
岡山天音さん、主役としては初めて見ますが、シナリオが一本調子ですので、持っている(多分…)多様さを見せられなくちょっと残念でした。
仲野太賀さんと菅田将暉さんはまあ当然のうまさですし、松本穂香さんにはもう少し意味のある役割を与えてほしいですね。